俺の忠誠は貴方にはない この誰にも与えられない いつか、この命を賭ける人が現れるかもしれないけど
貴方を信じているけど
自由騎士
「デルー!」 声変わり前の高い声がして俺を呼ぶ声がした。覚えのある声だ。と、いうよりも記憶のある頃から隣にあった声だ。 「セリス様」 使い慣れない敬称をつけて、俺は振り返った。シアルフィ出身者独特の青い髪が視界に入る。 そうは言っても、自分と同じで故郷の色を見たことは無い人なのだけど。 ぺこりと一礼してから向き合ったセリス様は不満そうな顔をしていた。 「デル、どうして僕をそうやって呼ぶの?」 最近使い始めた敬称に、セリス様は酷く居心地の悪そうな顔をしていた。どうしてだろう。セリス様は、いつだってオイフェ様にそう呼ばれているはずなのに。 「セリス様は、皇子だからです」 いつか必ずバーハラへと戻って、童話のようなきらびやかな王座に座るはずの人だからです。 何度か繰り返したその言葉に、セリス様は顔を歪めた。
「君は」
呼び止められたということは何か用があるということだ。それを待っていた俺に、セリス様は歯切れ悪く話し掛ける。 何故だか、予感がした。 「セリス様、オイフェ様に言いつけられた用事がありますので、緊急の用でないなら俺、もう行きますね」 敬語はやはり、使いにくい。俺はいいかげんな礼をして踵を返した。 「待ってよ、デルムッド!」 待たなかった。セリス様のお言葉に、従いはしなかった。
「君は、僕を主君だなんて思っていないくせに!」
幼い言葉だな、と少し思った。不敬罪だろうか。
でも、俺はあの人をわが君主とは思っていなかったから、本当に思っていなかったから、その言葉を訂正することもしないまま走り去った。 聞かなかったことにした。
「セリス様はバーハラの正当なる第一皇子。これからは、友達のように話してはいけないぞ」 オイフェ様がそう話された。 シャナン様もレヴィン様もいないときだった。剣の稽古で(とはいっても練習用の模擬剣だ)セリス様が少し怪我をした時のことだった。 レスターとスカサハが顔をつき合わせて困惑する。ラナはこくこくと夢中で頷く。ラクチェは不思議そうにそんなラナを見ていて、それから小さく頷いた。 俺はというと、ほんの少しだけ開いた扉をみていた。 オイフェ様は常日頃セリスに敬意を払っていたし(あ、こんな風に呼んではいけないんだな)俺は剣もできて馬にも乗れて、いつも忙しくしているオイフェ様を尊敬していたから、すぐにそれを受け入れた。 オイフェ様がいつもセリス様を特別にしているのは、セリス様が尊い人だから。 こくりと頷いた。扉の向こうの瞳が揺らぐ。
「わかりました」 肯定の言葉に、はっと驚いたオイフェ様。でもすぐに小さく頷いた。俺も、こくりと頷き返す。神妙そうな表情もついでにつけてみた。 驚いたようなみんなの顔。でも、すぐに戸惑いながらの返事が出る。
揺れる瞳。
「そろそろ起きたかな」 独り言のように呟いた。そうね、とラクチェが頷いた。 「俺、”セリス様”に謝ってきますね。セリス様に怪我させちゃったの俺だし」 怪我をさせたのは別に責められなかったけど、すぐにそうしようと思った。 「あまり謝ると・・・セリスも、気にすると思うよ」 いつもながら控えめなスカサハの言葉。それにかまわず俺は席を立つ。 少し開いた、扉を開けた。
「・・・セリス様?」 怪我人用のベッドに寝ている後ろ姿。 「あれ、まだ起きてないのかな」 後ろから覗き込んだレスターが言った。寝かせてあげようと、扉を閉める。
・・・扉が閉まる瞬間、セリス様の背中が少し動いた。 瞳は見えない。
それからしばらくして、俺以外の皆も、「セリス様」と呼ぶようになった。
オイフェ様の用を済ませてから、俺は練習用の剣をもって中庭に足を進めていた。打ち合う音が聞こえてたからだ。 シャナン様は今いらっしゃらない。オイフェ様は執務中。今こんな風に打ち合いを行なっているのは二人ぐらいしかいない。
