その右手には光を宿す剣 その左手には人の叡智 その身に王への道を宿した
私たちの王子
自分勝手に清らかに、光を求めていた
リーフ王子という方を、私は物心つく前から傍にいて知っていた。 大地の色をした柔らかな髪に、ガーネットの強い瞳。 たくさんの時を共に過ごしてきて、遊んだりもしてきた。けれど思い返してみると笑顔は印象に残らない方だ。 赤い瞳を苛烈に燃やして、純粋に正義を志し、信念と共に敵を討った。 夢を抱き、弱きを憐れみ、強くあろうとするお方。
いつしかその道は光に包まれ、広く国を治める人となるでしょう。 (そして、私たちの害毒を知らずに進んで行って)
「リーフ様は、いずれトラキアを統一するお方」 幾度となく言われた言葉に、私は頷く。 私と父はリーフ様をお守りする最後の剣と盾であり、決して裏切らず尽くすための騎士であると。それは終わりの見えない逃避行の中、主のいない場所で繰り返してきた誓いだ。 父はレンスターの復興を切望し、トラバントへの復讐を請い、ブルームを厭うた。 当たり前のようにそれをリーフ様にもお伝えしたが、既に母ラケシスもおらず、アルスター、フレスト、ターラと過ごしていくうちに主の周囲にいるものは私と父のみであり、父であり母であり第一の臣下であった父、フィンの言葉はあまりにリーフ様に反響しすぎた。 父の中の騎士が主を操ることを声高に禁じたためか、父はリーフ様の前でそれを言葉にはしなくなった。 年々フリージに侵食されてゆく北トラキアへの悲しみを、かつて憎しみを向け合ったトラキアへの憎悪を、故に父の口からは終ぞリーフ様には伝えられなかったのである。
各地の賢人は憎悪よりも和を唱え、他愛無き復興よりもその先にある安寧を説いた。 逃亡の中で冷えるトラキアの夜を宿もなく過ごす人々の姿を見、荒れた大地への失望を知り、かつてトラキアの領でありながらいまや帝国領であるフィアナに落ち着いたのである。 リーフ様の中で、トラキアへの憎悪が生まれなかったのだとしたら。 そう、フリージへの憎悪が生まれないのもまた道理であった。 彼らが、どれほどレンスターの遺児を恐れていたとしても……。
ならば、と父は言う。 リーフ様はいずれトラキアを統一するお方。 では我々が、その害毒を抱えていれば良い。
けれど、いつしかその害毒は私たちの周囲のものではなく。 私たちのものと成り果てていたのである。
「フリージの……ああ、ティルテュ様の息子という方ですか?」 マンスターでセリス公子の軍と合流した際に聞いた、メルゲンやアルスター、コノートにおける最大の功績者。並み居る敵兵を蹴散らし(実際には無視して敵陣へと駆け込んでいったのだと後に聞いた)イシュトーとブルームをその手にかけた人物、それがアーサーである。 シグルド公子と共に戦場に上がったというティルテュ様の息子であった。逃亡先のシレジアで生まれ育ったというその人の姿は、フリージの血を継ぐものとして当然のように銀をまとっていた。 だが、コノートの後始末も任されていたという彼が合流したのはつい最近。リーフ様がその名を上げる理由が見当たらず私はいぶかしげに問い返した。 「その方がなにか?」 「オルエンやアマルダが彼の話を聞いてね。私に紹介を頼んできたんだ」 彼女たちはフリージの騎士だろう、とリーフ様は言う。 「私はトラキアにおける帝国勢力を払った後、セリスにグランベル奪還の協力を申し出たい。その前に彼女たちをフリージの後裔に返す良い機会だろう」
正当なる主が見つかってよかった、とお笑いになるリーフ様。 それはオルエンたちも喜びましょう。 そう言って私も笑った。
所詮、フリージ。 血族を尊び盲目に仕えてトラキアを蹂躙してきた者よ。 恩に報い尽くすこともできないのでしょう。
「ナンナ!ティニーを知らないか?」 トラキアに入り進軍を続けて幾日。遠くにアルテナ様の姿を見られたときから、リーフ様はいっそう万技に修練をと没頭していた。 幼い頃より武術に関しては腕を磨いてらっしゃったけれども、セリス公子と合流なされた頃からそれは魔法にまで手をお伸ばしになったのだ。神々の血を引くもの達が多く参戦する中、リーフ様は学ぶことに余念がない。 リーフ様は、ティニーに雷の魔法を教わっていた。
