最後にレヴィン様に勧められたこととして日記をつけることとしました
日々を書き綴ることはゆっくりと振り返るのに役立ちます
それは、記憶を失っていた間のことも取り戻していくような感覚






彼女の日記





 一夜

『今日はユングヴィからラナが遊びに来てくれました。
 ラナは茜色の髪を綺麗に結っていて、ずっと可愛らしくなっていました。
 やっぱり、恋は女性を綺麗にするのでしょうか。


 午後に一緒にお茶をした後、二人で庭を散策しました。
 ラナはバーハラの庭園を誉めてくれました』






その日はユングヴィ公の来訪の日
ファバルは卓を囲みながら常は朗らかな顔を苦笑に歪める
ユングヴィは聖戦の舞台とはならなかったが
それ故に膿は膿のまま蓄積し
グランベルきっての難所と成り果てていた


ラナは花を一輪見て言うのだ
(ユングヴィにはそれは見事な庭園があるの)
(でも、私はあれが嫌いだわ)






 二夜

『今日は、セリスお兄様から書簡を受け取りました。
 リーフ王子……いえ、リーフ王からの書簡です。
 お兄様への書簡と一緒に、私にも手紙を宛ててくださったそうです。
 リーフ王は意外と丁寧な字をお書きになります。
 きっと、教えた人がそういう文字を書く方だったのでしょう。
 北トラキアに出向いた際に、時期ではなく見ることができなかった花を押し花に同封されていました。
 話を覚えてくださっていたようです。
 でも、きっと覚えていたのはナンナかフィン様だと思います』






リーフからの書簡には、最後に短く添えられていた一節がある
サイアス卿のことである
彼の人とは、彼が子供を逃がすところに遭遇し
それから暫しマンスターを制する戦いに助力してくださった
そんなことが書かれており
それ以外にはなんら余計なことは書かれてはいなかった
書かれていないことで、ユリアは確信した
心の底に秘める
(花をありがとうございます……)
父に良く似た筆跡で、ユリアは筆を手に取った






 三夜

『今日は城下に降りました。
 戦場となったバーハラですが、人々の表情は明るく急速に復興に向かっています。
 子供達の声が街に響き、明るい街並みになると思います。
 露店では美味しそうな果物が並んでいました。
 お忍びで来たので、買うことはできなかったのが残念です』






子供の泣き声が聞こえてユリアはそちらの方へ出向いた
セリスの軍は元々イザークで立ち上がり
様々な地域で人を集めていったもの
バーハラにおける戦いが終わった後
彼らは皆故郷に戻り
復興に追われている
バーハラに残った者は少ない
子供の泣き声の先で、母親らしき女が倒れている
ユリアはそっと潜ませた光の魔道書を手に取った
これが現実だ
セリスの元に人が集っても……
兵士が少ない
そして、まだそれを対処できる日月が経過しない






 四夜

『今日は式典がありました。
 セリスお兄様は大分疲れていらっしゃるようなのでお茶を差し入れようと思います。
 このお茶は侍女の一人が持って来てくれたもので――――』











「――なんだ、これは?」
 暗闇の中で忌々しげに声が洩らされた。
 丁寧に封された書物は常に手元に置くものらしく棚にしまわれずに書机の上に置かれたままである。
 彼女の今を、知りたいと思った。ゆえにその内容に失望を感じずにはいられなかった。
 だが、良いのだ。
 彼女は傀儡で構わない。必要なのは彼女の中に流れる――


「日記です」

 静かな声で答えが返った。酷く儚い声なのに、よく響くのは夜だからか、家系か。
 男はゆっくりと後ろを振り返った。はたしてそこには灰銀の髪を緩やかにまとめた皇女の姿である。
 皇女ユリアは瞳を細め、暗がりの中で囁いた。
「貴方は私の部屋で何をしておいでです?」
「……書簡だけでは埒があかないと思いまして、こうして参上いたした次第です」
 ユリアはわかっていた。おそらく宮中で過ごしていた頃よりも、よほど空気を読める。
 風の王の配剤かもしくは戦渦の影響か。
「私は再三書簡を黙殺しました。何故だかお解りではなかったようですね」
 静かな声音だ。己の娘よりもなお若いその皇女にだが男は薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
 皇女は白い指先をそっと伸ばす。男は後ずさった。
 ふ、と笑われてやや気分を害する。何故……皇女とはいえ、このような小娘に怯えねばならないのか。
 強大な魔力を用いるナーガの継承者。だが彼女自身はただの娘だったはずだ。学ぶことを厭い奔放に育てられたかつての皇帝の愛し子。


「このグランベルは、セリスお兄様の元集ったもの……排斥は、お断りします」
 ユリアは静かな声音で呟いた。だが、と諦めきれず男は言う。
「貴女は我々のことを陛下に知らせることもできたはず……それをしなかったのは、貴女も迷いになられたのではなかったのですか」
 ユリアはさも意外そうに目を瞬かせた。
「意思が通じないということは、本当に困ったことです」
 伸ばされたままであった白い指先が、己を逸れて書机の上にむかう。置かれた日記を大切そうに開いた。
「なんだこれは、と貴方は申されますが……重要機密や、惑いなど書かれているとお思いでしたか」
 そういうわけではなかった。だが感じたのは失望だった。
 亡き家族への送り言葉が書かれているわけでもない。皇女の日記に記されていたのは他愛もない些事、たまに国が復権していく喜びが記されている。
 顔に出たのか、ユリアが笑う。
「私は」
 髪をまとめたリボンが落ちた。
「私は、この新たな平和を愛しています」
 母も父も失く、兄は自分が殺した。それを代償に築いたこの平和を得ようと歩き出したこの国を。
 日記に書き記す。他愛もない。でもいとおしい。
 戦場に焼かれた地に咲く花を、本当に綺麗だと思った。
「ですから」
 ユリアはそっと微笑む。
 美しい、と思えた。素直に。


 弾ける、光。










「誰か、おりませんか」
 チリン、と鈴を鳴らす。間も無く誰かが駆けつけるだろう。そうしたらこの男を見つけるだろう。
 塵とはせず命だけ掻き消したのは全てそのためだ。洗い出さなければならない。できれば彼らが呪いの言葉を吐く前に、上手く済ましてしまいたい。
 呪いの言葉を告げられても、あの人は道を歩くのは止めないけれど、おそらくとても傷つくだろう。だから一番傷つかない方法がいい。




「誰か……ここに、謀反人がいます。連れて行ってください」
 ユリアは日記を閉じた。やはりそんな事件も書き記されなかった。















 (04/12/14)