歓声に染まるリボー
人々の笑顔
終わりの見えない祝宴


そっと帰還した風の王

光の娘はその横で祝宴を眺めていた
その笑わぬ瞳に映った銀の姿
銀の髪
黒い衣
赤い影
娘はつ、と隣の王を見上げて問うた




「あの人は、私の兄ですか?」





亜麻色の絆





 さやさやと風が流れていた。
 人の通りかからぬ樹の下で、銀の髪をそよがせながら二人の男女が並んで午後の暇を過ごしている。
 並んで、というのは正確ではないかもしれない。二人は共にいるにしては不自然な間隔をもってして座っていた。
 二人の間に会話と呼べるようなものはなく、奇妙な沈黙だけが過ぎている。けれども二人はそれに臆することはなかった。決して多弁な方ではなかったからかもしれない。


 書物に目をやりながら銀色の髪をした男はアーサー、白い容貌に紅い瞳をしたマージだ。
 三精霊の声を聞き、その手で操ることの出来る彼は何より自然の中にあることを好んでいた。風と緑に包まれているのはシレジアにいたころを思い出す。
 さらさら流れる銀色の髪をそのままに、流れる雲を見つめていたのはユリア。神秘の力を操るシャーマンである。
 聖職者たらずとも杖を意のままに扱い、高位の光の魔法さえも、彼女なら扱うことが出来るだろう。空の変化を飽きもせずに眺めている。彼女もまた、シレジアで育った身であった。
 よもすれば同じような色合いを見せる銀の髪は、だがよくよく見れば異なった。
 アーサーの髪は赤みを帯びた銀紫であったし、ユリアのそれはいっそ灰色と呼んでもいいような淡いアッシュブロンドである。




 ユリアはレヴィンと名乗る風の王に連れられるまでの記憶がない。
 シレジアの館でただ一人レヴィンだけをよりどころにして生きてきた娘は笑うことを忘れていた。彼女は今までに体験したことのない多数の中で生きるということを実戦で学びながらも、未だ笑顔が戻ることはなかった。
 それでもレヴィンともう一人、セリスという人には何か繋がりを感じて傍にいようと思う。そうさせたのは常に彼女につきまとう孤独の念であった。
 一方アーサーは妹を捜し求める途上であった。
 妹を探す、という使命の元にあるアーサーは、他のものに興味が薄い。派手に怪我をした後に毎回癒してくれたシスターの名を、三回目にようやっと覚えた。ラナは多少憤慨した。
 妹の名はティニー、母ティルテュから同じフリージの血を引き、伯父であるブルームに母と共に連れ去られたのである。
 幼い日の記憶で妹の顔は鮮明ではなかったから、フリージを示す銀の髪と、ティニーの名、同じペンダントの存在だけが妹を探す手がかりであった。


 そんな二人が出会ったのはリボーである。喧騒の真っ只中にいるわけでもなく、またそこから離れるわけでもない二人は必然的に視線を交わした。
 その時に、ユリアの口から出てきた言葉が上にあげたものである。




 傍に立ったレヴィンも言われたアーサーも大層驚いた。
 アーサーはアルスターにいたはずがこんなところに?と間の抜けたことを考えペンダントを引っ張り出したがユリアは持ち合わせてはいなかった。名前もユリア、と近いところは一つもない。
 加えて彼女は巫女だという。それに如何に素養が必要かを知っていたマージはおそらく違う、と考えた。記憶喪失なのだからはっきりはしないが。
 レヴィンの方は珍しくもぽかんとした顔で、あー、とかうーとか洩らした後に、短くそれは違うと呟いた。
 アーサーにとってもユリアにとっても既知の恩師であるレヴィンの言を、二人は疑いはしなかった。
 だが、疑わないにしても感じる違和感はあるようで、アーサーもユリアも見かければその視線を交し合う。暇な午後に見つければ、こうして同じ時間を過ごす。
 共に時間を過ごすようになってようやく二人がたどり着いた結論は、やはり兄では、妹ではないようだ、ということである。何故そう思うと聞かれれば、何となくと言うよりない。
 何故今共にいるのか、と聞いてもやはり何となくと帰ってくるだろう。ゆっくりと陽が傾いていく時間を二人は過ごしている。






