楽曲が響く
想い人を探して申し込もう 友人同士で賑やかに舞おう
家族が優しく微笑み合って 恋人達はその手を取り合う
さぁ、私とラストダンスを
ラストダンス
バルコニーから見下ろす城下では、未だ賑やかな祭りが続けられていた。 既に陽は落ちているがあちらこちらで赤々と篝火が燃やされ民達は戦争を終え戻り始めた平和の中で、象徴のようにそれを喜んでいる。 娘達は花を持ち、男たちは高らかに楽器を奏でた。 民への顔見せは既に終了して時間が過ぎていたが、この賑やかな祝いの証が新しい領主に届くようにとざわめきは未だやまない。最も自分達の祭りへととうに変化しているだろうが。 この城はかつて属していた国ではなく、大国によって支配されていた。だが民達は笑っている。 その姿を眺めながらアイラは郷愁に襲われた。 イザークの民も、それが善政と思えば支配されることを甘受するのだろうか。もちろんキンボイスやガンドルフの統治がマナナンのものとは比べ物にならないとはわかっている。だがイザークは未だ部族の統一覚めやらぬ土地であり、父王の力が行き届いていたわけでもない……。
時はグラン暦757年春。 エバンス城ではシグルドとディアドラの婚姻が行われていた。
「アイラ?」 唐突に空気を振るわせた呼び名にアイラはびくりと振り返った。 「シグルド殿」 花婿衣装に身を纏った今日の主役の一人がそこにいた。いや、主役というのは正しくはないかもしれない。いつの時代も結婚式というものは花嫁が主役なのであり、花婿は添え物なのであった。 シグルドは洗練された衣装に身をまといながらも気配が優しい男であった。その優しさに、アイラの研ぎ澄まされた意識も軟化してしまうらしい。 「ディアドラ殿はどうなさった」 「エスリンが占領していてね。私は追い出されてしまったよ」 穏やかに微笑みながらそういうシグルドに、アイラは自然と笑みをのぼらせた。 この男は、今幸せに溢れていた。 一目見て惹かれた美しい人を娶り祝福されて婚姻を結ぶ。アイラは表情を引き締めた。
「ご結婚、おめでとうございます」 アイラの意思が伝わったのか、シグルドも表情を引き締めた。答える声は、けれども優しい。 「ありがとうアイラ」
シグルドは足を勧めてバルコニーから城下を見下ろした。祝いの声の続く城下に表情を和ませる。 「アイラは何故ここに?シャナンは宴の真ん中にいたよ」 「シャナンの顔を知っている者は少ないだろうが、私の顔を知っている者がいるとも限らぬ。祝いの席を悪いとは思ったが……」 「いや、私の配慮が足りなかったな」 エバンスの式は心知れたものばかりで行われたとはいえ、グランベルの者も多数やってきている。アイラはそれを気にしたのであった。成長期のシャナンはともかくアイラの漆黒の長髪は如何にもイザークの者である。
「シャナンは、色々な踊りを見せてくれたよ」 その言葉に想像したらしい。アイラの表情が淡く滲んだ。 微笑みがのぼった美しい顔をシグルドは見つめた。 「イザークを出てから……ずっと、そんな余裕はなかったからな」 感謝している。と真面目に言う姿は真っ直ぐで、シグルドは始めて会った時を思い出した。
目の前に立った娘はシグルドに対し剣を向け、その瞳で睨み付けていた。その瞳に映る悲しみに惹かれてシグルドは彼女がヴェルダンの地に立つ理由を探したのであった。 シャナンを守れば、と彼女はそれに囚われる。 アイラが捧げてくれた剣を、悲しいものにはしたくないと……そう思った。
「アイラ」
シグルドは、手を差し伸べた。
「踊らないか?」
アイラの瞳がシグルドを見つめて、何か言いたげに揺れた。 シグルドの瞳は穏やかな青で、静かにアイラを見つめている。
貴方は優しい人だ、アイラは思う。 (そして、とても卑怯な人だ)
唇を震わせながらアイラはそっと微笑みを形作った。
「喜んで」
