耳元で風が哭く
背中越しの悲鳴
熱く燃えるような大地
剣戟


後ろから聞こえた愛しい人の呼び声と
駆けて行く戦友


つんざく悲鳴が風のものか
それとも戦友たちのものかもわからない


きっとこれは

なにかの、悪夢





風 語 り
01:その空の綺麗な日





「レヴィン様、レヴィン様、レヴィン様……っ!」
 もう、幾度呼んだだろうか。
 幾度その手の槍を振るい、変わり果てた戦友の姿を見たのだろうか。
 手先がじんじんと麻痺したかのように感覚が無い。それでも向けられた殺意を屠り続けられたのは自分より大事な人をその手で守る為だ。


 絶対、死んではいけない人。
 誰よりもいとおしい、優しい人。


 赤い禁呪は控えていたシグルド軍の兵に向けられたものであり、数多くのバーハラ兵も並んでいたレヴィン達の方へとは落ちてはいない。
 それは周囲が敵に満ちているということでもあるが、不意はつかれていないのが確かだ。
 何人も触れることさえ叶わないほど、風に愛された人だから。
 剥き出しの悪意に満ちたこの地で、まだレヴィンの倒れた姿を見ていないことだけがフュリーを動かしていた。



 後ろから聞こえた愛しい人の呼び声





「アルヴィス……っ、よくも……!」
 体内を巡る血が熱く燃える。
 呼び止めの声さえ聞こえず聖剣を抜き放った。
 許すことはできなかった。


 遠き地で倒れたクルト王子。
 グランベルの駐留の中、騎士として亡くなっていったエルトシャン。
 冷たい寒期の中暖かく迎えてくれたシレジアに向けられたバイゲリッター。
 逃亡の末に、逝った父。
 自分の来訪に、喜んでいた民たちを思い出した。
 反王子派たちの圧制に苦しんでいた姿。


 世の中は、理解不能なことでいっぱいだ。とても無傷で生きられそうに無い。

 それでも、夢があるんだと、笑っていたキュアン。
 傍にいたいと、彼の夢を共に叶えるのだと微笑んだエスリン。


 ティルフィングを携えたシグルドを、止められる兵は無い――。
 巨大な門からアルヴィスの後を追っていく。



 駆けて行く戦友











 レヴィンはクロードと共にいた。シグルド軍の中で、この二人のみがシグルドと共に奥へ行くことを許されていたからだ。
 他の者達はいずれも継承者を別としていたし、ヴェルダンの王子であるジャムカは呼ばれることはなかった。
 二人とも率いる直属の兵をもってはいなかったのも、シグルドと共に来た所以だったかもしれない。


 そんなことは、今は何の役にも立たなかったけれど。

 呼び止めた言葉はシグルドの耳を通り過ぎ、シグルドはアルヴィスを追っていった。
 四方八方はバーハラの兵が取り囲み、今にも殺到してこようという様子である。
 レヴィンはつたう汗にも気が行かずに、ただ立ち尽くしていた。
 メテオがやってこようと、跳ね返す自信はあった。幸い隣にいたのはクロードだ。魔法を差し向けられたとしても傷一つ負わない確信がある。
 でも、ばくばくと鳴る音が五月蝿い。
 今まで体感したことの無い感覚が訪れていた。最も、こんなことには誰も経験などないだろうというのは断言できるけれど。


 頭の中は混乱していた。敵(ぼおっとしてその実感も薄かったけれど)が迫ってきたら一撃のままに倒すことはできるだろう。だがそれからどうすればいいと言うのだろう。
 シレジアまで行けば安全だ。だがここはグランベルの中心バーハラ。生憎ワープは手元に無い。


 それに、あったとしても他の者を置いていけない。

 本当はシグルドを追っていきたかった。
 ぐるぐると巡る悪寒。バーハラ王宮は暗い影が見える。
 助けなければいけない、とも思った。
 でも、外の見えない王宮内では他の者を助けられない。


 ひょっとしたら、出来様も無い判断をシグルドに任せたいだけかもしれないけれど。



 ふと、横のクロードを見た。一時間もたった気分だったが、まだ周囲の兵が様子をみているあたりから数秒も経過していないようだった。
 常に手放さなかったバルキリーを、シルヴィアに預けていたのを見た。
 リカバーの杖だけ持ったクロードは、見守るように王宮へと視線を向けていた。


 辛い瞳をしていた。
 滅多にゆがめることのない顔を食いしばり、絶望に顔を染めていた。
 それでいて運命を見据える瞳に、ふと口をついて問い掛けていた。


「ブラキの塔で、みたのか?」

 はっとして振り返ったクロードに確信が舞った。嫌でたまらなかった学問だが、こうして時に甦ってくるのはそう不快ではなかった――。
「知ってて……知っていて、黙っていたのかよ!」
 レヴィンは胸の奥につまっていた塊を吐き出すかのように叫んだ。
 苦しい。
 むかむかしている。
 運命なんて、信じていなかったのに。
 運命の悪意に絡められた場にいるのは酷く苦痛だ。
 バルキリーを置いて来たクロード。
 凱旋だというのに不安に顔を歪めた進軍。
 遺言のような、愛の囁き。


