ねえ、貴方はまどろみの恋だと笑うけれど





千年の恋





「エルフィン!」
 幼さを思わせる高い声。跳ねるように駆けて来た呼び声に金糸を纏わせた佳人はゆっくりと振り返った。
 駆け寄った幼い娘は青年の手に頬を寄せて笑ってみせる。
「ね、わかる?ファだよ!」
「ええ、解りますよ。ファ」
 美しい容貌を穏やかに滲ませると、ファと呼ばれた娘は嬉しそうに笑う。
「向こうにね、綺麗なお花があったの。匂いもいい匂いなの。エルフィンも一緒!」
「それは楽しみですね」


 穏やかな光景である。
 それを、数名の男女が見守っていた。群緑の髪を流した女性と、黒衣の騎士。そして金色の貴公子である。
 一人は見透かすように、一人は無表情で、一人は戸惑うように。


「茶番だわ」

 セシリアは険しい瞳で断言した。





 金糸の長髪に伏せ気味の翠の瞳。西方の厳しい気候の元にあっても、それを知らないかのように白く澄んだ肌。元来がっしりとしていたわけではない身体は、毒に蝕まれたせいかどこか儚く華奢である。たっぷりとした布を使ってそれを誤魔化している吟遊詩人。
 全くよくやれたと思う。確かに王宮において”彼”の芸術への理解はなまじの詩人よりも深いものではあったけれど。
 竪琴よりもずっと、その天上の楽器を鳴らしたような涼やかな声がそれを可能にさせたのだろう。命令に馴れた確かな確信を覚えさせる旋律であったから。


 エトルリア軍の軍師を務め、戦の合間に楽を鳴らす。エルフィンと名乗る男の正体は、実はエトルリアに唯一の王子である。本来の名をミルディンという。

 奸臣によって毒を盛られ、静養と己を守るために国を離れていた王子の既知を知る者は少ない。この場で穏やかな光景を見守っているのは、その限られた一部であった。
 魔道軍将セシリア。騎士軍将パーシバル。リグレ公将クレイン。


「……どうして僕らは、ミ……エルフィン殿を見守っているんでしょう」
 溜息をつくようにクレインが呟いたが、セシリアは表情を崩さないまま答える。
「監視しているのよ」
 取り付くしまのないセシリアの様子に、クレインはパーシバルへと視線を向けた。
「将軍……」
「…私に聞くな」
 パーシバルにしても、自分達がこうしている理由が何故なのかなどわからない。
 旗下に入ったものへは常に警戒は怠らず、須らく裏は取っている。だがそれは他ならぬエルフィンの指示であり、また、見た目は幼い子供にしか過ぎない娘の相手をしているエルフィンに対して、ここまで神経質になる必要はあるのだろうか。
 勿論パーシバルは王子の騎士であったので、王子の護衛をすることに対しては異論はない。だが、当のエルフィンからは無碍なく拒否された。曰く、お前のような無表情の長身が立っていたら怖がられる。
 それはつもり、ファに、ということだろう。
 少女が竜であるということはエルフィンを通じて知ってはいたが、彼女は身体も心も幼い子供なのである。


 姦計とも軍略とも無縁に、幼い子供と美しい自然とに囲まれている。
 その姿は騎士としては心をあやふやとさせる行為であったが、それで王子の心が休まるのであれば良いと思う。パーシバルはこの件に関しては、全く持って愚直な騎士と呼ぶに相応しかった。


 気のない表情をセシリアは咎める。だが、直ぐに呆れたような表情をのぼらせてセシリアは花を見つめる二人を見た。ああ、全くもって茶番だ。あんなことは許されない。

「例えば」
 セシリアはエルフィンを指差して言った。
「エルフィン殿が、サウルだったらどう思いますか、パーシバル将軍?」
「神父殿であったら……」
 何処となく犯罪めいた空気を感じて、パーシバルは押し黙った。時に酷く神聖不可侵のように思わせる神父は、だがこの手のことに関しては、全く持って信用に薄い。
「……エルフィン殿は、神父様とは違うと思いますが」
 クレインの現実的な意見に、だがセシリアは首を振る。
「同じよ」
 セシリアの視線の先には、二人の姿が映っている。どのように互いが映っているのかも、彼女にはわかるのだ。






