風が吹いている (風は好きだ) 留まることなく自由に (なりたい姿) いつでも俺とともに (本当に?)
触れることもできない
(誰か)
(誰か)
(もう、終わりにしてくれ)
風 語 り 03:それを世界の終るまで
賢王が死んだ日。 聖戦の最後の英雄の死に、国を問わずユグドラル全域から弔問者が集まってきた。自然と皆が喪に伏し、大陸がひっそりと沈む。 レヴィンは厳かに運ばれる棺を民衆の中から眺めていた。生前の彼を示すかのような、真っ白な清廉とした棺。
とうとう。
とうとう、自分を知る者は誰一人としていなくなった。
持たざる継承者、ダインとノヴァの意思を継ぐもの、レンスター王子、マスター…… 様々な異名を欲しいままにした賢王、リーフ。 逃避行を続けていたとは言っても、様々な賢人から帝王学を学び、また努力家で、吸収の早いリーフが最も優れた王になったのだとレヴィンは不思議な思いがした。 そうだ。率先として聖痕の楔を外したのもまたリーフだった。本人が聖痕を持たないというのもあったのかもしれないが、それ故に最もこだわりをみせていたのも彼だったのに。 既に死去したアウグストを見事だと思う。「王子が真実時を呼び寄せる者であるなら」といって自分の要請に応じたあの賢者は最後までリーフを支え、成長させていった。 一人、一人と花を捧げていく葬列でマンスターからレンスターへの道が花で埋まっていく。 遺体はレンスターに、というのは生前からリーフが言っていたことらしい。2歳かそこらで追われ、僅かな間だけ戻った故郷は、トラキアを統合した時王都をマンスターと移転してもなお彼の中で祖国でありつづけた。
己の体はどこへいくだろうか。レヴィンは思いを巡らせた。 いつかシレジアへと帰るのだろうか。それとも母と妻が一度眠ったトーヴェだろうか。
それとも風に散って、塵と成り果てるのだろうか。
どれでもよかった。本当にそんな風に体と魂とを分離して、風に還る日が来るというなら。 シレジアの民は、皆いずれ風になる。 本当に、風に還る日が来るというなら―― 愛しいものたちと共に空を駆け巡る時がくるならば、この身体はどこに眠ろうと構わなかったのだ。
リーフの葬儀の列から離れてレヴィンはまた歩き始めた。目的地は特に無いし、何十年か前には使いつづけていた術を使う気もない。 自分を待っている者がいるわけではなかったし、心配する事柄も無い。急ぐ必要が無いのだった。 足の向くままに、と思いながらレヴィンはぞの足が真っ直ぐにミレトス……いや、ヴェルダンに向かっていることに気がついた。 (次はヴェルダンか) ヴェルダンには数年行っていない。さして問題が生じたという噂も、風の声も聞いてはいないが次はヴェルダンというのは確かなようだ。 せめて自分で歩きたくてレヴィンは意識を強めた。己が動かされているという感覚が失せ、歩みが強くなる。
(......ヴィン)
(...レヴィンさま)
耳元のジルフェの声。レヴィンは目を閉じて歩いた。 ずっと、耳の横で聞こえる声。永続には続かない声。
(...レヴィンさま)
レヴィンは目を開かなかった。見えないのだから。 見えないのだから、せめて目を閉じてそこにない姿を見たほうがいくらかましだと思っていた。 北トラキアの風は暖かい。賢王の治世によって育てられた豊かな大地は目を閉じたままのレヴィンを優しく導く。 随分違う。 もうずっと前の感覚でも、より一層鮮明にレヴィンはシレジアを思い出した。2年前に見に行ったシレジアではなく、若い頃の思い出だ。 冬、容赦なく吹き付ける冷たい風。短い夏の足早の実り。豊かなトラキアとは比べられない程だったがそれでもシレジアの方がレヴィンは好きだ。 美しい白と緑の大地。あの国が好きだ。 (あの国と、この大陸が守りたかった) レヴィンは目を閉じていた。柔らかな風を受けながら、シレジアを想った。
(...レヴィンさま)
その声が、彼にとってのシレジアの一つだった。
静かになった城に、レヴィンはひっそりと降り立った。 夜の冷たい空気があたりに漂う。 いつのまにか、雪がちらつき始めている。 こんな風にぱらぱらとちらつくのは少しだけ。直にこの雪はあっという間に緑を覆うまでになるだろう。 滅多に人も気が付かないシレジアの初雪にレヴィンは目を細めた。
