|
雪のような銀糸の髪 風を見ると翡翠の覗く瞳 透けるような白い肌
フィーは、行き倒れを拾った
分かたれた血
「ちょっとぉ〜。大丈夫!?」 額に冷たいものがあたる感触がして、アーサーは目が覚めた。 まず目に飛び込んできたものはシレジアグリーンの髪の色だった。どうやらとりあえずシレジア人らしい、目の前にいるのは。 中空に手を躍らせると不可視の力がアーサーを引っ張る。起き上がる。 ぼーっと視線を送ると、一人の少女。 「君は誰?」 「そこで私は誰って言ったら怒るわよ。……あたしはフィー。あんた、行き倒れてたのよ」 フィーは呆れたように周りを見渡した。 「こんな山境で行き倒れているなんて……自殺行為というよりも、どうやって来たの?」 アーサーは立ち上がった。くらりと目眩がしたが、しばらく意識を飛ばしていただけあってとりあえず平気だ。 「フィーは、目がいいんだね」 「って、それが今なんの関係があるのよ」 「実は、ペガサスから落ちたんだ。でもまだ俺は発見されてないみたいだから」 フィーは耳を疑った。ひょっとしたらこの少年は頭を打ったのかもしれない。 「フィーは、目がいいね」 少年はふわりと笑った。優しい風が吹いたような笑顔に、フィーは少し顔を赤らめた。 「ねぇ、乗せて行ってくれないかな。君もペガサス乗りなんだろう?」 「えっ……何を言い出すのよ!知らないの?ペガサスは男を乗せるのを嫌うのよ」 「お願いしたら、きっと乗せてくれるよ」 そう言ってアーサーはふわりと移動した。フィーは気が付く。愛馬マーニャの方角だ。どうしてわかったんだろう。 急いで駆けつけると、穏やかに少年に擦り寄るマーニャと少年がいた。これはどういうことだろう。 「フィー、乗せてくれるって」 フィーの方を向いた少年は、やはり柔らかな風のようだった。
「ちゃんと捕まって、落ちないでよ。今度落ちたら助からないかもしれないんだから」 言っていて奇妙だとフィーは思う。そもそもペガサスから落ちて助かる訳は無い。 「平気だよ……流石に三人は辛かった」
「ねぇ、そういえば名前、なんていうの?」 アルスターまで行きたいと言ったときは落とそうかと思ったが、一緒に解放軍に行く、といった少年に、フィーは質問し忘れていたことを聞いてみた。 「アーサー」 短く少年は答える。 聞いたことがあったような気がしたが、フィーは思い出せなかった。 「フィー、盗賊……かな?が村を襲ってるみたいだけど」 「ええっ、早く言ってよ!助けなきゃじゃない!」 飛ばすわよ、といって滑降していくフィー。 無事盗賊を倒し終わった後、風魔法で援護したアーサーを振り返ったフィーは、ぎょっとした。 白い肌を真っ青に染めて、ふらりとアーサーがかしぐ。 「アーサー!」 とっさに助け寄ったフィーは、別の意味で息を呑む。軽いのだ。 この軽さをフィーは知っている。母だ。 病状の母は、やはりこんな風に軽かった。 とにかくこいつを安静にできる場所へ連れていこうとフィーはマーニャに乗った。解放軍の中ならドズル兵に襲われる心配も無いだろうし、介護の心得を知っている者もいるだろうと思う。
フィーは、動転のあまり始めの「ぎょっとしたこと」を意識の端へと追いやった。 アーサーは、地に足がついてなかったのだ。
セリスへの挨拶を短く済ませた後、フィーは救護室に向かっていた。一応マーニャに乗せているが、ひょっとしたらペガサスの長時間の飛行に酔ったのかもしれない。できれば早く降ろしてやりたいものだ。 救護テントの方へ歩いていたフィーは、白い影を見つけた。ペガサスだ。 解放軍にもう一人ペガサス乗りがいたということは非常に驚かせることで、フィーはしばらくじぃっと見入った。カリンかと思ったが違うらしい。エルメスじゃない。 まぁ、後で聞けばいいだろう今はアーサーを連れて行かないと、とまた歩き出したフィーに、後ろから声がかかった。 振り返った先に、シレジアグリーンの髪。 彼女のペガサスか、と思い口を開いたフィーに呼びかけられた言葉は、予想とは違っていた。 「王子!ご無事で!」 ダッシュでかけてきた彼女の顔は滂沱の涙でぐしゃぐしゃに歪んでいる。フィーは誰に話し掛けているかわからなかった。 大きな声は辺りに響いていたらしい、テントの一つから同じようにシレジアの色をした青年が飛び出てきた。 「ああ王子!良かった、ご無事だったんですね!」 アーサーは倒れている。 だというのにその二人はアーサーの元に走り寄ったかと思うと膝まづいて泣き崩れているのだ。 とりあえずフィーはアーサーを救護テントに運ぶことにした。二人はぼろぼろ泣きながらついてくる。 「貴女が王子を助けてくださったんですね。ありがとうございます!」 青年が言った。やはり王子というのはアーサーなのか。 「この方がいなくなってしまったら、シレジアはどうなったか」 少女がぐすぐすと泣きながら震えている。どうやらシレジアの王子らしい。シレジアの…… フィーは、気が遠くなった。 「……フィー…?」 小さく届いた声に、フィーはアーサーを見た。ぼんやりと瞼が開かれている。 「……あれ、アミッド、フェミナも……」 「ああ王子!気がつかれましたか!」 「大丈夫なの……あーっと……酔ったとか」 一瞬フィーはどうすれば、と思った。シレジア王子であるならばこの人は仕えるべき人なのだ。 だが兄のセティと違い無邪気に育ったフィーは急に態度を変えることはできない。 「いや……」 アーサーは特に気にすることはなく首を振った。 「血が……ごめん、吐き気がして」 ああ王子、おいたわしい。と二人の声が聞こえたが、フィーはこの男は本当に解放軍に参加する気があるのだろうかと悩んでしまった。
