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私の父は風の王 神の化身と詠われた半神人
私の母は雷の娘 風の王を愛した人 風の王に愛された人 私の母は・・・
……「私」は誰
(あら?) この辺りにいい薬草はないかとラナと一緒に見て回っていたティニーは、覚えのあるシレジアグリーンの髪の持ち主を見て足を止めた。 彼の噂はアルスターにいた時も聞いたことがある。いい話としては聞かなかったが、その動きは当時のティニーとしては憧れの一つでもあった。 マンスターの勇者、セティ。 彼はこの頃ティニーの気になる対象だった。
「セティ様、にいさまを探していらっしゃるのですか?」 やはり薬草を探していたらしい、両手に薬草を抱えたセティはその呼びかけにティニーの方へ顔を向けた。 「ええ。ティニーは殿下……・アーサーを見かけになりましたか?」 「いえ。朝お会いしてからは別行動をとっていましたから」 「そうですか…」
そう。アーサーはラナにティニーを預けてカパトギアの蔵書目当てに別行動だ。 室内での手伝いを終えて薬草を探しに行く時に図書室へ寄ったが、最愛の兄の姿はそこにはなかった。 アーサーと出会ったときからマンスターぐらいまでずっと兄と共に行動していたティニー。 トラキアに入った頃これからは別行動も取ることにしようと言われたときは酷く心細く、用無しと思われていたらどうしようと思ったものだが、この数日間でずいぶんとそれも払拭されたと思う。 アーサーが自分を深く愛してくれていることは伝わっていたので、これもアーサーの考えなのだろうと思う。 出来なかったことをしたいのに、兄といないと過ごせないようでは駄目なのだ。 できることを探し、出来ないことをできるようになろうとティニーは動いてきて、そんな中ふと気がつくことがあったのだ。
勇者セティ。 兄を「殿下」と呼ぶ彼は、どうやらシレジア王家に仕えるものだそうだ。 知っていたのは母のみで、父がシレジア王だということを知りもしなかったティニーは、アミッドやフェミナに「姫」と呼ばれた時酷く困惑したものだ。 銀色の血族しか、ティニーは知らなかったから。 シレジアの者に「姫」と呼ばれることにティニーがとまどうことに気がついているのかいないのか。セティは丁寧な態度を崩しはしないもののティニーを「ティニー」と呼ぶ。
「ティニーも、ラナに言われて薬草を探しにいらしたのですか?」 「ええ。でも慣れないからまだ見つからなくて……もっと森のほうにいくといいのでしょうか」 ティニーの足元で軽く音が鳴ったのに、行こう、と思った意思の現れだと思ってかセティは手の中の薬草を差し出した。 「ティニーはこれをもってお行きください」 「えっ……でもこれはセティ様が採っていらっしゃったものですもの。私は自分で探しにいけます」 「森の方にいけば、いつ敵兵が隠れているとも限りません。 ティニーに何かあれば私がアーサーに殺されてしまいますよ」 冗談っぽく微笑んだセティに、ティニーは恐縮しながらも感謝の言葉を届けた。 優しく微笑んでいる姿はまるで理想の姿で、男性に慣れないティニーは顔を赤らめる。 (にいさまとは違う感じで、綺麗な人なのだわ) 天上のひとなのだろうかと思わせた兄を思い出しながらティニーは思う。 優しい風のような人だ。人の身を離れることはないが、人は人としての美しさがある。 人としての最高は、きっと従姉妹であろうが。 「それでは、ラナに届けてまいります」 今夜アーサーと話すことはこれにしようと、ティニーは軽い足取りで歩いていく。
そういえば。 そういえば、また問うのを忘れてしまった。問いやすい内容ではないからかもしれないけれど。 勇者セティ。 あの人は時々、私を冷たい瞳で眺めている。