久しぶりにみたそれに、懐かしくなったのかもしれない。 レヴィンは常に身につけている銀の横笛を手にとって、静かに口を当てた。そのままゆったりと細い音が空に溶けていく。 レヴィンらしからぬことだったが、レヴィンは背後から近づく足音に気が付かなかった。 「――?」 ふと呼びかけられた気がしてレヴィンは演奏を止めた。止まった笛の音に、邪魔をしてしまったと思ったらしいその人影は若干慌てて謝った。 「あっ……すみません。邪魔をしてしまいましたか」 レヴィンはその人影を、認めて僅かに眉を動かした。しかしそれだけで軽く首を振る。 人影……青年はそれで安心したようだった。 「美しい音が聞こえたものですから……本当は、余計な音を立てないように、と思ったのですが 今夜の宴の場では姿を見ませんでしたが、呼ばれた吟遊詩人の方のうちお一人ですか?」 レヴィンはそれには答えなかった。ただほんの少し微笑んだ。 「シレジアの第一王子が……何故そのような丁寧な口調で私に接するのだ?」
青年は少し驚いたかのようだった。髪の中に手を入れて、少し照れたように苦笑する。 「笑いませんか?……私は、貴方に無作法に応じる気が起きないのです」 それから、すこし瞳の色に違う色が浮く。 「セティ王の描かせたというフォルセティの絵。貴方はそれにそっくりなのです」 今度はレヴィンが驚く番だった。とはいっても、顔に出はしなかったが。 「セティ王の父王、レヴィンの肖像画に即して描かせたといいますから、本来はレヴィン王に似ている、というべきなのかもしれませんが」 だからでしょうか。と言って青年はまた髪の中に手をいれた。始めは整えられていただろう髪は既に乱れている。
レヴィンはそれをみて笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだ、というくらいだ。青年は少し憮然としたが、レヴィンは一向に構わなかった。 「あの」 さっぱり笑い止まないレヴィンに呆れたのか、青年は歯切れ悪く話し掛けた。レヴィンの瞳が青年へと向けられる。金色のそれに一瞬ひるんだが、青年はそのまま話を続けた。 「もう一度……お聞かせ願えませんか?」 レヴィンは、微笑んだようだった。 突然つむじのように風が舞う。 粉雪を巻き込んで目も開けられないかと思われたそれは直ぐに止み、そこには誰もいなかった。 青年はきょろきょろと辺りを見回したが、誰もいない。
また、音が響き始めた。 どこから、とは特定できなかったが、あの人が吹いているのだと青年は察した。 「風の、フォルセティ……レヴィン王……!」 綺麗だけれど、悲しい音色だった。
(...レヴィンさま)
ジルフェが呼んでいる。 レヴィンは一人笛を吹きつづけている。
(...レヴィンさま)
ジルフェの声。でも違う。レヴィンはひょっとしたらこれは自分の幻聴なのかもしれない、と思った。いつでも声を聞くことで、傍にいるのだと思おうとしているのかもしれない。 レヴィンは笛を止めた。
(...レヴィンさま)
ナイフをもう片方の手に振り下ろした。ナイフは手の寸前で凍るように静止した。 トルネードの句を唱えた。激しく逆巻く風は自分には心地良い詩のようだった。 高い崖から身を躍らせた。風は優しく身体を包み、柔らかに崖の上へと引き戻した。 冷たいはずの深海は、レヴィンを陸へと送り返した。
(...レヴィンさま)
目を閉じてはいられなかった。 自傷の趣味は無かったが、せめて痛みがあれば自分を人と思えたのかもしれない。 レヴィンは目を開いた。
(...レヴィンさま)
ジルフェの声。 誰の姿も見えない。 これが自分への罰。
「フュリー!」
(...いつでも、おそばにまいります)
「何故だ!?」 レヴィンは見えない風を掴めたら、と空中で手を掻いた。 通り抜けて落ちる。 「俺は風になることも出来ない!お前の声が聞こえても、お前の姿を見ることは出来ない! お前の存在を疑うようにさえなっていく!」
レヴィンを暖かい風が包んだ。優しく強い、そして弱かった女の温もりだった。 (本当に?) レヴィンは涙を流しはしなかった。多分とっくに枯れているのだ。レヴィンはそう思っている。
「フォルセティ!お前は俺にどうしろというんだ! 既に聖戦を戦った者は一人もいない。神の名も薄れていく。俺の名を呼ぶ者は現世に無い!」
風がレヴィンに呼応するかのように激しく吹き荒れる。けれど、決してレヴィンを傷つけはしない風。 レヴィンは声が枯れるほどに叫んだけれど、声は枯れることは無い。 (いっそ枯れてしまえば良いのに) レヴィンはもう一度叫んだ。風の神の名を。もう、風化し始めたりゅうの名を。 (そうすれば、じきにこの心さえ、痛みを忘れていくだろう)
「フォルセティ!!」
永劫という名の牢獄。 そこは壁はなかった。 遮るものは何も無かった。 世界の全てが見えていた。
けれども、他に誰も居なかった。
(フュリー) 風になった娘。 今でも、自分の耳元で、自分を守りつづけている娘。 風に、なりたかった。
でも
君の元に還れない。
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