「あ、鳥が」
 空を眺めていたユリアがふと洩らした。耳に入ってきた声にアーサーが書物から視線を離して同じ方向を見上げる。青空にはヒラリと空中を舞いながら、ひばりが飛んでゆくところだった。
「あの鳥は何というのでしょう」
「あれはひばりだな」
 アーサーはひばりの生態をあれこれ語るつもりはなかった。万物には名がつけられており、鳥に名前があるのだ。ユリアはそれを知りたがっていた。
「ひばり……」
 アーサーはまた書物に視線を落とした。しばらくそうして紙をめくる音が続く。
 さわさわと風に草が流れていく。
 ユリアは空を舞うひばりの行き先をしばらく追っていたが、ややして視線を大地に落とした。雨季を過ぎた大地は緑を纏っている。
「あ、虫が」
 アーサーはその言葉に再び書物から顔をあげた。ユリアの視線を追うと、そこにはどこからやってきたのか蟻が移動している。一匹だけで動いているのはいかにも忙しそうである。
「この虫は何というのでしょう」
「これは蟻だな」
 ユリアの問いは神経質な者ならば直ぐに苛立ってしまうだろうが、アーサーはいちいち顔をあげそれに答えていた。それは、アーサーが決して人との交わりを嫌ってはいないからなのだとユリアは知っていた。
「蟻……」
 音をたてずに通り過ぎていく蟻である。
 蟻がやってきた方を視線で追うと、草の陰から顔を出そうとしている色彩があった。




「あ、花が。…アーサー、その花は何というのでしょう」
 黄色い花を見とめたユリアの問いに、アーサーは視線を向けた。
「それはキャベツだ」
「キャベツ?」
 それは、先日配給の際料理に対して問うた時に返って来た答えである。それた確か緑の葉を持つ野菜であったはずだ。目の前の花とは結びつかない。だが花の葉を見てみると、確かにこれはキャベツであるらしかった。
「そうだ、珍しいな……こんなところにキャベツが自生してるなんて」
 ユリアはまじまじとキャベツの花を見た。小さな花がたくさんついたキャベツは素朴で可愛らしい。どことなく懐かしささえ感じさせる。
「アーサーは物知りですね」
 珍しさに本を閉じたアーサーにユリアはしみじみとそう思った。本が好きだというアーサーは、始めてみるものも大抵知っているのである。
 花に感じた郷愁に、やっとユリアは思いついた。
「私、シレジアでこの花を見たことがあります」
「シレジアで?……俺は見たことがなかったな」
 終には二人揃ってキャベツの花を眺めていた。
 キャベツは普通花が咲くまで放ってはおかれない、アーサーが見たことがないのもその為だった。シレジアの南北の気候の違いもあったかもしれない。南シレジアは苛酷な環境だった。少年は花を見たことがない。
 シレジアは雪国であり、花は、植物は希少なものだった。
 その国で育った二人は花を摘もうという考えがない。飽きるまでその花を眺めている。











 鳥を。

 虫を、花を。

 彼女が今まで名を呼ぶことのなかったものたちを指してユリアは問うた。あれはなんというのか。



 つばめを。

 揚羽を、菜の花を。

 書物の中だけに見たものを、共に眺めながらアーサーは答えた。あれはこんな名前のいきものだ。










 二人は既に互いに兄妹ではないことを納得していた。
 その色合いの違う銀の髪はもしやどこかに血縁があるのやもしれないが、少なくともそれほど近しいわけではない。




 ユリアには仲の良いものが増えた。

(彼女は拙い言葉でそれを教え、淡く微笑む)

 アーサーは妹と巡り会った。

(彼は温かな感慨をぽつぽつと語り、優しく笑う)