「じー」
「こんなひっそりと咲いた花を、よく見つけることができましたね」
「かくれんぼしててね、見つけたの」
 それは、岩陰に咲いた小さな花だった。噎せるように甘い香りを放っている花で、嗅覚に鋭いファはそれによって引寄せられたのかもしれない。
「本当はね、エルフィンに持っていってあげようと思ったの。でもレイに怒られたの」
「花の盛りは短いですからね」
 青年は、綺麗に微笑むと短く感謝の言葉を述べた。
「連れてきてくれてありがとうございます、ファ」
「短いの?」
 砂漠に育ったファは、こうした花を見かけたことがなかったのだろう。不安げにそう聞いてくる。
「ええ。一週間も持てばいいところでしょうね」
 誤魔化す言葉も思い当たらず、見る見るファの表情が曇っていく様子に困ったようにエルフィンは言う。
「どうして、ずっと咲かないの?」
 じっと己を見つめてくるファに、エルフィンは気がつかない振りをして囁いた。
「花は、私達よりもずっと短い生を持っているからですよ」
 その中で、精一杯生きているのです。
 そう続けたエルフィンの眼を見つめながら、ファは残念そうに息を吐く。


「じゃあ、ファがずっと覚えていてあげる」

 エルフィンは優しく笑って、ただ髪を撫でただけだった。
「ファは優しい子ですね」


 優しい嘘つきなのは、エルフィン。





「これはセシリアさん。このようなところでお会いできたのは何かの運命。どうでしょう、一緒にお茶など……」
 パーシバルのこめかみを抉っていたセシリアは、穏やかな声に顔をあげた。
「少し機微のわかる人が来たみたいね」
「光栄です」
 セシリアはパーシバルを解放すると、サウルに温情の欠片も捧げずエルフィンとファの方を示して見せた。悲嘆にくれるサウル。
「サウル、貴方はどう思うかしら?」
「ファが、綺麗に見えますね」
 パーシバルとクレインが、揃って不審げな目をサウルに向けるが、神父は一向に気にする様子はない。
「そうよ」
 険しい視線を崩さずに、セシリア。
「あの子は……恋をしているんだわ」











 ねえ、エルフィン

 どうしましたか、ファ?

 ファはね、エルフィンが大好き

 ありがとうございます









「でも、彼はそれを、子供の気まぐれだと思っているのよ」



「瞬間の愛はお嫌いですか?」
「それは、愛に満たないわ」
 サウルは穏やかに笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「一瞬が、永遠の愛ですよ」


 深青を身に纏った男だった。エリミーヌ教の教えでは、その赤も青も、エリミーヌの慈愛の象徴だと言う。
 聖職者に配給されるまっさらな法衣はよもすれば生半可な貴族が纏うものよりも高価で稀少であり、その色はどれだけ汚れようと色褪せないという。
 それと同じように、私の愛も褪せることがないのだというように、神父は続ける。
「瞬間でも繋げることのできた想いは、素晴らしいと思いませんか?」
 ねえ将軍、と誰に相槌を求めたのかもしれないような声音。
「誰かを愛した、愛された記憶こそ、人を救う唯一のものなのですよ」
「だから貴方のお誘いは、誰にも応えられないのよ」
 心外です。とよよ、とよろける神父。
 人が欲しがる温もりを与えて、女が欲しがる永遠は与えようとしない男。
 セシリアは二人の姿へと視線を戻した。その光景は、彼女には酷く滑稽なおままごとに見えていた。


「貴方と同じよ。……彼も貴方も、女の恋心を馬鹿にしているんだから」

 サウルは曖昧に微笑んだ。










「あ、ちょうちょ」
 途端走り出したファに対して、エルフィンは優しく「転ばないようにしてくださいね」と声をかける。
 ひらひらと視界を染める影に視線を奪われながら、ファは綺麗に響かせて、消えていくばかりの声を思った。
 ファがエルフィンを好きだと言う度に、柔らかく私もですよ、と綴ってくれるあの声音。




 あなたは死んでしまうだろう。わたしが大人になる前に。
 あなたは忘れてしまうだろう。わたしが会いにゆかなければ。


 けれども、だからと言って、忘れてしまう必要などないのだ。



 優しくて、綺麗で、残酷な嘘つきのエルフィン。










 ねえ、エルフィン。
 貴方はわたしが1000年で何度だって誰かを好きになるだろうと笑うけれど。


 この想いは、一万年に一度の恋なのよ。















 (05/06/26)