嘘、というものは時に使われる どんなに清廉であっても、潔白であっても そんな嘘は、見抜くには少し難しい
時に嘘は通じない
「ユリア様はご立派ですね」 軍議が終わってからだ。動き始めた治療班に合流したユリアをみて、呟かれた言葉にシャナンは彼のほうに視線を向けた。 シャナンは若干違和感を覚えながら、その言葉を純粋な敬意として捉えた。 キュアンの忘れ形見である少年は親によく似ていた。それでいて彼の両親にはなかった空気をまとっている。エスリンに似た声でキュアンのように話しかけられた。始めはずいぶんと動揺したものだが。 立派な方ですね、とつぶやくように言うリーフにシャナンは自嘲かと思いフォローするように話しかけた。 「何を言うリーフ王子、貴方はレンスター王子として立派に北トラキアを解放したではないか」 リーフは少し驚いたかのようにシャナンを振り仰ぎ(背の差がありすぎた)それから苦笑するように微笑んだ。その微笑にシャナンはエスリンを思い出した。彼女の微笑みは胸の中が温かくなるような微笑みだった。 「私は自分を情けなく思って言っているのではありません。セティにも言われましたが……それは私の中で昇華すべきことですから」
本当にユリア様をご立派だ、と思って言ったのだ。リーフの言葉にシャナンは再び違和感を覚えた。それがなんなのか、すぐにわかった。 リーフはセティを「セティ」と呼んだが、ユリアには敬称をつけていた。だがシャナンは二度その違和感を振り払った。 ユリアはレンスターを救援に行ったセリスにレヴィンの命で迎えにいったことがある(レヴィンは極力ユリアを戦いから遠ざけようとしていたのであろうが)そのときおそらくユリアに出会ったリーフは、セリス同様に敬称をつけていたのだろう。
「皇女は帝国の貴人だろうに、自ら兄上であるセリス様の解放軍に参加してくるなんて…早々できることではありません」 リーフは北トラキア解放の中で、元帝国軍の者を多数迎え入れている。彼はおそらくその一人一人に似たような敬意を持っているのだろう。帝国の間違いを正す、などというのは容易いが巨大な帝国に敵対するのは、とても勇気のいることだから…。 シャナンは、くらりとした。 リーフはシャナンの足元から生じた不協和音に不思議そうな目を向ける。 「どうしました、シャナン王子」 いつの間にいたのか、レヴィンが無表情でこちらを見やっている。100m先の視線を、何故かシャナンははっきりと感じていた。
「リーフ王子、気安くそのようなことを言ってはならない」 シャナンは未だ動揺拭い去れないまま、滑るように囁いた。言葉はしっかりとしていた。 リーフの瞳にはっきりと不審が浮かんだ。無理もない。 そう思っていたつもりだが、実際にはシャナンはそんなことを考える余裕などなかった。 「何故ですか」 リーフの瞳は真っ直ぐとシャナンを貫いている。何を思ったのか、怒っている。 何故だろう、とシャナンは思う。これは本当に思っていた。何故なのかは結局わからなかった。 「ユリア皇女の貫かれた立場はご立派です。正当に公表すれば、帝国の是非を訴えることにもなります」 リーフは早口で訴えた。ガーネットの瞳が怒りで熱く揺れている。 「帝国の皇女の地位を気にしているのでしたら、ユリア様に対して失礼です!」 リーフは言い出したら頑固だ。彼が持っている清廉とした領域を今の言葉は十分に侵していたらしい。 「いや、そうではなくだな…」 シャナンは訂正しようとしたがそれは自分でもかなり滑稽な姿に思えた。何を訂正しようとしたのかがわからなかったのだ。
「シャナン王子!…いいです。セリス様に直接お伺いしてきます」 はっきりとしないシャナンに苛立ちを覚えてリーフは踵を返した。 いかせてはならない、と空気がざわめいていたがシャナンは動くことができなかった。
「リーフ」 歩き出していたリーフははっと顔を上げた。シレジアグリーンの髪は風に揺れもしない。レヴィンだった。 「レヴィン王…?」 柳眉をゆがめてリーフは疑惑の視線を向けた。レヴィンとアウグストが密に連絡を交わしていてそれでセリスも間に合うことができた、というが……リーフ自身はこのシレジア王とは面識が少ないとしか言いようがない。 「少し話すことがある」 冷たい響きに困惑しながらもリーフは同意した。この軍師が関わっているかもしれないと思ったのだろう。 音を立てずに進んでいくレヴィンをリーフは追っていった。