 銀色にけぶる二人の佳人は戦争という行程の短い時間を共に過ごし、互いに秘密めいた思いを寄せ合った。それは育ての親にも相棒にも、最も近しい血縁にも告げない。
(内緒)
 彼らは決して兄妹ではなく、傍目から見るとそれはあたかも恋人の姿であったが、それも該当しない。
 復讐に蒼い炎を燃やしながらも、アーサーは彼女の前では一人の優しい少年であった。
 記憶喪失という不確かな足場の中、ユリアは彼の前では孤独を知らない少女であった。
 この関係はなんと呼ぶのか。











「アーサーとは恋人なのですか?」
 ある時、ユリアは軍の男性よりその想いを伝えられた。彼女を襲ったものがむしろ困惑であり疑惑であったのは言うまでもないが、静かに断りの返答をした時聞かれた言葉である。
 ユリアはその断定的な呼称に違和感を感じた。
 恋人とは一体なんであるのだろう。一体なにから何が恋人であり、恋と指すのであろうか。
 己はアーサーに恋をしているのか。
 アーサーは己に恋をしているのだろうか。
 黙りこんでしまったユリアに何を思ったのか、男は短く謝罪を告げてその場から去っていった。






「ねえアーサー」
 ランプの灯りで読書をしていたアーサーを図書室に見つけて、ユリアはその横の椅子にかけた。
 アーサーはそれを見向きもせず読書を続けている。図書室の扉がきぃと音をたてたときに顔をあげたのだから、気がついていないわけではない。
 数分をページの捲る音だけが続いてからユリアは口を開いた。アーサーが書物から顔をあげる。
「私とアーサーを、何というのかしら」
 アーサーは本を閉じて考え込んだのでユリアは少し驚いた。アーサーは答えに悩んでいた。


 アーサーは兄ではなく、ユリアは妹ではない。
 恋を説くにはあまりにも二人は様々な日常に翻弄されていてそれもしっくりこない。
 知り合いと片付けるにはその距離は近すぎた。
 では戦友だろうか、相棒とも呼べない。二人の戦場はあまりに遠く、性質を異にしていた。


 答えの出ないアーサーに、ユリアは初めて思考をかけた。自覚はないが、これは無意識の一歩であった。
 始めの記憶はシレジアだ。その前の記憶はユリアにはない。厳しい気候と優しい村人。レヴィンに言い渡された婦人がユリアの面倒をみた。
 基盤のない己がいつもユリアは不安であり、一度旅立てば数ヶ月は帰らず、滞在しても数日というレヴィンの姿はそこに安定を与えない。
 彼女の拠り所は同類であるその男だけだったので、いつしか彼女は笑顔を浮かべた頃を忘れていた。
 アーサーは。
 目の前の少年は、彼女に笑顔の存在を思い出させた存在だった。
 そして、彼女が今まで放棄していた、悩むということを呼び起こさせようとしていた。



 ふ、と思い出したことがあって。
 ユリアはそれを口にした。






「お友達?」

 それは、ラナがラクチェがパティが……解放軍に参戦する少女達が口にする言葉だ。
 ともだちになろうと言う。
 友達とは何なのだろう。
 だが、ユリアがアーサーに聞くときのように、ユリアはその名の響きを考えた。名は言霊。
 ユリアは思った。おともだちとは、なんともしっくりくる響きであると。
 なんとも、心が温かくなるような響きであると。


 アーサーはぽかんとしたように目を丸くした。ユリアは言う、自分達はお友達だと。
 友達といえば、とアーサーは考えて……思い出せないことにまたアーサーは絶句した。
 ティニーは妹である。教会の子供達は仲間であるような、庇護対象であった。セティは幼馴染だが友達と呼ぶのは何だか癪だ。フィーは相棒である。スカサハは友人と呼んで差し支えないが、何故だか友達と友人では違うような気がする。
 おともだち、と呟いてユリアを見た。
 どうだどうだ、と返答を待っている瞳であった。いくらか得意げにも見えた。この少女はたまにアーサーが驚くようなことを言いながら微笑むのだ、まったくしようのないやつ……。


 そこまで思考を巡らせて、アーサーはやはりしっくりくる響きであると認めた。










「友達、だな」
「ええ、お友達ね」




 そう言いながらしばらく微笑みあった後。
 襲い掛かった気恥ずかしさに、二人は顔を赤くした。















 (04/03/11)
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