危ないよ、エフラム

柔らかな声に顔を上げて、今触れようとしているものに視線を投げた
不味いのか?
毒だよ
毒の草
……確か、近くに毒々しい色をした本株があるんじゃないかな


果たして、やはり本株はあった

お前は凄いな

そんなことないよ……





毒に関わるアナリーゼ
02:エフラム






「カイル?」
 呼びかけられて青年ははっと顔を上げた。視線の先に金の髪が踊る。
「どうしたんだ?ボーっとして」
 まさかフォルデにそんなことを言われる事になろうとは。カイルは己を戒めるように軽く頬を叩いた。目の前の親友は最近めっきり怠け癖がついているのだ。
 フォルデは先の騎士隊長の子息で、本人もこうして騎士として仕えているし、弟のフランツも士官学校に通っている。だから家は厳格かと思えばそうでもないらしい。
 学校に通っていた頃は誰よりも模範生をやっていたという記憶のあるフォルデだ。
 実際同時に見習い騎士となったカイルよりも、フォルデのほうが上から目をかけられるのは早かった。王子の傍付きに選ばれたのだ、誰から見ても先の将軍職を展望に入れられたのである。
 カイルは親友に嫉視を抱いたことはなかったが、自分の忠誠は認められていないのか、と悔しく感じたのを覚えている。フォルデは傍付きになってからどこか怠けているので尚更だ。
 今日は、それがようやく報われた日だった。カイルもまた、王子の傍付きに選ばれたのである。
 カイルは感激と光栄さに胸を一杯にしていたし、これから一層王家に仕えていこうと誓った。


 だが。

(疲れた……)
 王子エフラムは見習いの頃から姿を見かけたことがある。週に一度、上級指南のある日にだけふらりと現れて、何気なく騎士達の中に混じっているのである。
 勿論エフラムの碧の髪はよく目立つし、それでなくとも匂い立つ高貴な気配に父王譲りの覇気は見逃すものではない。存在感に溢れているにも関わらず、エフラムが武具の香りに包まれていることは、幼い子供だと言うのに極当たり前かのように受け止められていた。
 エフラムの武術は幼いながらも目を見張るものがあった。力がまだ明らかに足りないが、それを気迫が補うかのようである。
 だが当然、エフラムと彼ら見習い騎士が手合わせをするようなことは全く無い。よもすれば見習い達を圧倒することさえある王子の指南役は、手加減できるだけの力量があるものに限られていた。
 だからカイルもかの王子を間近で見たことは無かった。


 傍付きに任命されてから一週間。
 室内に収まることなくひっきりなしに足を伸ばすエフラムに着いていくのは大変だった。
 早駆けの練習よりよほど厳しい山道を馬で走らせることにもなったし、偶然出くわした山賊相手に対多数の修練を積まされた(あの時は小さなエフラムが真っ先に狙われるので冷や冷やした)
 偶然見つけた花畑で「お前花冠は作れるか」と言われたときは、数理の授業よりも頭をひねる羽目になった(辺りを見渡して合流したフォルデが一瞬で作った)完成品はエイリークに渡ったらしい。
 無謀です、とか。
 勉学にもお励みください、とか。
 言いたいことはたくさんあった。けれどもそれを告げるのは主に対して礼を失するのではないかと思って喉でとまるばかりである。


「一週間かな?」
 少し前を歩くフォルデが指折り数えた。
「どうだ、エフラム様は」
「陛下の御子に相応しく、勇猛な方で」
「顔にどうしてあんなに突っ込みたがるんだろうって書いてあるぞ」
「……無礼だぞ」
 フォルデは喉でくっくと笑う。
「面白い人だろ。エフラム様に付いていると退屈することが無い」


 フォルデの瞳には迷いが無かった。
 私の瞳は今どんな色をしているだろう。
 主に対し、忠誠の色を帯びているだろうか。


「あ、悪い。忘れ物。先行っててくれ」
「……たるんでるぞ、フォルデ」






「カイルか」
 ノックをして開閉の受諾を待ち部屋に入ると、王子の声がした。視界には移らない。こっちだ、と私の様子を見て取ったかのように机を前にした大きな椅子の方から手が伸ばされた。
「お解りになりますか」
「足音が解り易いからな」
 王子は珍しく大きな本を開いていた。手元に紙の束が置かれているところから、なんらかの課題か何かだろうか。だが分厚い本のページは始めのほうで、一向に捲る気配が無い。
 目元もどことなくうんざりしたような色が滲んでいて、この方は本当に外に出かけるほうが楽しいんだろうな、と思わせる。
 分厚い本。
 ふと疑念が生じた。辞書が無い――。


コンコン

「入れ」
「失礼します。エフラム様、甘いものをお持ちしました」
「よし、休憩するか」
 王子は数ページしか捲られていない本を閉じた。その間に私はメイドから菓子と紅茶を受け取りに行った。
「お二人の分もお持ちしましたので、どうぞお召し上がりになってください」
「お気遣いありがとうございます」
 メイドは微笑んで私を見上げると足早に扉を閉じた。
「焼き菓子ですね」
 私は一つ手に取ると、素早く頬張った。特におかしな味はしないように思える。どうぞ、と示したが王子は微かに眉を寄せた。この方の気性からして、毒味をされたのが不快であったのだろう。私とてルネス王城でそのようなことがあるとは思ってはいないが。
 焼き菓子は見事な出来栄えだった。ルネスは平和だ。