二人がいなくなった、誰も残っていない会議室。 いや、とシャナンは思い直した。 一人、軍議が済んでもいそうな者を思い出したからだ。 そして、この疑問に答えてくれるかもしれない者の一人でもある。 扉を再度開いたその向こう。 「オイフェ……どうだ、調子は」 「シャナンか。……まだまだだな。もう少し確実性を強めたい。ミーズには直ぐに軍が向けられるだろうから早めにまとめないといかん」 常よりもやや気安くオイフェはシャナンに視線を上げた。今は穏やかなその瞳の中に、燃えるような憎悪が眠っているのを知っている。 馬鹿だと思う。 シャナンは王だったから、復讐よりもしなくてはならないことを知っていた。 そして、オイフェの憎しみがとけることがないことも。だから、何も言えないのだ。 「なぁ、オイフェ」 シャナンしかしひょっとしたら、と思った。 ひょっとしたら、「ユリア皇女」の話などオイフェに聞かせられる話しだろうか? アルヴィスの娘だということなのだ。皇女ということは。 「…私はラクチェとスカサハのところにいってくる。すまないがまだ頼むぞ」 「ああ」 シャナンはそう言って会議室を後にした。
ユリア。レヴィンが連れてきた記憶喪失の娘。 杖を自在に操り光魔法をもその手にする少女だ。そして、その高い魔力と灰銀の髪。 何てことだ。あまりにも似つかわしいではないか。「死亡」したユリア皇女にあてはめるには。 シャナンは何年も前に伝え聞いたその情報を反芻した。今更、とも思った。 建前上は「病死」とされたディアドラ。その死には納得できないものを感じていたのに、ユリア皇女の同時期の死に対し疑問を抱きもしなかったのだ。 今更、リーフの口からそんな言葉が出てきた。 それを口止めしようとしたのはユリアは違う少女だと思うからいらぬ噂を広めたくなかったからか、それとも……。
ユリアが「皇女」だと、思っていたからなのか?
それならば何故だ。リーフの問いただした言葉をシャナンも反芻する。何故、その疑問をレヴィンに聞きはしなかったのか。 黙っていなければいけない、隠さなければならない…と到来した冷たい意思は、シャナンのものであったのか。 「…さま」 カリ、と薄い唇を噛んでシャナンは考えた。考えろ、答えはそこにあるはずなのだ…。 「シャナン様」 シャナンは立ち止まった。無意識にその手は剣へと伸び、勢いよく振り返る。 ――心臓が、止まる思いがした。 「ああ、立ち止まってくださいましたね…この、書類…レヴィン様からお預かりいたしておりました」 「あ、ああ。すまない」 「それでは……」 「ユリア!」 少女は振り返った。シャナンの言葉に訝しげに、どこか不安げに。 「…いや、ご苦労だった」 「いいえ……」 ユリアは去った。 シャナンはそれ以上、この胸にくすぶる疑問を考えることはできなかった。 もどかしい悩み、過去の悔しさ。 ユリアの持ってきた白紙の書類は、悩みと悔しさとかいてある。 しかしシャナンには報告書と読めたのだった。
「それではレヴィン王……いえレヴィン。私はここで」 「ああ、これよりトラキアだ……気を抜かぬようにな」 レヴィンと別れたリーフは広い城内を進んでいた。マスターを志すリーフにのんびり過ごす時間は少ない。今もセティやアスベルを待たせていた。 アスベルは忠誠に厚い友だ。リーフがこないまま修練を開始したりはしないだろう。 リーフが道を急いでいると、通路の先に人影が見えた。アッシュブロンドの髪がそよと空気に乗る。ユリアだ。 リーフはその後にユリアの行き先を確認した。リーフとは違う方向だった。 「ユリア様」 少女はゆっくりと振り返った。確か、年は一つかそこらの差だったはずだ。だが記憶をなくしているという少女は頼りなげに見える。声をかけたのがリーフだったことに、少し安堵したようだった。 「こんにちは、中庭にいかれるのですか?」 「ええ…。リーフ様はどちらへ?」 「私はこれから魔法の修練を。それではユリア様、今日は少々冷えますからお気をつけください」 一方的に会話を切ってリーフは笑顔を浮かべた。ユリアはその笑顔にほんの少し笑顔を浮かべ返して、会釈をして去っていった。リーフも同様だ。 リーフは城内をまた進んでいた。 そして少し考えてみた。確かに、まだ自分は人の真意を探るには浅い器だろう。 だがリーフは真っ直ぐと進めることはいいことだと思う。時と場合による、という言葉も知ってはいるが。 そんなリーフだから、どうしても許せないことは、やはり許せないままだ。 だが。
リーフが、サラのことを声高に告げなかったように。
だからリーフも、そのときが来るまで黙っていよう。 嘘をつくのは苦手だから、せめて何も言わずに。 貫くことは、得意なのだ。
レヴィンは、リーフに嘘はつかなかった。誤魔化すこともしなかった。 リーフは、そりゃあ人の真意を探るには、まだまだ浅い器ではあったが。 多分嘘は通じない。 時に応じて。
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