砂漠を進む、天日に晒される 聖石を壊されジャハナは落とされ 二将軍に挟まれた
……目に映ったのは、まず見慣れたフレリアの旗だった
軍神
まだ少年と呼べるほどの人影が、疾走する馬上の後方に乗っていた。 手綱を取っていなければ、主でさえ振り落とされそうな馬上で少年は危なげなくその身を寄せている。 碧の髪が軽やかに躍り、後方に去っていく光景に僅か瞳を細める。
数多く寄せられる視線は疑心、不安、困惑。 それに口の端で笑って見せた。
馬を駆る聖騎士が言葉をかける。 少年はそれに答えながら眼を閉じた。
――ああ、戦場が薫る。
「お兄様!」 ターナが声高く呼ぶのが聞こえた。蒼い空に映える白い翼。 横を進んでいたエイリークがこみ上げるものを隠すように呟いた。
「兄上――」
率いていたのはフレリアの軍だった。 グラド本土に攻め入ると、生死をかけた進軍であると言うのに他国の王子に率いられる。 彼らは一様に国を失った友邦国の王子に同情的だったし、協力し合って攻めてきた国に進軍するのはそれによってもっとも被害を被ったルネス王子は格好の掲げ役だった。 彼らにとって、これはグラドとの戦いであり、エフラムの私的な戦いではない。 エフラムはそれを確認して、自分が私憤や幼い衝動に動かされてはいないと頷いた。既に自分は前線指揮官だけやっていれば良いのではない。ゼトが真っ直ぐな瞳で言う。貴方は、王なのですと。 戦力を吟味しながらフレリアの兵を数えた。可能であるならば、極力フレリア兵は危険な場所には置くべきではない。彼らの最終的な忠誠はフレリアにある。死を天秤に乗せた戦いには最後まで耐えられないだろう。
天幕の下、エフラムはペンで幾つか書き付けた。フォルデが、カイルが畏まる。 フランツがどこか緊張した風情で頷き、ゼトは真摯に頷いた。 ああ、ゼトは気がついているな。 ゼトはルネスの有望な若将軍であった。腕もさることながら機転が利いている。エフラムはさらに何事か書き付けた。彼には、優秀な人材は躊躇い無く窮地へと放り込む節があった。 「エフラム様も参りますか」 カイルが露骨に顔をしかめるがどこ吹く風と言った様子でエフラムは頷く。
「緒戦は圧倒的勝利でなければならない」
エフラムは羊皮紙を広げて視線を落とした。
「私を笑うか」 合流したエフラムに呼ばれて、整った容貌を歪ませる。彼は伝達で全て知っているはずだった。 カルチノで起こした失態。ジャハナを落とされた事。 こうして合流するまでは、考えてはいなかったが。 (ヒーニアス) 一束の書類を放り投げてきたエフラム。 (フレリア部隊の生存名だ。確かに返したぞ) 分厚い束にはほとんど欠けることなく名が羅列されていた。
エフラムはその言葉に不思議そうな顔をしただけだった。 「何故だ?」
左翼、馬を走らせるカイルは表情が芳しくない。左翼と中央が重要なのはわかる。右翼はそれほど兵の数が見られない、フランツに一任したのは彼を育てるためだ。 だが、フォルデと併走させる傍にはエフラムの姿は無かった。それがカイルには不安を呼び起こすのだ。 何しろエフラムは振り返らず前線へと走っていくのだから、怪我などしていないだろうかと。 ふとカイルは気がついた。 エフラムが負けることは、考えていなかった。 「カイル、気が散ってるぞ」 フォルデが声をかける。飄々とした様子には心配は見られない。 「お前は、エフラム様と別行動だというのに平気そうだな」 フォルデはその言葉に器用に肩をすくめると口早に呟いた。 「エフラム様の横で戦えない、って言うのは確かに調子が狂う」 だけど、と続ける表情は硬い。 「ゼト将軍の方が、今回は使えると判断されたんだ。……別行動のうちに腕を磨きたい」 カイルの表情が、気がつきたくないことをいう、と歪んだ。常なら共に走ることを許されたはずだ、エフラムがいるのは常に最前線、もっとも危険な場所。……それでいて、もっとも安全な場所。 ゼトと共に戦闘を走るエフラムが連れて行ったのはフレリア軍だった。少し距離を置かせた進軍が、最前線の危険と安全を分ける線である。 後方から高らかに詠唱が聞こえる。魔道の発現。 カイルは唇を噛み締めると槍を握り締めた。もっと、強くならなければいけない。
「何故?」 鸚鵡返しに問うたのは皮肉が混じっていたかもしれない。 エフラムはこんな平然とした顔をして静かに己を責めているようで、軽く焦燥が沸き立った。 「……カルチノの話は、聞いているだろう。私の失態だ」 「聞いている」 だが、それが何だ、というような顔だった。 それに苛立っていると、エフラムは少し眉を顰めて聞いた。 「俺が責めると思ったのか、ヒーニアス」 かっと顔が紅潮するのを感じて瞳の険が増す。
エフラムは何一つ責めやしない。 ……責めたのは、ルネス落城後の己だった。
「……来るな。ゼト、少し走りを緩めろ」 疾走する馬上だった。ゼトがこうしてエフラムを後ろに乗せるのはこの度の戦で大分慣れた。本来は後方にいて欲しかったがエフラムはそれで納得はしないし、主命だと思うと頷かずを得ない。 馬上で槍を振るうことに慣れていないエフラムは、戦場に馬を持ち出さない。それだと移動に劣るので、こうしてゼトを乗り物代わりにしているのだった。 そうして思ったのは、エフラムは戦場の香りさえ判断要素にしている、ということだった。