 運命だと言うのだろうか。
 皆が皆、予感していたのだというのだろうか。



 こんなような、裏切りが

 人の汚いところが、決まっていたと


「冗談じゃない!」
 シグルドを助けなければ。そう思う。
 このような運命から、あの清廉な男を救い出さなければ、と。
「レヴィン王子」
 クロードの腕を引っつかんで駆け出そうとしたレヴィンにクロードの声がかかる。
「何やってるんだ。あんたも行かないと――」
「あなたは、生きなくてはなりません」
 呆然としてクロードを見返した。
 この男は、何を言っているのだろう。
「皆を導くのが、風の申し子たる貴方の役目です」
 何を、言っているのだろう。
 何を――













 ごう、という風が吹いて、フュリーは目的地が定まったかのように一気に駆け出した。
 優しくて、悲しい風だった。
 こんな風を呼ぶような人を、フュリーは一人しか知らなかった。
「レヴィン様!」
 倒れ付す兵士達の先に、一人立っていたのは何より求めた人の姿だった。
 揺らぎもせず立っている、風に愛された人。


「レヴィンさ・・・」

 ぽたり

 風が舞う。
 慟哭の歌を、悲しみの歌を奏でる。


「シグルドが死んだ」

 悲しい。
 悪意に染め抜かれた大地がとても憐れだ。


「逃げろ、フュリー。俺が活路を開く。弓の一本も近づかせはしない。
 続く限り、北へ。シレジアまで行けば生きられる」


 ただ、この手に叶うのは望むことではなく。
 いとおしい存在の為の、未来を切り開くことしか。


「嫌です。あなたと共にいさせてください」

 幼い頃に夢見た美しい世界を具現させるために。
 優しい心を持つ人が、幸せの中に生きられるように。


「馬鹿。俺の子を殺す気か!」
 レヴィンの言葉にフュリーは驚きに目を見開かせた。伝えていないことだった。
 一瞬怒った顔を見せたレヴィンが、なんとも言えぬ表情を浮かべる。
「行け。母上に孫の顔を見せて来い……俺も、必ず帰るから」
 こみ上げる涙に眩暈がしそうだ。
 フュリーは歪む視界に震えながら頷いた。
「約束……です。絶対……」

                           マジックシールド
「馬鹿、泣くな……クロードの置き土産もある。絶対だから」



 はばたきは決別の音だった。レヴィンは目を閉じた。
 人はどうしてこんなにも弱いのだろう。
 どうして、人は傷つけあうのだろう。
 それが嫌で、いつかは国を出たのであった。
 でも、今は。
『我が意志に応えよ。フォルセティ……!』
 風が
 決して誰も傷つけず、また、誰もかも切り裂く風が吹き荒れる。
 その風に優しく包まれるように、フュリーは一度も振り返らなかった。















 静かになった。
 どこからも、剣戟の音一つ聞こえなくなった。
 もはや大多数は掃討にうつっているのがわかる。
 当然だ。逃げられるものは全て、フォルセティの開いた活路を辿って消えた。
 そうでないものは……既に。
 誰も、レヴィンに近づこうとはしなかった。
 翡翠の竜がそこにいる。
 レヴィンも、近付けない兵士達にその手を向けはしなかった。
 王宮の中にレヴィンが消えるのを、誰も止められない。


 後で思えば、それはそう言い含められていたのかもしれない。







「お待ちしていましたよ。風の王子よ……」
 王宮では、きらびやかな装飾も、ファンファーレも、王座の王もレヴィンを出迎えてはくれなかった。
 バーハラの闇が、たった独りでレヴィンを出迎えた。
 漆黒のローブは周囲の闇に同化した。闇に包まれた空間だ。
 レヴィンは拭ったばかりの瞳でその男を睨みつけた。
「挨拶が遅れましたね。私はマンフロイ」
 周囲の闇が、色を濃くする。
「セティの血をひくレヴィン王子、貴方を歓迎いたします」
 闇がレヴィンを侵蝕していく。
 始めから不利な戦いを挑んだと、始めから分かっていた。それでもこない訳にはいられなかった。


 閉じられた空間。
 蓄えられた闇。
 既に幾度も放たれた風の残り香。
 レヴィンを闇が侵蝕していく。


 闇が濃い。
 それでいて、とても悲しい闇だった。
 レヴィンはまた、一筋涙を流した。
 意識の途切れる時に目に入ったのは、持ち主の失せた聖剣の宝石。
















 選択を

(誰だ?)

 選択を、せよ

(俺はもう嫌だ。こんなに穢れていく人を見ていられない)

『あなたは、生きなくてはいけません』

(誰も殺したくなんてなかったのに!)

『綺麗事じゃないんだ』

(あんただって綺麗な夢ばかり見ていた。だから皆死んでしまう!)

 選択を

(いいよ。このまま、寝かせて――)



『約束です!』



 レヴィンは目を開いた。
 驚愕に目を見開くマンフロイ。
 自然と流れる呪。マンフロイがふたたび術をはなつ前に、レヴィンの姿は忽然と消えた。










 レヴィンは一人だった。
 本当に、たった独りだけだった。
 頬を涙が伝う。
 見下ろす世界は、幼いとき見たままに美しい。




 与えた時間は以下のとおり、それが汝の人としての時
 それが終る時、選ぶがよい
 世界を見守る者として在るか否かを




 雪のちらつき始めた大地を踏みしめて歩いた。
 約束は、守れそうだった。
 幼い自分を守っていた懐かしい空間を目指して歩く。
 守る為に。
 これ以上、失わない為に。


 ――――選択の時まで














 見下ろす世界は、綺麗だった
 見上げた世界だって、綺麗だったよ


 本当に、綺麗だったんだよ、と









 (02/12/11)