「アイラ?」 着慣れぬグランベルの正装(というよりは子供のお洒落着ではあったけれど)をきた少年がぱたぱたと城内を駆けている。 式のご馳走をおなかに詰め込み、ディアドラと拙いダンスを踊って宴を盛り上げていたシャナンは最も近しい女性の姿を探していた。 アイラは正装もせず、宴会には加わっていなかった。だが彼女はこんな賑やかな席も嫌いではなかったはずだから、人の少ないあたりでこの式を祝っているのだろう。 聞きなれないグランベル特有の楽曲ももうじき終盤。その前にアイラと踊ろうと思ったのである。 シャナンは王族であったから、当然その手の教育も施されている。グランベルの踊りには不慣れではあったがディアドラよりは余程手馴れていた。知らないことだらけの彼女をエスコートして、男の矜持に溢れていた。
イザーク王族特有の漆黒の黒髪を捜して歩いていると、バルコニーの方から靴音が聞こえていたのに気がつく。 「アイ……」 走り寄ろうとしたときに、横から伸びた大きな手に口をふさがれてシャナンは血相を変えた。彼は命を狙われている身であった。 易々と殺されたりするものか、と暴れてその腕に殴りかかろうとするが、その腕の主がそれを全く気にもしない様子に焦りが募る。同時に、疑惑が湧いた。 顔をねじって見上げると、そこには見知った顔がいた。青いグランベルの正装に身をまとったレックスである。「レ……」 やはり声は出せない。何をするのか、と苛立ちがつのり蹴りかかってやろうかと思うがレックスの視線が己などに向いておらず、じっと先に向けられているのに気がついた。 いつでも軽く物事を交わしているような男に不似合いなほど真摯な瞳だ。 瞳は真剣さとどうしようもない焦燥と、切なさとに満ちていた。 困惑に侵されつつも自然と暴れることを止めレックスの視線の先を追う。 ひらりと舞った美しい黒髪。確かにその先にいたのは探していた彼女であった。
その手の先を見てシャナンは驚いた。シグルドだったからである。 ディアドラが次々と立ち代る女性達に囲まれて、シグルドがエスリンに押し出されたのを知っている。適当なところで時間を過ごしているのかと思ったらこんなところにいたのだ。 少々遠い伴奏で踊る二人は流石に王女と公子。グランベル風に踊るアイラはシャナンがイザークでは見てこなかったものだった。 高い身長もシグルドと手を取るのであれば気にならないのだろう。いつになく小さく見えるアイラはシャナンの胸に焦燥を与える。 (アイラ) 呼びかけはレックスの手に遮られて音になることは無かった。だがレックスはそれで気がついたのだろう。シャナンに静かに囁きかけた。
「行っては駄目だ」
シャナンはレックスを見上げた。相変わらず、彼の視線はじっと踊る二人に向けられている。
「シャナン、行っては駄目なんだ……」
その瞳の焦燥はシャナンの瞳にもあったものだった。シャナンもまた、再び二人へと視線を向けた。 チリ、と何かが伝わる。 アイラの紫の瞳が青い瞳と絡む。彼女の瞳には戦いに身を投じるときの激しさは鳴りを潜め、静かなものが漂っていた。 二人の間に会話はない。 ただ視線だけは離れることなく静かな音を奏でている。 (行っちゃ駄目だ) シャナンの足は凍りついたようにその場に縫いとめられた。あの場に己は行っては駄目なのだと痛烈に分かる。第三者がいたならば、その静かな空気は失われてしまう。 シャナンは、もう一度レックスを見上げた。
その瞳にあるものが恋情なのだと、幼いシャナンは初めて気がついたのである。
これが最後のダンス。 重なった体温を、アイラは今にも突き放してしまおうかと惑う。
名の無い想いも。 視線の理由も。 この日に感じた温もりもこれが最後。
さぁ、もう直ぐ曲が終わりになる。 手を離してとびきりの会釈をしよう。 冗談を混ぜて笑いにふして、おもいきりからかってやるのだ。
晴れの新床にこの人を送り出そう。
一晩中枕を濡らして、明日は名の無い思いを捨てる。
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