まだ何も見えない視界でエフラムが呟いた。閉じていた瞳を開き、おそらく炎のように燃えている。 「はっ。……まさか、止めずに降りるおつもりですか?」 エフラムは何を今更、と言った様子で首をもたげた。よくもバランスが取れるものだ、軽くゼトの鎧に手を置いて馬の背に立ち上がる。 何を、と言おうとして止めた。エフラムの様子は、そのままでは格好の弓の的だ。 「ゼト」 言葉を止めたのは、名を呼ぶ響きである。 敵兵の姿が見えた。口々にエフラムを指差して騒いでいる。
「後ろに流すのは兵卒のみだ。いいな」
肩に重みがかかったと思った瞬間、跳躍するエフラムの姿が視線に入る。全身をバネのように跳び上がり、衝撃を緩和して大地へと降り立つ。緩和しきれない衝撃が音を立て、土埃を巻き上げた。 躍動溢れる着地とは裏腹に、槍を構える姿は流麗だ。 「かかってこい」 殺到する敵兵を物ともせずに槍を操る、それは伝説に語られる英雄の姿を髣髴させた。 僅か苦笑すると、口元を引き締めゼトは同じく敵兵の只中へと突っ込んでいった。
これは、デモンストレーションだ。 フレリア兵を飲み込むための。
エフラムの戦い方は、おかしい。 一国を担うものとしてはありえない戦い方なのだ。エフラムは後方に構えているべきだったし、カイルが唱えた総指揮官は後方に、と言うのは当然の考えであり、王位継承者の義務である。 だがエフラムの軍は本拠地が無い。当然だ、総指揮官が最前線にいるのだから。それでいて全体の視野を捨てることなく伝令に口々に指令を発するエフラムの姿は、どこか気違いじみているとさえ思う。 「王とは」 全ての兵はエフラムに引きづられた。 あの男は良くも悪くも惹き付けてならないのだ。逡巡しがちな新兵さえ果敢な勇兵にしてしまうのは常に正しいとはいえない。 「王とは、学者より頭がいいわけではない。文官より政治が上手いわけでもない」 エフラムは、頭が悪いわけではない。政治が下手なわけでもない。当然、学者や文官には適わない。ヒーニアスと比べてだって見劣りする。 「将軍より、強いわけでもない」 王に必要なのは一騎打ちの能力だった。国の威勢だ。 敵の只中で持久戦を強いられるなど、王にあってはならない。 だがエフラムは強かった。率いる軍で最強を唱えてよいほどに。それでいて天性の戦場の勘は冴えていて、戦場はエフラムを中心に回る。
「王の義務とは……生き残ることだ。何を犠牲にしてもだ。お前だって、ことごとく兵を失ったとしても、生存して帰って来た……エフラム!」
だが、エフラムとヒーニアスの戦い方は違う。 エフラムは最前線に身を置く王だった。それでいて、死ぬならば最後に死ぬだろう。
「……あっ」 槍を振るう視線の先に遠く前線が見えて、アメリアは思わず声をあげた。隣で馬を翻していたフランツが視線を向ける。 「どうしたんだい、アメリア?」 「フランツ。……ううん、前線が見えただけなの」 「前線……ああ、エフラム様か」 フランツの口ぶりはどこか誇らしげであった。右翼が大分片付いたのでアメリアはふう、と汗を拭きながら前線を見つめた。 エフラムの姿は、遠目にも目立つ。 それは変わった色合いの髪とか質のよい鎧とか、そういうのが問題ではない。あの人は目立つ人なんだ、とアメリアは思った。そういう人はたまにいるのだ。立つだけで何か違う人は。 アメリアがずっと認識していた”エフラム王子像”を聞いて、呆れた顔をしていた。 槍を取るのに震えているような新兵だが、グラドの兵士だ、と言い切った自分に槍を向けた様子は真剣だった。おそらくあの時アメリアが震えもせず槍を握り、討ち入っていたらエフラムはアメリアを倒しただろう。アメリアがグラド兵だと認めて。 こんな新米兵士に、グラド帝国がおかしいと思うか、と問いかけた。
視界の先には、エフラムがいる。 「ねえフランツ、どうしてエフラム王子は最前線で戦うの?」 前線には、自分達のような兵卒を並べるものだ、と当然のように言い放った隊長がいる。 「僕も、どうしてだろう、と思ったことがあるよ。エフラム様を危険に晒さないことが、僕ら騎士の役目なのに・・・って」 でも、とフランツは続ける。
「あの人が戦っている姿を見続けて、疑念は忘れちゃったな」 行こう、この場は片付いた。 フランツの指示で右翼の軍が作戦通りに動いていく。アメリアはその中で駆けながら思った。それが怖いのだ、恐ろしいのだ。 これはグラドの民だから思うんだろうか?
エフラムを見ていると、心酔しそうで怖いんだ。
「悔しいのか、ヒーニアス」 憎らしいほどにエフラムの声音には激昂だといった色彩がなかった。エフラムは――少なくとも自分が見た中では――動じた様子を見たことが無い。 違う、と否定しようとしたが言葉にならなく項垂れる。
カルチノで。
伝達に出した兵以外は、フレリア兵は全て命を落としていた。 ヒーニアスを庇ったのだ。
エフラムの逸らされない視線が痛い。けれども深い瞳を合わせた。俯いていると負けた気がした。
「フレリア兵を一割も減らすなど、どういうことだ?」 「すまなかった、ヒーニアス」 謝罪したエフラムは本当に申し訳なさそうだったので、ヒーニアスは少しだけ笑った。
(本当は、感謝を告げるべきであっても)
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