「スカサハ、ラクチェ!」 俺の呼びかけの一瞬後、大きく木がぶつかり合う音がして、二人はぱっと間合いをとった。 「デル」 黒髪が汗で額に張り付いていた。漆黒の色がきらめく。 「もう少しで、わたしの勝ちだったの」 ぽつりと漏らすように呟かれた言葉は一瞬よくわからなかった。ただ、告げられた事実だったからだ。でも言葉に込められた分からないぐらいの不満に邪魔をしたかな、という気が沸く。 同時に、それを感じ取れたことに自画自賛。
「剣戟の音が聞こえたから、俺も」 軽く練習用の模擬剣を掲げると、ラクチェの瞳が天からの光に輝いた。 瞳に込められた興奮に伝染したのか、自然と俺も昂揚してくる。隣にいたスカサハが軽く嘆息したのに、ラクチェは気がつかないようだった。
正眼に剣を構える。 数メートル離れた状態で対峙した。
何度も繰り返した稽古だった。 ラクチェの持ち味はスピードだ。気を緩めたら一気に打ち込まれることに経験で理解していた。 俺は全体的にラクチェに劣る。 自分より剣技の優れた相手を負かすには、同じことではりあっちゃいけない。 俺がラクチェより優れたところで、ラクチェの得意なところを出させない戦い方をしなくちゃいけない。 この双子との稽古は、いつでも真剣勝負だった。
ゆらりとラクチェの剣が揺れた。 紫の瞳が俺を真っ直ぐに映す。
くる。
一気に間合いを詰めてくる透明な視線。 風に乱れる漆黒の髪。 かすかに開けられた唇は、さっきまで独特の呼吸をしていた。
そうだ。この唇も「セリス様」と紡ぐんだ。 そう聞いた時、たまらない違和感と、あつらえたかのような適切さを感じた。 あの人は、そういう人。
カン、という音と共に高く舞い上がった一本の木刀。 はぁ、というスカサハの吐息がやけに大きく聞こえる。 衝撃で痺れた手を不思議そうに見て、ラクチェは大きくのけぞった。
あ、倒れる。 剣を持った俺の手も、じんじんと痺れていたけれど、呆然とラクチェを見送ってはいなかった。手を伸ばす――
ぽすん、とラクチェはスカサハの腕に収まった。
「ラクチェ、疲れてたの自覚してなかっただろ」 「わたし、疲れてた?デルの力が強くなったんじゃないの」
伸ばした手がなんとなく浮く。
「あ、デル」
ラクチェがすい、と俺を指差した。 と、いうより俺の頭上を。
スカン、と音がして俺の意識はすっ飛んでいった。
「あ、セリス様」 どこか遠い声がセリス様の名を呼んだ。 「・・・君たちも、僕をそう呼ぶんだね」 陰りの見える声。あの時もそんな声をしていた。 そういわれたほうは、困惑したようだった。 「僕は、君たちと……友達でいたいんだ」 なんて答えたかは聞こえなかった。
でもセリス様。 貴方は皇子であることには変わりが無くて。 貴方が俺たちの中心であることにも変わりが無くて。 貴方を称える訳ではないけれど。
貴方の夢を、信じているのに。
「・・・セリス様。俺は、今でもセリス様を大切な友人だと思ってます」 「うん。セリス様、これは、言われたからではないんです」
「あなたが皇子様でなくとも、セリス様はわたし達の光」 「セリス様に対する、敬愛です」
「言葉の響きに、惑わされないで」
なんと答えたかは聞こえなかった。でも、目覚めた時にセリス様がいた。 綺麗な顔をしていた。複雑そうな顔だったけど、それでもなにかが取り払われた顔をしていた。 きらきら、光ってた。 他の誰も持ちえない、この人だけの、光だった。
それが、俺が信じた人。
「・・・おはよ。デルムッド」 「おはようございます、セリス様」
セリス様が照れくさそうに、でも、どことなく晴れやかに笑った。それが嬉しくて、俺も笑った。 きらきら、きらきら 君主ではない、友人とも言い切れない、対等にあるとは始めから思っていなかったけど。
あなたを信じています その事実がためだけに、剣を捧げているのです
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