「セティ」 ティニーの後ろ姿を見送ったセティは、柔らかな声をかけられてすっと畏まった。 「殿下、気分はよろしいですか」 「平気だよ。フィーに剣を教えてもらい始めてから、少し丈夫になった気がする」 「フィーにあまり、お付き合いなさいませんよう。無理をなさってはいけません」 困ったように首を傾げたアーサーに控えながらも顔をあげるセティ。確かに彼は昔よりは顔色が良くなった気がする。
「セティ」 繰り返すようにアーサーが呼びかけてくる。 何が言いたいのかは知っていたので、本当はそのまま違う話へと摩り替えてしまいたかったのだが、彼の主旨を流してしまえるほど不忠実な男ではなかったのだ、セティは。 「はい、殿下」 「ティニーが、嫌いなのか?」 「はい。殿下」 言葉尻こそ同じだったものの、明確な返事にアーサーは眉根を寄せた。
「お前は正直だな。こういう時は本気じゃなくとも否というべきじゃないか」 「殿下はそれを嫌がりなさいますから」 アーサーは一度もセティに嘘が嫌いだとは言った事がない。 本当のことを言われるより嘘をついたほうが互いに幸せでいられることがあるのを知っているからだ。それと、好き嫌いとは異なるだけで。 セティはアーサーよりも「アーサー」を知っているのではないかと思うときがある。 彼は決してアーサーが本当に嫌がることをしたことはないし、いつでもアーサーの言うことの芯をとってくるからだ。
「俺は、ティニーを大事にして欲しい」 先程とびきり丁寧に、宝物かのようにティニーを扱っていたセティを知っていたが、それでもアーサーはそう言ってきた。 セティが、アーサーがそう思っていることを知っているとわかっていてだ。 だから、応える。彼の期待に。 「はい、殿下」
セティは確かにそれを守るだろう。セティがアーサーの期待に応えなかった時はかつてない。 自分よりもよほどシレジアらしいセティを前に、アーサーはもう一度質問を繰り返した。
「ティニーを、大事にしてくれるか」 「はい、殿下」 「ティニーが、嫌いでもか」 「はい、殿下」 「顔をあげろ」 セティは顔をあげた。アーサーは、柔らかさを潜めて真っ直ぐとセティの目をみていた。彼は、嘘が嫌いだ。
「お前、俺のことも嫌いだろう」
「――いいえ、我が君」
アーサーは顔をしかめた。精霊に愛された造作はそんなふうにしてさえ美しい。 否、とセティはその翡翠の瞳に語りかけて見せた。 「兄さんは、嘘つきだ」 背を向けて駆け出すことさえせず、アーサーはふわりと浮いた。翡翠の瞳がセティを見ている。
ざあっと激しい風が吹いて視界を埋めた。収まった時には既にアーサーの姿はない。
セティは立ち上がるとティニーの去っていった反対の方に歩き出して、フリージの娘のことを考えた。 アーサーの妹。風の子の妹。 イライラと負の感情が芽生えていてセティは小さく頭を振る。 あれは、雷の娘。 呼吸が落ち着いた。セティはいつものように歩いた。 先程吹いた強い風が嘘かのように、凪いでいる風を一杯に受ける。もっともっと、吹き荒れる風が好きだ。 セティは、シレジアの子供だから。
「私は」 セティは誰にも、いや風にしか聞こせない言葉で言葉を紡いだ。 「私は、母なるシレジアの大地の為に、シレジアの民の為に、父なるフォルセティの為に」 どれもシレジアの名だ。この言葉の為だけにセティは生まれ、そして生きてきた。
「フォルセティを受け継ぐ、アーサーの為に」
あの少年が名を呼ばれることに飢えていることをセティは知っている。自分が名を呼ぶことを期待さえしていないが。わかっていて、殿下とそう呼ぶ。 多分それは、戒めなのだ。
「この命と名と、我が風とを賭けよう」
(それは決して、フリージの為ではない) あの雷の娘を大切にはしてやるけれど。
何一つ嘘などついていない。セティはそう思っている。
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