血が、舞ったように思えた
今まで見知ってきた戦い方とは明らかに違う――剣の舞
剣の煌きを、危ういほどの冷たさを


決して空以外切り裂かぬはずのその剣

人の血にまみれて
血が、舞ったかのように思えた






鮮血に舞う





「ダーナが動き始めました!傭兵部隊が出て来ました!」
 高らかな天馬騎士の声が空より届き、デルムッドはレスターと共に馬の様子を確かめた。
 メルゲンを攻めている歩兵を中心とした部隊と分かれ、彼ら騎馬兵は後方のダーナを警戒している。そしてその予想は的中し、遠い地に粉塵が見えてきた。
「傭兵と戦うのは初めてだな……」
「不利になれば直ぐに士気が落ちるはずだ。そうなれば制圧は容易いだろう」
 レスターのぼやきになんとはなしに答えて、デルムッドは部隊に指示を飛ばした。
「これよりダーナの傭兵部隊を迎え撃つ!相手は傭兵と言えど歴戦の戦士!気を抜くな!」


 馬を引いて先陣を切っていくデルムッドの姿にレスターはやや目を細めた。
「あいつも緊張していたか」
 それはいいことだ、とティルナノグの長兄は兵を率いて自らも戦渦へと走っていく。






(?)
 デルムッドは一瞬視界に金色が躍ったような気がしてそちらに視線を送った。
 金髪というのはこの大陸において珍しく、その血に貴族(この場合は聖戦士の、というべきなのだろう)の血が流れていない限りそうはいない。
 あれからたかだか100年余りしか過ぎていないと言うのに、傍系にまで至れば確かに確認できない者もいるだろうが……。
 視界をまた粉塵に埋められてデルムッドは確認を諦めた。それよりも自陣の様子の方が重要だ。
 ダーナ周辺は酷く埃っぽく、だからかすぐに砂が舞う。これもオアシスのある都にもうすこし近づけば違うのだろうけれど。
 崩れかけた一角を立て直しながら、デルムッドは無意識下で剣を振り上げる。


 ぎぃんっと鈍い音がして、折れそうなくらい腕がきしむ。とっさに受け流した力の先は、確かに自分に向いていた。

 今、死にかけたな。

 そんなことは割とよくあることだ。デルムッドは砂の向こうにいる「敵」の姿を見透かすように空気を見つめた。
「ちっ……どけ!」
 荒々しい声。乱暴な口使いは傭兵だからだろうか。どこか違うような気もして、デルムッドは喉元に吸い込ませようとした剣を喉あてに当てて手元に戻す。
(ああ、金髪か)
 敵は粉塵に金の髪を躍らせてその剣を振り上げるところだったのだ。先程見た金の髪はこの人物だったのだろう。
 剣は黒かった。ざわざわと肌を走るような魔力の感触に喉が渇くような気分がする。
 わかりきったような「必然」の到来に、それでも感慨深いものがある。
 透明に走る軌跡を見ながらデルムッドは呟いた。
「……ミストルティン」
 今度こそ完全にその魔剣を受け流して、デルムッドは黒い騎士に対した。
「……ジャバロー隊と違う?……セリスの軍かっ!」
 何にそんなに憤っているのかその青年に、デルムッドは伝える言葉をそれだけしか知らない。


「アレス王子……ですね」
「……!?」


「俺はノディオン王女ラケシスが一子デルムッド……貴方の従兄弟です」





「セリス様に力を貸してくれるのかい?」
 丁寧語が気持ちが悪いと主張するアレスにあわせてデルムッドは馬を走らせていた。
 アレスがジャバローの傭兵団の一員で、たった今離反したことは先程聞いた。
 アレスが、セリスを憎んでいるらしい、ということもだ。
 セリスを憎むなとか言う気はデルムッドにはない。誰も彼もがセリスを慕うような世の中は逆に薄ら寒いものがあるだろう。確かにアレスがそのうち一人になるということは考えてはいなかったが。
 それでも今ダーナに駆けることには欠片でもセリスの助力をすると言う気はあるのだろうか。それともダーナにいるという踊り子を助ける意図しかないのだろうか。


 ジャバローをその手で切り倒したアレスは今は無言で馬を走らせていて返答すら返ってこない。なんとなくデルムッドはその横顔を観察した。
 かのエルトシャンに生き写しだという幼少期の噂を信じれば、この顔はほとんどエルトシャンと等しいと言うことなのだろう。黙っていればノディオンを未だ守るクロスナイツを率いることも、民衆の英雄ともなれそうなその容姿。
 傭兵をやっていたということは、学はあるのだろうか?それはある程度は臣下を選べばどうとでもなるかもしれない。
 言動はどうにかした方がいいだろう。その言葉使いはあまりにも話の上の獅子王との印象が変わる……いや。
 デルムッドは思い直した。このままでいいのだろう。
 付け焼刃で身につけるものなどたがが知れている。ジャバローと決した時のあの迫力、全身から放っていたあの剥き出しのカリスマがいい。


