君を見たとき
私の思いがわかっただろうか
名を呼ぶ時の
緊張がわかっただろうか


等身大のセティとして触れたのは
友達だったのは


君だけだったと、伝わっただろうか



「始めまして、セティ様」





無為の再会





「お兄ちゃん!」
 つい先程再会したばかりの妹の声に私は振り返った。カリンから様子を聞いてはいたが、久々に私の前に姿をあらわした妹の姿は時の流れと言うものを実感させた。
 リーフ王子がベルドを倒す為に地下へと潜っていた間に動きを見せたトラキア。王子の主力が地下にいる以上地上は私が守らねばならないと気を張っていたが、セリス皇子の解放軍と合流した今はそれもない。
「どうした、フィー」
「あのね、紹介したい奴がいるのよ」
 やけに嫌な響きをもつ言葉だ。母上が亡くなり、父上が……割愛することにして……フィーの身内といえるものは兄である私だけ。その私に「紹介したい」とはなんとも嫌な響きではないか。一人国を出たくせにと言われるかもしれないが、だからこそ再会した妹は大切だ。
 フィーの連れてきた男へと、若干顔をしかめながら顔を向ける。背は高くも低くもないと言うぐらいだろうか。魔道士らしく濃紺のマントを羽織っている……らしく、というのは彼がこちらを見ていないからだ。フィーに紹介すると言われて連れてこられたわりに私の方を見ようとしない。
 ただ、長く伸びた銀の髪がやけに目にさす。
 フリージの血統に連なるのだろうか。イシュタル王女にも重なる色だが、彼女よりもずっと赤紫がかったその髪は、むしろ昔を思い出させる。


 こんな髪をしていた者を、一人知っている。
 シレジアで出会った少年は、いつもは無理に髪を染めてはいたけれど……。


「ほら!ちゃんとあっち見て!」
 フィーの再三の要求に観念したかのように、その少年は私のほうに視線を向けた。一瞬の既視感に襲われた私は瞳をまたたかせた。
 この感覚を、以前にも体感したことがある。
 不満そうな紅い瞳。鮮やかなその色が一瞬私を睨んだかのように感じた。


 以前にも、こんなことが。

「―――」
 私は驚愕の色でその言葉を出そうとしたが、喉の奥が張り付いたかのように上手く音にならなかった。
 彼は睨んでいた瞳を瞬間で隠して無乾燥に会釈した。



「始めまして、セティ様」


 その記憶とは異なるやや低くなった声にも覚えがあった。
 アーサー、と呼ぼうとした。
 しかし今度こそ言葉にならなかったその声が、何のためであったかは知っていた。


(始めまして、セティ様)

 長く伸びた細い髪に、変わらない紅の瞳。低いとは言えないが高いとも言い切れないくらいの背丈。細身の身体はモノトーンの服で包まれている。腰にさした細身の剣が、やけに浮いて感じる。
 何年ぶりかの幼馴染との再会は、そんな乾いた再会だった。


 風の勇者としての私は、兄として私を紹介するフィーの言葉に添ってそつない挨拶をこなしてはいたけれど。







 少年の残像は、まだ無邪気に笑っていられた頃の象徴だ。
 既に両親はいなかったが、それでも優しい神父の庇護にいた。


 魔法を教えてくれた暇人の吟遊詩人。
 朝の水汲みで笑いながら手伝ってくれた婦人。
 天気がいいと、雪原の向こうに見えるシレジアの城。


(穏やかでいられた頃の残像だ)







 ミーズ城。部屋割りの時間。
 それなりにざわざわとした空気から見ると、部屋割りと言うのはこの軍にとってちょっとした娯楽のようなものかもしれないと思う。
 私はその部屋割りとやらは初めてだったが、そんなものは誰が同室になってもそうは変わらない。自分の心が平静ならば、相部屋が誰であろうとさして変わるまい。
 まして今の私は奈落の果てに落ちようかと言うほど落ち込んでいる。誰であろうと気になることはないだろう。
 ……寝惚けてミストルティンが襲ってきたら命に関わるな。
 アレス殿がそうだとは知りはしないが、確認しておくのは悪いことではないような気もしてきた。
 なかなか達筆な文字を眺め、自分の名を探す。
 相部屋となる人物の名に、ほんの少しだけ瞳を見張った。




「やぁ、よろしく」
「他の兵達の宿舎も見たけれど、私達は随分とよい待遇に置かれているのだね」
「そういえば、手入れはしているのかい?せっかく綺麗な髪なんだから」
「セティ様、うるさいです」


 ぶすくされたアーサーの反応に私は思わず微笑んだ。全くセリス公子はいいはからいをしてくれたものだ。
 アーサーからの扱いは酷いものだが、本気で忘れられたのではないということが実感できて、それはまたいい気がする。
 幼少の彼から思うに、無闇に人につっかかるタイプではないのだ。まして恋人の兄である私に、そんな風に相対する理由もないだろう……忘れているなら。
 だから、この扱いは彼が私を忘れた訳ではないという証拠なのだ。
「セティ様、にやにや笑いしないでください」


