「強いですよ」
何度目か――何十度目かの青年の敗北を見て、 これはもう、一生勝てないんじゃないだろうかとか。 情けない奴だ、とか。 ふがいない、とか。 そんなことばかり考えていたらふと声をかけられた。
こてんぱんに負かしておいて、真面目な顔をする。 「デルムッドは、強いですよ」
見えない剣
それはイザークの双子の訓練を眺めていたときだ。 手合わせをしたことも一度だけある。解放軍の死神と呼ばれる彼らに、鉄の剣一本の勝負においてアレスは3本中2本をとられた。 どちら3本目であり、剣の腕というよりもスタミナを量ったような結果が少し面白くないが。 双子は手合わせを終えた後、素直にアレスの強さを認めていた。だから、互いにそれなり……とか認め合ったぐらいのものだろう。 双子はアレスとは仲が良くない。 セリスの私的な護衛役(実際には戦場では二人はほとんどセリスの横にはいないが)かのように常にセリスと共に一人はいる双子は、セリス憎しと声高に叫ぶアレスがさぞかし気にかかっていたに違いない。 だから、ナンナから受け取った手紙で一応誤解が解けた後、彼らと交わした一度だけの手合いは関係緩和、という意味が強かった。 こうして手合いを眺めているのもそのためだ。 本題に戻るが。 アレスの従兄弟であるデルムッド。彼はそれなりに忙しい立場にいる。オイフェと共に各地を回って集めた騎兵は、半分はデルムッドが統制していたからだ。 アレスがややこしい諸事をしようとしないので、彼の分も背負っている。 それなりに忙しい立場にいる彼だが、それでも毎日必ず双子のところにやってきている……というのに、アレスはようやく気がついたのだった。
デルムッドは従兄弟である。 副官のように諸事もこなす。 いろいろ口うるさいが、大概においてアレスの主張は良いように取り計らってくれる。 わりと、人望もある。 だが乗馬はそこそこでも剣の腕はいまいちだ。 アレスのデルムッドへの意識は常にそこに落ち着いた。 理由は単純に、撃墜の数である。 デルムッドは回り込んだり囮になったり、間接的な役割が多いせいかこれまでに目立った「戦果」に欠けるとアレスは思っていた。 アレスが加わってからは、前に出やすいアレスをフォローするために前線に出ているはずだが、やはりそういう話は聞かない。 双子との訓練を見るようになって……それは剣の腕が劣るためだと改めて思っていたのだ。
瞬きの間にラクチェが剣をはねあげ、デルムッドの剣が飛んでいく。 あれは剣をしっかり握っていないからかと見えるが、ラクチェの剣の僅かな角度が一番の原因なのだ。 「ほら。精進してよねデルムッド」 尻餅をついていたデルムッドを見下ろしてラクチェは剣を軽く振った。傍で見ていたスカサハが無言でデルムッドに手を伸ばす。 ほんの少し苦笑いをしてデルムッドはその手をとった。 「剣を振りぬくときに……力が抜けてるんだ」 起き上がった様子を見てそうスカサハが言った。戦のとき怜悧なほどに鋭くなる表情は今は穏やかに保たれていた。 「そうだね……振り抜きのときの力か。明日の俺はもっと強いからね」 それはお互い様だとラクチェが挑発的に言った。どうやらここで終わりらしかった。デルムッドと双子の訓練は、彼らの剣の鍛錬の終わりに行われるものだからこれで終わりだ。 アレスは木を背にしながら、穏やかになった空間にいるのが居心地が悪くその場を去ろうとした。
ふと、視界に入ったものがある。 それが何故目に飛び込んできたかは今でもわからないし、分かる必要もない。 「デルが10強くなる前に、私が100強くなるんだから」 そのほころび出た笑顔がデルムッドに向けられているということは、随分アレスを驚かせたのだった。
デルムッドが去って、アレスはこの場を去るタイミングを失ってどうしたもんかと視線を泳がせた。 目が合った。ラクチェだ。スカサハは剣の目打ちが悪くなっているらしくその場で軽く直しを入れている。 紫紺の瞳でじっと見つめ返されると落ち着かなくなる。それでいて「切り裂きたい」ような感覚さえ生まれるから問題だ。あの瞳に映るときは、いつでも剣を持って相対しているときなのだ。 「毎日毎日、飽きないな」 アレスの言葉に、ラクチェは僅かに口を開いたまま黙った。何を言うか思案している顔だった。 「デルムッドのこと……ですか。アレス王子」 「アレスでかまわん。敬語もやめろ……堅苦しい」 実際アレスは敬語や王子の敬称が嫌いだった。別にそんな肩書き生きていくのに何の役にも立たなかった。 ラクチェは戸惑った様子も見せず再度言い直した。 「ではアレス、デルムッドのこと?」 「そうだ。勝てる見込みもないのによくも毎日挑戦にこれるもんだな」 「デルは、人一倍努力するもの」 そう言ったラクチェの表情は存外に柔らかで、アレスは少し意外だった。 デルムッドもティルナノグとやら・・・つまり、初期組みだというのを思い出す。 「弱いんだから、もっと修練を積んだ後に挑戦しにくればいいだろうに」 返事はなかった。だが視線は感じていた。 透明になっていく鮮烈な視線。 これが、元来の彼女の視線だ。……敵を倒すときの視線だ。 何か、言うような気配がする。