 何人目かの城への警護兵を地に倒して、デルムッドとアレスはダーナに入った。





「リーン!」
 怒りが燃える、というのだろうか。全身から感情を発散させているアレスに近づくような者は既に城にはのこっていなかった。
 ばらばらと逃げる……おそらく護衛だった男達。逃げる彼らを無理に捕らえる気も、軍人でもない彼らを追いすがる気もなくデルムッドは城内を進んだ。
「デルムッド!リーンを探してくれ。緑の髪をした踊り子なんだ!」
 リーンという娘を探すのはアレスに任せ、自分はありがちなトラブルを解決し、ブラムセルを抑えようと思っていたデルムッドはその言葉に振り返った。
 どうやら、アレスは随分と切羽詰まっている。
「わかった。俺はこっちを探してみるよ」
 話によるとこの城には随分と踊り子がいたようだし、彼女達を保護しにも動かなければならない。ついでにその娘を探すくらいは構わないと思ってデルムッドは頷いた。


 その音を聞いたのは、アレスと分かれて直ぐ後だ。
 済んだ音など響かない、金属の音さえしない、ずっとくぐもった音。


 刃が、肉に埋もれる音だ。

 どうやらトラブルは起こっているらしい。
 まぁ、ダーナは軍隊がつめている訳でもない(軍人崩れほどたちの悪いものはないが)傭兵ばかりのあつまりだから、こんなことも予想済みだった。
「……!!」
 デルムッドは手遅れにならないうちに早く、と駆け出した。高い声が聞こえる。女性の声なのは直ぐにわかった。
 凛として響いた、悲鳴と言うよりも叱咤するような声はエーディンが一度だけ怒った時の声に少し似ている気がする。
 異なった声の――今度こそ悲鳴――も一緒に聞こえてきたので急いで角を曲がる。



「離れなさい……ッ!!」

 視界に飛び込んだのは、赤と黒。
 散った血がぴっとデルムッドの顔を汚す(彼の鎧は深い色を選んでいたから目立たないだけで、本当は既に返り血に汚れていたけど)
 だから、視界に入った赤は血だった。
 空に舞ったのは極細い、もつれて絡まる糸だった。そう呼んでいいほど繊細で柔らかい黒髪。
 始めデルムッドの目の前にいたのは無骨な男の後ろ姿で、だというのに視界で存在を主張したのはその二つ。
 一瞬の判断の後当身で倒したその男(トリスタンはさぞや嘆くのだろう)が倒れこんだ先に、いたのはやはり女だった。
 空に舞っていた髪がひらひらと床に落ちつく。その手にはどうしたって余る鉄の剣は意外と緩やかに弧を描いてデルムッドの視界を動いて、カシン、と床に落ちた。
 衝撃に跳ねた血がデルムッドの足元まで届く。


 見開いた漆黒の瞳。
 突然現れたデルムッドに半ば呆然と向けられた瞳はデルムッドの頬についた血が映っている。
 まばたき一つしない真暗な瞳だ。それに似つかわしくない、その色は。



 決してそんな色には染められない細やかな身体が。

 人の血にまみれて――
 血が、舞ったかのように思えた。




「ばかぁっ!!殺しちゃったの!?」
 勢いよく詰め寄られて、デルムッドはらしくなく慌てふためる羽目になった。
「え、いやその」
 重いだろうに鉄の剣を持ったままの踊り子は返事さえ聞かずにきょろきょろと周囲を見渡した。自分の後方でうめき声をあげながらふらふらと身を起こす男の姿を捉えて、デルムッドをほおってその男に駆け寄る。
 剣をもって。
 顔の近くにつきたてられた刃の感触に目が覚めたばかりの男はぎこちなく震えた。
「ブラムセルの隠し部屋を、知っているんでしょう」
 女は続けた。先程詰め寄った時とは別人のような張り詰めた声だった。
 あの瞳は、デルムッドは天啓のように気がついた。
 多分あの瞳は、震えているのだろう。
「教えなさい」
 男が呟いた言葉に女は勢いよくつきたてた剣を引き抜いた。間近くで刃が過ぎ去る感覚に情けなくも再度男は気を飛ばす。
 流れるように立ち上がった女は勢いよくデルムッドの方を向き、その名を呼んだ。


 名を。

「アレス!」
 いつの間にこちらにきたのだろう。後ろにいたのは黒い鎧に身を纏ったアレスだった。
「レイリア、良かった。お前は無事だったんだな……リーンは!」
「ブラムセルの隠し部屋よ。ようやく場所がわかったわ……早くリーンのとこにいかなきゃ!」
 レイリアは、そう言って真っ先に駆け出そうとして……漆黒の瞳を伏せた。
「あたし、リーンを助けられなかったわ」
 アレスはくしゃりとレイリアの髪を撫ぜた。仕草はぞんざいだったが触れた手のひらは優しい。
「馬鹿」


 案内しろ、と言うアレスに頷いて、レイリアは駆け出していった。
 残されたデルムッドは、静まった空間にゆらりと視線を投げている。
 空気に触れて、鮮やかさを無くした固まり。











 あの娘は。デルムッドは思う。
 あの娘は結局、あの剣を手放すことが出来なかった。



「レイリア、どうしたその剣は……抜き身を持ったまま走る気か」
「あれ……そのまま、持って来ちゃったんだ」



 人の血にまみれて。
 彼女は、血を舞ったかのように思えた。
 人を斬った剣を握って、離す事が出来なかったけれど。


 彼女の感覚を、忘れないでいたいとデルムッドは思う。



「どうして、離せないのかしら……」


(震えているからだよ)





 人を斬るのは、怖いのだ。















 (03/02/21)