「……していないだろう」
「してました。大変怯えた俺はセリス様に部屋変えを申告してきます。それでは」
 起き上がって部屋を出ようとしたアーサーの姿に本気を感じて、慌ててその手を引き止める。
 シレジアで育ったもの特有の白い肌がやけに病的だった。
「放してください」
 声をかけてさえいなかった。いらついた顔で私を睨みつけてくるアーサーの手を、必要以上に強く捉えていたことに気がついて緩める。
 決して痛いという顔は見せなかったが、緩めた瞬間にほっと息をついた様子を見てやや落ち込んだ。
 昔から、弱音を吐いてはくれないのだった。


 私の顔を睨みつけていたアーサーの顔が歪んだ。
 手を振り払おうとして力をこめる。
 放すか、と私は思ったが、アーサーは意外と力の使い方が上手く、全力をかけるようにして外された。
 待ってくれ、と叫ぼうとしたが、それより先に瞳に捕われる。
 炎のような瞳が燃えている。


「話すことなんてない!」

 消え去った赤の残滓に、私は竦んだように置き去りにされた。
 あの時も。
 あの頃も彼の言葉に一言も反論をできなかったのだ。








 思えば彼は子供の頃からああして笑う少年だった。
 普段はしっかりとしているくせに、子供だけになるとへらと笑う。
 伺い見るような気配が不快で怒鳴っても、何一つ言い返さない。


 ごめん、アーサー

 アーサーは耳を塞いだ。思い返すことなどなかった思い出だ。
 どうして、どうして今更、と。
(もう、戻れやしないのに)








「セティ?」
 扉の向こうから私を呼ぶ声がして項垂れていた顔をあげた。アーサーの声ではない。
 承諾の声を待ってから扉を開けたのは黒髪に紫の瞳をした青年だ。
 マンスターには騎兵がまずやってきたので今まで面と向かって話した事はなかったが、歩兵を率いてやってきた彼の姿は覚えている。イザーク王家の者だったはずだ。
「スカサハ……だったか。何か?」
 表情の読み取れない青年は部屋に入ろうとはせず、軽く室内を見回した。
「アーサーとすれ違った」
 咄嗟に顔をあげると、やや気にした様子で続きを述べた。
「喧嘩でも?……あいつはあまり初めて会う人に優しくないから」


 それでわざわざ部屋にまで出向いてきたのだろうか。
 後に知ったことだが、彼はしばらくアーサーと同室だったことがあるらしい。そのため他の者よりも彼と親交があった。私と派手にぶつかったのかと思って、気をつかったのだろう。
 ただ、それが何故かショックだったのだ、私は。
 悪い奴じゃないんだ。と言ったスカサハに軽く礼を告げて私は部屋を出た。軽くしか、告げる余裕はなかったのだ。




 セリス公子の所までいって、解ったのはここには来ていない。ということだった。そこでやっと失態に気がつく。ジルフェに聞けば良かったのだ。
 アーサーの持つウィンドは、父の渡した物だ。ジルフェの守りが宿った書物の居場所は容易として知れる。
 バルコニーで風にあたっているアーサー。
 私は、その後ろ姿に静かに近づいた。



「アーサー」


 彼は勢いよく振り向いた。その顔は驚きに染まっている。
 私の瞳を凝視して、しばらく呆けたように眺めていた。……そして、何かに気がついたように諦めの色が混ざる。
「なんですか、セティ様」
 構わず続けた。
「私は君とまた会えて、嬉しかったよ」
「……何のことですか」
「私は」
「君を、友達だと思っているから」


 冷たい顔に、炎が灯った。
「今更」
「今更なんかじゃない!私は……私は、本当に」
「昔のことだ!」
 鮮烈な赤の瞳が睨みつけてくる。その目はなによりも苛烈なのだ。
「俺は、昔のままじゃない!お前とは違う!」
 どうしたんだ、と問い掛けたかった。
 もう10年の歳月が過ぎたのだ、変わらないはずも無い。それは私も同じなのだ。
 だが燃える彼の瞳に反論は封じられた。


「ごめん、アーサー」

 アーサーの顔がくしゃりと歪み、後悔せずにはいられない。
 私はまた間違えたらしい。
 かつてアーサーは私がそう言うたびに顔を歪めた。謝るな、と怒鳴った。
 彼の怒った顔は苦手だ。端麗な表情を歪めているのが私のせいだと思うと胸が痛い。
 だから、きっとその顔をみたらまた謝る。
 謝ればまたアーサーは怒る。
 私はいつでも彼を苛立たせないではいられないようだ。
「知るか」
 横をすりぬけて、アーサーは去った。











 アーサー。
 私は何に気がついていないんだろう?


(解らないままではきっとなくしてしまうのに)















(03/11/10)