休息中、木陰で休んでいるアーサー。 「……王子様……」 フィーは躊躇いながら話し掛けた。酷い違和感だ。アーサーはぱかっと目を開けたが「前のままでいいよ」と柔らかく答えた。 「……アーサー」 「どうした、フィー?」 フィーは疑問に思っていることが一つあった。さっきは動転して意識の隅に追いやったことだ。 ペガサスから落ちたのは本当のことらしい。でもあの二人も、何一つそのことについては心配などしていなかった。 「立ってみて」 アーサーはゆっくりと立ち上がった。地に足がついている。やはり見間違いだったのか。 アーサーはふわりと笑った。 「気を抜くとさ」 アーサーの銀の髪がひらりと舞う。風は無い。 「気を抜くと、浮いちゃうんだ」 アーサーの足は、宙に浮いている。 「……怖い?フィー」
進撃。フィーは天高く飛び上がった。フェミナが見えるが、アーサーが心配らしくちらちらと隊の後方を見やっている。ドズルには弓兵があまりいないとはいえそういう行動は危険だ。 (第一、アーサーは後方にいるんだから、心配は……) ちらりと見ると、アーサーはふわふわと前線に移動している。フィーは目眩でもしそうな気分だ。 「何やって……」 急に、マーニャが動いた。フィーの意図しなかったことだったので酷く動揺した。 「どうしたの、マー……」 風が、動く。 さっきよりもずっと下になった地上で、恐ろしいほどの風の奔流の中アーサーがその中心にいた。銀の髪が風に踊る。無造作に突き出した先に、凄まじいエネルギーが渦巻いている。 (あれが、まさか、フォルセティ?) 風を導くアーサーは、風を放っているというのに、何故だか雷に包まれているようにも見えた。 なんと表現すればいいのか、フィーはわからなかった。 (とても綺麗だ) 風が吹き荒れた跡、一人その場にいるアーサー。 倒れた。 フェミナが悲鳴をあげる。 後方に下がっていた軍が急いであがってくる。不用意な、ではあるが既に周りに敵兵は存在しない。 フィーはフェミナと共に地上へと向かった。既にアミッドが傍でアーサーを支えている。 「王子、王子!しっかりしてください!」 (まさかまた血をみて吐き気が、っていうわけじゃないでしょうね) フィーはしかし思い直した。血など流れてはいない。圧力に既に死んではいるだろうが。 「一回きりが、限度のようだね」 後方からおいついたセリスが呟いた。 「おわかりになったんですか?」 剣を持った黒髪の少女が聞く。 「彼が自分で言っていたんだ。一回で限界かもしれませんって。……しかし、これがその一回か」 セリスは周囲を見渡した。一面の、敵兵のいない平原。 ……死んだら敵じゃないからだ。 「王子!頑張ってください!」 フェミナがまだ呼びかけている。 「妹姫を探しにいかれるのでしょう!」
「アーサー」 こんこんと眠っている少年にフィーは話し掛けた。予感だ。果たしてそれはあたり、アーサーはゆるゆると目を開いた。 「フィー」 ふわりと笑う。 「俺、そうやって呼ばれるの好きだな」 名前くらい何度でも呼んであげるのに。フィーは思った。 「アーサー。きっとあんた、いっつも浮いてるから力がつかないのよ」 フィーはアーサーの腕をとった。自分よりも細く白い腕。 (消えてしまいそうだ) 「はは、そうかもね」 アーサーは笑うと大きく伸びをした。ぱちり、と雷が舞ったような気がしてフィーは目を細めた。 「ああ、ごめん。痺れた?」 フィーは顔を振った。みまちがえでは無いらしい。 「不安定なんだってさ。母さんの血と、父さんの血が。……あと火精がいれば上手くバランスがとれたらしいんだけど」 アーサーは自分の手を眺めながらそう言った。不安定。 「風精と雷精がケンカするんだって。珍しいって言うのも損だよな」 アーサーはフィーの頬に手を伸ばした。 「冷たいだろ?俺、体温低いんだ」 「暑い時に便利よ」 アーサーはころころと笑った。 「起きれるようになったら、あたしが剣を教えてあげるわ。そうしたら、体力もちょっとずつついてくるわよ」 「フィーが教えてくれるの?じゃあ、頑張ろうかな」 「ちゃんと地面を歩きなさいよ、アーサー」 アーサーは笑って何も答えなかったが、変わりのことを口にした。 「フィーにそうやって呼ばれるの、好きだな」 フィーは微かに頬を赤らめた。アーサーの最後の一言は、小さすぎて届かない。
「『王子』なんて、名前じゃないのにな」
母が攫われて、祖母が亡くなって。 父は風になってしまったあの時から。 誰も名前を呼ばなかった。皆が知っていて、誰も知らない名前。 フィーも知っていた。シレジア人は皆知っている。 レヴィン王の息子の銀色の王子。
アーサー王。 後の新生シレジア王国の初代王。 銀の髪と翡翠の瞳、透き通るように白い肌をした、
儚く逝った、天上のひとの話。
|