正当なる公子の帰還に沸き立つ城下 笑い ほころび 感涙に泣いている
けれども彼は笑えないと思うから (だから私も笑わない)
炎の継承
ひやり、と冬を迎えた空気がほてった肌に触れた。 シアルフィに到達したのは冬だった。戦下で新年を祝うのであれば、おそらくこのシアルフィで過ごすことだろう。それだけ解放軍にとってこの城の解放には意味がある。 解放のための進軍は、反乱軍と呼ばれ軽視されていた頃とは雲泥の差の軍の規模で、いまや本土にまで達している。それほどマンスターにいた頃よりもよほど短い時間で、だが長く感じた時である。
ほお、と息をつくと白く染まる。 セティは寒暖による不利は特になかったが、それでも空気が張り詰める冬の方が得手だ。 できればこのまま冬の間に進みたいような気もしたが、作物の採れない冬に戦争を進めるのは民の反感を買う。レヴィンの言葉がいちいち正論で腹ただしい。 今日一日は終わらないであろう祭りから抜け出してセティは冬の空気を吸い込んだ。 12の月になって、ようやくシレジアを懐かしむくらいは冷えてくれる。
シアルフィは、初めて訪れるセリスの故郷であった。訪れたことさえないのに故郷とはおかしなものだが、解放軍にはそのような身の上の者がたくさんいる。 冷たい空気をほてったものに変えているのは、公子の帰還に沸き立つ民であった。喜びは当然だ。シアルフィは二代において裏切り者の名を冠されて屈辱の元に置かれていたのだから。 だから、どこかその騒ぎを空白なものに感じるのは自分の事情なのだ……。
この宴会に参加することのできない人。彼を身近に感じるからなのだ。
馬を駆って目の前から消えた 追いつけない速さ 誰か止めてくれ、と叫んだ気がする 避難させられた城下 踏み荒らされる城
決闘とは――
謁見の間で行われるものだ
何人目かの見張りに労いの声をかけた時、気になる言葉を聞いた。 「セティ様も宴会から抜け出してきたんですか?」 他よりもやや強い親しみを込めた声にああ、とセティは思い出した。彼はマギ団の中に見た顔だ。 「他にも誰か?」 「アーサー殿が出てきましたよ。屋上の方に向かったようですが」 「そうか、ありがとう」
ジルフェに聞こうとしなかったのは何故だろう、と屋上へと足を進めながら思う。 会わないほうがいい、と思っているからだろうか。実の伯父を眼前で失った親友と。 それとも何も言ってくれない友達に、必要とされていないと気がついてしまうのが怖いのか。
結局、心当たりに思う場所が一つもないことは同じだ。
軍を差し置いて一人シアルフィへと先行したアーサーは、全身大火傷を負ってベッドに寝ているはずだった。 伯父と一人で対面するためだ。セリスに続いて駆けつけたセティは知っている。 フリージの血統のことごとくのように、彼を殺したかったのかどうかはわからない。 そろそろ目が覚めるかと向かった部屋を前にして逡巡した数分、開けた部屋の中には、だがベッドの上に彼の姿は無く、すっかり冷えた寝台が横たわるばかり。 どこへ、行ったのだろうかと。
疲れた瞳をした皇帝の焼き爛れた衣 無事な肌さえない親友 足を踏み出していく公子 両者の表情に微笑みが昇り 従騎士は耐えられないといったように瞳を伏せる
どうしてリカバーを持っていないのだ、と 私は己を罵った
「アーサー?」 セティは暗がりの中目を凝らした。黒い衣装を好んで纏う親友は、それでも闇夜に煌く銀の輝きを宿しているので常は見つけるのに苦労しない。 ひらり、と銀色が舞った。 青年は……まだ少年と呼べるくらいの人影は虚空の闇を見つめていた。黒衣が夜に溶けていて、シレジア育ち特有の白い肌と銀紫の髪だけが浮いたように鮮やかに浮かぶ。 声が聞こえなかったのだろうか、紅い瞳は向けられない。 いや、気がついているはずだ。 彼は魔法騎士としての訓練を積んでいる。こうして近くにいる気配を読むのも己よりずっと長けているはずだった。 振り向いてくれないだけ。 その事実がセティの足を鈍らせた。整った横顔を見つめながらそれ以上話しかけられない。 幼い頃にも幾度となくただ見つめるしかなかった横顔だ。淡白として感情の見えない容貌。むしろ感情は豊かなほうであると知っているが、それを見せようとしないのだ。
淡白として、感情の見えない。