「カイル!」
「はっ」
 焼き菓子を一欠片かじった王子が唐突に声をあげたので、私は咄嗟に礼をとった。王子は、一瞬何か考え込んだ様子である。
「美味いな。カイル、それ以上食べるな。俺によこせ」
「はっ」
 王子は私の焼き菓子の器を手元に置くと、むしろゆっくりと食べ始めた。
 しばらくぼうっとその様子を眺めていた私は、手足から感覚が失せて崩れ落ちていたことに、ようやっと気がついた。
 知覚だけは鋭敏で、王子の手先から力が抜けていくのを見守っている。




 ……深碧の瞳が閉じられたのを見定めたかのように、扉がキィ、と開いた。





「……効いてるみたいよ」
 現れたのは先ほどのメイドだった。後ろにルネスの使用人服を纏った男を連れている。
 どこか薄暗い瞳をした男だった。
「エフラム王子で間違いないな?」
「確かよ。……ねえ、殺さないって本当よね?」
「多分な」
 手が。手が動かない。足もだ。動け!動け動け!
 意識が憤怒で支配される。この無礼な侵入者を一刻も早く退去させなくては。何より自分への怒りで憤死しそうだ。
 メイドが諦めたように嘆息した。「約束だからね」
 抱えた荷を解くと、それは女物の衣装のようだった。彼らは王子を連れ去るつもりなのだ。まだ幼い王子を意識を失ってる間に飾り立ててしまって昏倒した貴人、でまかりとおすつもりなのだろう。
「申し訳ありません。エフラム様……」


 言葉は最後まで続かなかった。

 恐ろしく早い掌打が伸び上がるようにメイドの顎を揺らした。故意に脳震盪を起こされてメイドがくたっと気絶する。
 倒れたメイドを受け止めて、自分の代わりに椅子にもたれさせた。碧の貴人は瞳に炎を浮かべながら使用人を、いや侵入を果たした間者を睨み付ける。


「何故」
 間者の声は掠れていた。


「ネトリシカ、だったか。
 多年草でルネスの極地にしかその姿は見せない。効力は遅効性の弛緩剤。
シナモンの香りと酷似しているから混ぜれば解りにくくはなるな。
 完全に麻痺をさせるには5g以上の服用量が必要……だったな」


 室内に立てかけてあった棒……王子の背丈とに合わせた槍の長さ……を手にとって、王子は半身で構えを取った。しばらく前から王子は槍を集中的に修練している。
「逃げるなよ。声を出すぞ」
 後ずさった間者に笑ってみせる。それは、傍の私から見ても魅力的で、今日一番に楽しそうな笑いだった。
 懐の刃を抜いて飛び掛ってきた名も知らない男を相手に、王子は瞬く間に始末をつけた。


 カラン、と棒を立てかけると、何を思ってか間者の懐を探る。
「……よし。多分これだ」
 部屋に元々ついていた水差しをとると、王子は私の元に歩み寄ってきた。


「飲むんだカイル。ネトリシカは雌株を精製したものを摂取しないと麻痺は一週間続く。……飲めるか?」



 粉薬を飲み干した私の横で、物問いげな視線に王子は短く返答をよこした。
「エイリークと違って、俺は毒には慣れている。幼い頃から様々な毒を身体に入れてきたからな」
 コルチカム・アウトゥムナーレ、ストロファンツス……。王子は指折り数え上げた。いくつかは私も知っている、どれも致命的な場面を作り出しそうなものばかりだった。
「……勉強は……お嫌いなのかと、思って……おりました」
 ようやっと口が動くようになった私を見て取って、王子は軽くベルを鳴らす。直ぐに人がやってくるはずだ。
「本は苦手だ。だが学ぶのは嫌いじゃない」
 手から水の残ったグラスを奪い、王子はサイドテーブルの上に置いた。
「無味無臭と銘打つものにも若干の違いがある……文字の羅列ではないからな。覚え易かった。
 リオンのように口に入れる前に解ればいいんだが。生憎味で覚えている」
「申し訳ありません」
「なんだ?」
「……解毒剤を手に入れるために、あえて服用なさったのでしょう」
 王子は軽く首を振った。そんなことはなんでもない、とでも言いたげに。
「目的は二つだ。解毒剤が手に入る、間者が捕まる。問題なしだな」
「エフラム様……」


 年若い王子は一つだけ残った菓子におもむろに手を伸ばし、止める間も無く口元に運ぶ。
「エフラム様、いけません!」
 少年の喉が嚥下した。王子はニッと笑って見せる。


「俺は負ける戦はしない」

 お前は毒味をするなよカイル。
 俺はいい。慣れてるからな。











 この方が私の永遠の主君。
 偉大なるルネスの玉座につくお方。


 お守りしようと思った。
(毒など慣れてる、と笑うことが無いように)


「緊張が解れたか?」
 口うるさくなった私を評してフォルデがからかう。






 カイルは今でも思い出せる。
 あの時のエフラムの微笑みは、どこか苦いものだった。