そうか、君がティニーなんだね 君は俺の妹なんだ
ずっとずっと、探していたんだよ
にいさまは優しい にいさまが大好き
ああ、でもにいさま 私があなたの妹でなければ あなたは愛してくれないのでしょう 私も愛しはしないのでしょう
不問たる理由
「にいさまをご存知ですか?」
そう問えば大抵の者は彼なら・・・と答えた。兄は再会してからほとんどの時間を共に過ごしていたから問うことは少なかったが。 銀紫の髪と整った容姿は視線を引いたし、そのような姿をした者は、解放軍には兄とティニーくらいだった。ティニーが誰かを知らない者も、アーサーと兄妹だというのは容易な想像らしい。 イザーク開放から解放軍に身を置いていたという兄は、魔法にあまり信頼を置かないイザーク兵にも一定の信頼を勝ち得ている。それは操る強大な魔力と引き換えに距離が代償ではあったが、それを気にしている様子はなかった。 実際には彼には他人と関わる気があまりないのだ。とろけるような笑顔を向けられているティニーにはとても信じられないことだけれども。 敵意を含まない乾燥した態度はフリージの血族と知れた後のトラキア出身者との確執を掻き雑ぜて、今では穏やかな信頼さえ築いていると知っている。 マージの軍勢を任されたアーサーは最近忙しいらしく、ティニーもそれを思ってラナと共に薬草を整えたりとしていた。 だが穏やかに微笑む兄の姿はティニーにとったら心の支えで、姿を全く見ないのは寂しい。今日は一日中その姿を探している。
「にいさまをご存知ですか?」 会議室の方で、と教わったティニーはそちらの方へ出向いていった。 会議は既に終わっていたようで扉は開いて、外に控えているはずの護衛の兵の姿もない。ちらほらとその場を去ってゆく姿に兄の姿を見つけることができず、ちらと覗いた会議室の中で一人残っていた青年に声をかけた。 だが、その声に振り返ろうとしているその姿にティニーは小さくこわばった。常の白い装いでなかったから一瞬気がつかなかったのだ。 大地の色の髪をわずかに揺らして、ガーネットの瞳にティニーが映る。 まっすぐ逸らされない瞳には、既に見つめられたことがあった。その時もティニーは凍りついたように兄の後ろで立ちすくんでいたのだ。
リーフだ。
北トラキア全土に賞金首として名が響き、大地の髪にガーネットの瞳と広く容姿は伝えられている。 あ、とティニーは小さく震えた。トラキアの者には良く思われてはいない。だがそこから逃げ去ることはできなくてティニーは映った自分の姿を見つめ返した。 リーフは凍りついたティニーに片眉をあげる。 「アーサーを探しているなら、図書室の方にいくといっていた」 「えっ・・・あ、ありがとうございます」 リーフはまたも眉をしかめた。何か気分を害することをしただろうか。いや、気分を害しているのだろうけど……。 「ティニー、顔色が悪い。どうかしたのか?」 気遣うように目を細められてティニーは驚いた。顔色が悪いということがあれば、まさしく目の前のリーフのせいだった。 「体調が悪いようなら、私が送るが・・・」 「い、いえ。大丈夫です」 勢い良く頭を下げてティニーはその場を駆け去った。なんと無作法な、とリーフは呆れているだろうか。今の姿を見ればヒルダは嘲るように見下ろしてため息をつくに違いなかった。
あの方は私を嫌っていらっしゃるだろうから。 だから、近づかないでおくのだ。
(たとえその口から聞かなくとも)
図書室にアーサーがいる、というのは予想していなかった。 アーサーはああ見えて本が好きだが図書室のような空間は嫌いだ。図書室まで行っても、既に本を借りればその場を去っているに違いない。だが、アーサーはいた。 閲覧所に作られた窓辺で、手に持った本のページを繰りながら視線を落としている。 にいさま、と呼びかけをし損ねてティニーはその場に立ち止まった。
にいさまは気がつくでしょうか。 私の瞳に、気がつくでしょうか。
アーサーはふと顔をあげてティニーを見た。さぁっと鮮やかに幸福そうな微笑みに彩られる顔。 にいさまは素敵。 「ティニー」 アーサーは手に持っていた本を閉じてティニーのほうにやってきた。紅い瞳が愛しげに滲む。この瞳が父に似ているのだということを最近知った。ティニーは、己の血が皇帝の弟であるアゼルに連なるということも知らなかった。 皇弟であるアゼルは、母であるティルテュがそうであったように、シグルドに人質として囚われていた、ということになっている。それが建前であるのか、弟を思う心があったのかはティニーにはわからない。 「面白い本を見つけたんだ。外に出ないか?こんな埃っぽいところにいたら腐っちゃうよ」 おどけながらも本気を込めて言うので勿論ティニーは頷いた。トラキアは気候がいい。外に出て穏やかな日差しの下アーサーと過ごす時間は楽しかった。
城を出て少しはずれた場所に大きな木が立っている。そこはアーサーとティニーのお気に入りの場所だった。綺麗に整備されていたらしく、場所柄から戦闘を免れたために状態もいい。 外の空気を吸って大きく体を伸ばしたアーサーに倣ってティニーも横に座った。木漏れ日がさらさらとかかる。 聞き触りのよい声で、本がゆるりと読み上げられる。この時間がティニーは好きだった。
ティニーは元々このように外で過ごす時間を知らない。 日差しの下で肌を晒すようなことは自殺行為であると散々言われてきたことであったし、アーサーが今話しているような他愛もない妖精の話は無駄だと教わってきた。 それは、全く愚かなことだったとティニーは思う。 自然の存在がどれだけ心を和ませるのかも、妖精の夢物語を聞いてどれだけ真夜中の机の影に魅力を感じるのかもティニーは知らずに育っていたのだ。 それは、あるいはシレジアにいた頃に自分と共に在ったものだったのかもしれない。
アーサーは煌く金の装飾や絹のすべらかな感触、有り余る宝石よりも、よほど綺麗なものを知っていて、それをティニーに伝えていった。 アーサーの口から話される言葉はどれも魅力的でティニーはいつも夢心地でそれを聞いた。実際アーサーの話すことでティニーがその柳眉を顰めることとなったのはフリージに対することだけだ。 兄は、フリージを……いや、フリージ王家を憎んでいる。それは淡白な憎悪であった。
にいさま、フリージが憎くいらっしゃいますか。 フリージのティニーが、もしも妹ではなかったならば。 私も伯父様のように殺そうとなさいますか。
その穏やかな瞳は掻き消え。 冷たい殺意が私を捉え。 私を愛してくれはしない。
アーサーはティニーを想ってくれている。ティニーはそれを十分に知っていた。温かな微笑みも、慈愛を秘めた瞳も、全てティニーに向けられている。 それでも何度も心で問うた。 (ああ、にいさま)
ティニーを愛してくださいますか?
ひゅう、と風が吹いてアーサーの言葉が途切れた。 「風が出てきたな、戻るか」 ティニーはそれを残念に思った。 強くなった風に兄の髪が躍る。それはフリージの色だ。もうじきティニーとアーサーのものだけになってしまう色だ。 それを望みはしないはず(イシュタルねえさまは優しい方)だけれど音を立てて近づいてくる。血族が二人きりになってしまう時が。 ティニーはアーサーが好きだった。 それが兄であるからか、それすら今は考えはしない。 そして妹であるからか、ともそっと心にしまっている。
聞けば答えてくれるだろうに。 私を愛しているのだと。
それを期待しながら否定している。 (たとえ聞かなくとも)
愛も憎しみも何一つ 私は聞けはしないのだ
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