「……アーサー!」 急な叫びと引かれた腕に、アーサーは驚嘆したように振り返った。ひらめいたマントの影に赤い影が覗く。 振り返ったアーサーは、一層驚いたようだった。緩慢に手を振り払いながら口を僅かに動かした。 「何」 最古の記憶のものよりも低い声音は、冷たい夜の空気にのって聞き逃すことがない。 「何で、そんな必死な顔してんだよ」 君がそれを聞くか。 どうしてセティの感情を泡立たせる人たちは、皆揃ってそれが不思議かのように問うのだろう。 「君が」 それでも不貞腐れて答えるのを止めはしないのだろう。これは既に性分だ。 「泣いているから」 アーサーは、分けがわからない、というような顔をした。
「泣いてないよ」 乾いた瞳で、アーサー。 「泣いてるよ」 「泣いてねーってば」 どうしてわかってくれないのだろう。涙一つ零していないアーサーは、自分が泣いていることを納得してくれない。 それでも。 (セティは全くもって頑固だった)
それでも、風は君の代わりに泣いている。
ごほり、と血を吐きながら見つめたのは愛した女の息子ではない 本当に 本当に、手放すべきではなかった家族の遺児 その信頼を、決して裏切るべきではなかったと どうして、涙が流れるまで気がつかないのか
どうして、誰もかも気がつかないままなのか
神器を差し出して 持つべき者に、と呟いた
そう告げたセティに、アーサーはぎょっとしたようだった。嘆くように息を吐く。 「お前、引かれるぜ」 端正な顔には暗い影が落ちていた。 「これ、なんだと思う?」 懐から取り出されたのは真紅の書物だった。古ぼけた魔道書で、表紙には古代語で名が刻まれている。 「……ファラフレイム?」 一瞬の躊躇は、己の知るフォルセティとはまるで違ったからだ。赤い本からは何の温かみも感じない。 「そう。ファラフレイムだ」 暗闇に梳かすように掲げる。光のない夜の中、影が落ちて表紙さえ見えない。 「聖戦士ファラの炎。十二神によって託された神の火、ヴェルトマーの当主の証。敵となるものの骨さえ残さず焼き尽くす業火の理……」 あと他に謂れはあったっけ、と呟くが思い当たらない。 ファラフレイムに視線を送る眼差しは暗く、どこか空虚だ。 「勝手に預けて、死んでったおっさんの魔道書だ」
「セリス様は……君が持つべきだと思ったんだろう」 「誰が?俺がか?」 アーサーは酷薄に笑った。それでも泣いてると感じる私が変なのか。 「俺は、父さんじゃない。あの人のように、潔白を訴えるべく向かうわけでも、誰かを助けたくて戦場に向かうわけでもない」 神器が選んだのはあいつ。無造作に空に放りながら息を吐く。 「この世界を癒したいわけでもない。光に包まれたいわけでもない」 なのに、どうして、と。
「なのに……どうして、俺なんかに謝るんだ」
大気に熱が篭もった。風もないのにアーサーの銀紫の髪が空を舞う。発熱したように赤みを増した。 「謝るなら……っ!謝るぐらいなら、始めからしなければいいじゃないか! 後悔するくせに……父さんを切り捨てて!世界を良くしようとしたってことも、そこで謝ったら、全部間違ってることにするのか!?」 だったら、本当は始めからわかってたはずだ。 「でもアーサー」 政治に染まらない率直な怒声だった。 「何で!……何でだよ。自分で馬鹿やってるってわかってやんのかよ。違うだろ……っ!?」 「アーサー」 馬鹿をやっている、とわかって馬鹿な施政者が愚行を続けたならば、民は一体どうすればいい。 「そんなのは卑怯だ……」 でもアーサー、彼は本当に、これで良くなる、と思って進んだはずだ。 そして、それでも弟を、君の父を手放したくなかったのも事実なんだろう。 「何でお前に、そんなことがわかる」 だってアーサー。
……君だって、アルヴィスに死んでほしくなかったんだろう。
本当は、誰が死ぬのだって嫌なんだろう?
顔を歪めた親友は口汚く罵る すっかりと静まった夜 床に落ちたファラフレイム
”ずっと、フリージについても、ヴェルトマーについても、知りたくなかった” ”相手を知ってしまえば、理性を飛ばさないと戦えなくなる”
戦争が終わったら、と今までにないことを呟いて言った
”俺はきっと、ヴェルトマーに行くよ”
宝玉が煌いて光を灯す 神器は既に君を跳ね付けない筈だ 気づいてもいない様子の、親友に笑った
城の隅で宴会の続きをしよう。 君は強いはずなのに、いつになく酔って笑っていた。 「ばーか、せてぃー」 君の親友をやってるのだから、きっと馬鹿だね。
一応賢者なんだけど、と詮無い反論はしておくよ。
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