闇の樹海で。
いつもおとうさんと一緒で
夜もずっと一緒で
暗闇にまどろんだ


これは、ちょっとした我侭だった

「おにいちゃん。夜…一緒に寝てくれませんか」



ひょっとしたら叶えてくれるかな、と





最後の我侭





 困った顔にしてしまった。よくわからないが外の世界ではメスとオスは寝所を共にしないものらしい。
 がっかりしたのが目に見えて解ったのだろう。エフラムが瞳を僅かに伏せる。
 いつも自信に溢れて怖いものなどないような人に、そんな顔をさせてしまった。
「そんな顔をするな。……エイリークに頼んでみるといい」
 そう言ってエフラムはまた槍を構えて敵兵のほうにいってしまう。


 そんな顔をさせているのは私です。

 ミルラは頷いてエフラムを見送った。ピンと伸びた綺麗な背筋。
 碧空に映える髪が土埃の中に消えていく。
 何より勇壮なその姿を瞳に焼き付けると、ミルラは視線を外す。
 エイリークに頼みに行くことはないだろう。




 ひとりでねるのがさびしいわけじゃないんです。

 もうすこしで

 もうすこしで終わってしまうので


 一緒にいたかっただけです。



 我侭だ、と思う。
 兄と呼ぶのと同じことだ。エフラムの傍に居たくて言うのだ。


 呼びかけて、傍にいて。
 振り返ってくれるように。


 ミルラは己が竜だということをとても解っていたので、それが我侭で。
 そして、それが我侭の限界だということを知っていた。




(だから、ずっとなんて望みません)

 それは我侭を越えている。
 決して言えない。











(一緒に来るかと言われた時、だからとても嬉しくて、嬉しくて、悲しくなりました)





 あれは、本当に我侭だった。
 エフラムの優しさにつけこんだ。
 一緒に居たいと告げることは、彼にとても大きな決断をさせることだったのに。


 エフラムは放りだすことはしない。
 ミルラを助けて連れるようになってから、ミルラを邪険にしたことはなかった。
 それは彼が地位も権力も財力もある、王子という身分だったからかもしれない。
 けれど、エフラムは例えば一度拾った仔犬の行方を最後まで考えるだろう。
 救いを求めるルネスから逃げないように。
 親友が助けたいと叫んだグラドを、きっとこれからも見捨てないように。


(エフラムに”一緒にいて”と強請ることは、彼に大きな決断をさせることだった)

 叶わないと知って一緒に居たいと言うのは無責任なことだ。
 エフラムは勝てない戦いはしないと言う。
 彼が勝てるといった戦いは勝って見せるし、勝てないと思えば撤収する。


 私は、一緒に居たいと伝えてしまった。

(帰らないといけないのに)
(もうあの森には私しかいないのに)


 自分にできない決断を、この人に任せてしまった。

 YESと答えれば、エフラムは全力をもってミルラの居場所を作るだろう。
 YESと答えれば、本当にルネスはミルラの国になるだろう。
 YESと答えれば……エフラムは、自分が死ぬ後のことまで、ミルラのことを考える。



 ああ、嬉しい。悲しい。泣きたい。


 エフラムが責任を忘れることがないように。
 ミルラは竜人としての役割を捨て去ることが出来ない。


 言葉にするのも我侭だったのに。
 目の前に唐突に拓けた温かい世界が手を差し出している。跳ね除けるのは困難だ。


 フルフルと震えた唇をミルラは必死に噛み締めた。
 喜びと悲しみの吐息を洩らす。




 そんなふうに言ってくれて、うれしい。うれしい。うれしい。
 ありがとうと、それだけをやっと伝えた。










「エフラム」
 ミルラはそっと手を伸ばした。
 休み無く復興作業に追われ、視察を積み重ね、一日中執務室に篭もっていることもあるという身体は日夜魔物の襲撃を警戒していたあの戦争の頃よりも、ずっとやつれたように見えた。
 それでも笑ってこの森を訪れてくれた。とれる休みを強引に調整して、ミルラの元に訪れる日に費やしてくれた。
 闇の樹海の夜は深い。
 ミルラはさして困りはしないが、人間であるエフラムはほとんど視界が利かないだろう。
 少女には、眠るエフラムの姿がはっきりと見えた。
 ミルラの寝床で共に転がった時、優しくミルラの頭を撫でてくれた手は今は力が入っていない。
 相当疲れていたんだろう。眠りが到来しないミルラは思った。
 別に、話がしたいから一緒に居て欲しいわけではない。傍に居て欲しいのだ。ミルラは規則正しい心音を聞きながら頭を委ねる。
「エフラム」
 別れの時は、おにいちゃんとは呼ばなかった。ミルラは帰ることを選んだ。
 それなのに、エフラムは遠い地に離れたいもうとの事を忘れることは無かった。
 共も連れずにやってきたエフラムに、だから強請った。いもうとに戻ってもいいのだと、思ったわけではない。
 ミルラは横たわってから始めて、エフラムから視線を外した。樹海の先にある、黒に塗りつぶされた魔殿。
 頭をひねったせいで、髪に挿されていた花が揺れる。二本の淡い花だった。エフラムは、両方ともミルラにくれた。


「……エフラム」

 ミルラはそっと体温に寄り添った。
 ここは、二人にとって大切な人が、命を散らした場所だった。
 涙を頬に伝わせながら想う。今度は、ミルラのためだけの我侭ではなかった。


(まるで、傷の舐めあいです)

 傷ついた心がじっと寄り添っている。
 見える傷ならいい。涙を零すのなら、拭ってあげられたのに。
 暗闇に翳った目元にミルラは注意深く手を伸ばす。起こしてしまわない様に、と。



「泣いていいんです。おにいちゃん……」


 花は二本とも、魔殿に捧げられたものだった。
 明日そう言おう。
 花を捧げに行こう。


(そうしたら泣いてくれとせがむ)



 ……それが最後の我侭です。





 ミルラはそっと瞳を閉じた。
 ようやく眠りが訪れようとしている。















(04/11/10)