始めは、彼女からの言葉が原因だったのだ。恐れ多くもリーフ様に剣を教えてはくれないか、と頼んできた時だ。後にそれを聞いた私と父は言葉強く言ったもの。 「フリージ公女と親しくなさることは、臣下の反発を招き、ひいてはトラキア統一への難事ともなりましょう」 それに対して、リーフ様は瞳を燃やしておっしゃった。 「私は、過去の悪癖を背負った王になるつもりはない」 そうして、自分も雷の魔法を教わるのだといったリーフ様にそれ以上何が言えよう。後方に控えたアウグストは常の険しい顔にわずかな満足感を刻み、父は主の言葉に打たれたように跪いた。 トラキア統一は、マンスターを開放してから鮮やかになった夢だった。アウグストは語る、時代が王を求めているのだと。 私は静かに膝をつき、短い謝罪を述べた。 そして、リーフ様はありがとうとおっしゃる。
「先ほど、中庭の方で見ましたが」 「そうか。ありがとうナンナ!」 右手に持たれたエルサンダーの魔術書にリーフ様の格段の成長が見える。リーフ様は旗揚げまで魔法と触れ合うことはほとんどなかった。何が魔法を可能とさせるのかは、私にはわからないけれど。
中庭の方に駆けていくと、ティニーが呼び声に振り返った。リーフ様の姿にほっと微笑む。 以前は、お姿を瞳に映す度にびくりと身体を震わせていたというのに。 蝶よ花よと育てられたわけではないことを知っている。だが梳られた美しい銀の髪をまとめて花のように微笑む少女。 華奢な身体は可憐と呼ぶのが相応しく、細い指は血に濡れるには似合わない。
「それでは、私は治療のお手伝いに……」 「ああ」 振り返って微笑んでくださるその姿は銀色の少女の方へと歩み寄っていく。私はにこりと微笑んで「無理はなさらないでくださいね」という。 背中に聞こえる鳥のさえずりのような声。 「リーフ様」
ああ呼ばないで、その口で。 家族の行為を止めもしなかったその口で、私たちの王子を呼ばないで。 どうして今更共に歩む。 何が主を捕らえようとしていたか、いと近くでご存知でしょう。
姉上、と呼ぶ声にリーフと答える声がある。 トラキアとの戦いで、発見された姉姫アルテナ様。命を落としてらっしゃるのだ、と心の支えになることもなく。 ぎこちない姉弟。それでもリーフ様は嬉しそうであられた。 「姉上は、アリオーン王子を兄のように慕っていらしたとハンニバルに聞いた」 物思いにふけるように、悩んでいらしたリーフ様。 「……その方と戦おうというのは、姉上にはお辛くいらっしゃるだろう」 「アルテナ様と、お話なさってみたらどうでしょう」 そうだな、と意思強く輝く瞳を私は眩しげに見つめるのだ。
リーフ様、その方は幼いころを過ごした幸福も忘れ、トラキアの中で王女として育てられてきたのです。 貴方が帝国の追っ手の中息を吐きながら走っていた時に、トラキアの飛竜で美しき大地を眺めていたのです。 幾度言われたことでしょう(アルテナ様が生きていれば) その身に刻まれし聖痕が、果たして人を殺す以外に何の役に立つというのでしょう。 私は嫌だと駄々をこね、静止の槍にもならぬ地槍。
(止めるカリスマさえない方が)
そうして、貴方を選んでおきながら。 こうして貴方を悩ませる。
リーフ様、お進みください。時代が導く貴方の道を。 光と貴方が呼ばれるように、剣は貴方を示すよう。 光の剣は敵を切り裂き、一滴も血を残さずに収められる。 (今ではそれが魔力のためと知っているけれど)
かつて私はそれを見て、主の心と信じていました。 今でも私は疑っています。 それは私のエゴかもしれぬと。
光り輝く王子であれと、願う私のエゴなのではないかと。
リーフ様、私たちの王子。 優しい人。 高潔な人。 輝く夢を持ちながら、貴方は闇にも手を伸ばす。
(だからどうか、私たちの害毒にも気がつかないままでいて)
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