「デルムッドは、強いですよ」
だが言われた言葉はアレスをあっけにさせるものだった。 身内ひいきかとも思うが、そんな様子には思えない。ひどく真面目な顔をしていた。 「デルムッドは強いです。……彼が本気を出したら、私は勝てるかわかりません」 スカサハが剣を直し終わって立ち上がった。ラクチェ、と静止したいようなしたくないような声を上げる。 「だが、それにしては戦果が少ないだろう……俺は最近はあいつと部隊が同じだからな。お前たちよりもあいつの実践をみていると思うが」 ラクチェが言いたいのは訓練ではセーブしてしまうとか、そういうことだろうとアレスは思った。 だが、見たところさして変わっているとも思えない。確かに訓練中のときのほうが剣が鈍っているような気はするが。 だから強いというのは疑問だ。そう言いたげなアレスの心を見抜いたのか、ラクチェはその瞳を揺るがせもせず睨み付けた。 ラクチェがそんな意識をさらけ出してきたのを、アレスは始めてみた。あえて言うなら敵意だ。彼女は戦いにおいてもそのような色を浮かべはしない。 「デルムッドが強いから、わからないんです」 わけがわからない。ラクチェの言葉は抽象的でちっともアレスに明確にものを伝えはしなかった。
ラクチェがふと反応を見せた。スカサハが小さくラクチェの手を引いたのだ。「スカサハ」と呟いて、ラクチェは一歩引いてアレスを見た。 「アレス王子、戦うとき何を思いますか」 スカサハが聞いた。落ち着いた低音は感情の起伏を感じさせなかった。 戦うとき、なにを考えているか……なんて、アレスは自覚したことがない。 (あえて言うなら、生きることか) 敵を殺す、というよりもアレスがアレスであるために戦ってきたような気もする。 「俺たちは……目の前の相手を倒すことしか考えていません。大局を見ることは、瞬間の俺たちには必要ないからです」 ラクチェの透明な視線が強まった。これは、彼女が戦いの場で見せる瞳だ。つまりラクチェにとって今アレスが「目の前の相手」なのだろうか。 切り裂かれそうな感覚と、それを馬鹿らしく思う意識。 次のスカサハの言葉を一瞬見上げることで制して、ラクチェは言った。 「デルは、いつも相手を制しようとしてます。それが……彼の剣を弱まらせているだけ」 アレスは反論できなかった。それは、デルムッドと過ごした日数があまりにも少ない……ということもあったが。 むしろ、反論しなかったというのが正しい。 「デルムッドは、強いですよ」
結局、そこに行き着くのか。 アレスは呆れながら苦笑いを浮かべた。 「敬語は使うなといっただろう」 「……申し訳ありま……あ……」 ラクチェは気まずい顔をした。横にいたスカサハは、ラクチェの髪を軽く梳くと「先に行ってるぞ」と足を進めていく。 「……アレス?」 アレスは頷いて促した。 「その……ごめんね。アレスとリーフ王子は、ご両親がシグルド様と親友だと聞いていたから」 どこか言い訳めいた声音だった。既にあの透明な瞳は見えない。アレスは少しおかしくなった。 くっくと笑って、乱暴にラクチェの髪を撫ぜる。ラクチェは面食らったように目を丸くしてから、堰を切ったかのように抵抗し始めた。 「何をするのよ」 アレスの腕に手をかけて、持ち上げるようにどかそうとする。 繊細な容姿をしたアレスだが当然体つきはそうはいかない。ラクチェにとってはそれはかなりの大仕事であった。 アレスは耐え切れないように笑った。 これが敵からは死神とも称される、解放軍の戦女神とは!
「ちょっとアレス……」 「デルムッドについて、お前たちは随分と知っているんだな」 アレスとて解放軍に参加してからは一日たりと視界に入らないことはない見慣れた姿だが、ラクチェたちにとってはもっとなのだろう。 「ええ、そうね……ティルナノグの家族だもの」 特別だわ。と瞳をほころばせていうラクチェ。 「スカサハは双子だろう……同じようなものなのか?」 「スカサハ?……スカサハは私の半身。特別と言っても……やっぱり何か違うかな」
ふと、アレスは聞いてみたいと思った。 「セリスは?」 ラクチェは少し目を見開くと、迷うことなく断言した。
「セリス様は、世界の中心」
それじゃあね。とスカサハの後を追っていったラクチェ。結局訓練所に一人残されたアレスは空を振り仰いで苦笑した。 一先ずは、「特別」の位置にいる従兄弟を追い抜かしてみよう。
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