雷は、嫌い
白い輝きをもって、あの眩しい美しさで
ただ、人を冒す為だけに
人を癒す何物も持たずに
ただ、輝く


雷が、嫌い





紅い瞳と赤写真






「…このトローンの魔道書、君が持っていってはくれないか?」

 ウィンドの風に切り刻まれて、大量の血を流しながら青年は言った。
 もう長くないだろう。たとえ回復呪文で傷口をふさいでも、失った血はあまりにも多すぎた。
 白銀色の髪が、血で赤く染まった。目はすでにろくに見えていないだろう。
 戦いの結果を勝者と敗者とに分けるのであるなら、勝者となるその魔道士も左半身が焼けただれ、ろくに動きもしない様子だった。


 彼はそんな状態でありながら、正確に、彼をここまで追い込んだ魔道士の方へ手を伸ばす。
 正しくは、その手に持った魔道書を


「…家族に渡してとかじゃないのか」
 いぶかしむように問い掛けてくる魔道士は、ぐっと子供じみた表情を浮かべる。
 年齢不詳のような印象が薄れ、15.6歳の少年の姿が垣間見えたようでもあった。
 雷雲がいまだ渦巻く中、ふと、青年が薄く笑った。


「いいや…君にだ。アーサー・・・、これは、君の母上の…」













 レヴィン様に昔言われたことがある。
「おまえには雷系統の術のほうが素養がある」



 でも俺は、雷が嫌い


 始めて魔法というものを放ったとき、それはエルファイヤーの術だった。
 案の定制御に失敗して、「偶然」通りかかった吟遊詩人に、火だるまになるところを助けられた。
 まだ魔法というものをじっくり考えたこともなくて、ただ使い込まれてるそれに手を伸ばしただけだった。
 ぐずってる俺をあやすために、父さんが小さな炎をともしたイメージを思い描いてたような気がする。


 驚いたし、怖かったけど、恐怖を感じることは不思議となかった。
 自分に向かってちろちろとその手を伸ばす炎は、むしろ、俺は守ってくれる腕に思えたんだ。


 それが、「力」だということも考えていなかった。






「君の母上は美しい人だった」
 今まさに力尽きようとしている青年を、アーサーは穴があくほどにみつめた。
「住まう館が違ったので、滅多に会うことはなかったが、数回見たことがあるのだ……私に笑いかけてくれたことは一度たりとてなかったが」
 そう付け加えた青年は、自嘲気味に笑った。
「イシュトー…?」


 アーサーがが横にいることすら忘れたようなイシュトーの言葉
 不安になったアーサーは、少し強めに呼びかけた。
「そのころはなぜ顔を合わせると、笑わなくなってしまうのか、私もイシュタルも不思議だったが、後で考えてみたらわかることだったな」
「イシュ・・・」
「君の母上は、私の母が殺した」


 アーサーの動きが止まった。

「空の見える塔に一人きりにさせたんだ。
 辺りにありったけの『あかいもの』をばら撒いて、娘とも会わせず、長い髪も切り刻み、持ち物も全て取り上げて。
 ただ、彼女のトローンの書だけ持たせたそうだ」


 アーサーの大きな瞳が、よりいっそう見開かれる。
 紅い瞳の中に、虚空をみつめるイシュトーが写っていた。
 イシュトーの口は動きつづける。


「あの嵐の夜、まだ幼かった私もはっきり覚えている。
 声が聞こえたんだ、何と言っていたかは聞き取れなかったが、次の日、彼女はもう動かなくなっていた。
 そのとき城にいなかった父上には、事故だと報告されたそうだが、そのとき私の母は笑っていた。
 私もイシュタルも、ティニーも知っている。彼女は、自らのトローンの雷をうけたのだ」


 遠く去りつつある雷の音が、やけに大きくアーサーの中で鳴り響いた。
 少年は、口を少し動かしたが、小さすぎて、なんと言ったのか聞き取れない。















 レヴィン様がサンダーの魔道書を持ってきた時があった。
 渡されて、特に何も考えずに、言われるがままそれを放った。
 閃いた雷光に、目の前がちかちかとちらつく。


 放った自分の手のひらを凝視して、手のひらに残るぱちりとした痛みを感じた。
 強い『力』
 この力があれば何でもできると言い聞かせるものがあった。
 この力があれば何でも叶うと思わせるものがあった。
 この力があれば何もかも制することができるという錯覚が生まれた。
 目の前が真っ赤に染まる。
 赤写真に照らし出されたのは、髪も瞳も服さえも赤く染めた父さんの微笑った顔。
 紅い色が綺麗だと思った。
 それが、俺の血が叫ぶ破壊への手招きだと
 そう気づいてしまった時、俺は弾かれたように魔道書を投げ捨てた。
















「これは…そのときの、魔道書だ…」

 イシュトーは、後ずさろうとしたアーサーの右手を掴んで無理やり魔道書を押し付けた。
「今まで会うことのなかった従兄弟へ」
 イシュトーが掠れた声でアーサーの耳元に囁いた。
 アーサーの紅い瞳が揺れる。


 トローンの魔道書
 …雷の、書
 父さんの命を奪った雷の書
 母さんが自害したときに使ったトローンの書
 きっと母さんの命を守ってきた魔道書
 俺とティニーを守るために取り出した魔道書
 強い力を持つ雷の魔道書
 フリージの象徴


 アーサーの胸の奥で何かがガンガンと鳴り響く。
 彼の焼きただれた左半身が震えた。
 もう何も言わない従兄弟の手から、トローンを受け取る。
 目の前に広がる赤写真
 父と、母の、幸せそうな笑顔の残骸
 当時3才だった彼に、家族で過ごした時間は断片でしかなかった。
 ただ、そのトローンの書を手にとって、浮かんできたのは母の少女のような笑顔。



 ああ、この書は、母の『幸せ』の塊だ


 魔道書の最後のページに、古い文字が書かれていた。
『ティルテュが幸せになれますように』
 優雅な貴婦人の文字だった。
 どこか母の筆跡に似ているが、彼女の文字ではない
 その下に、少し新しい、母の筆跡
 インクが、水で所々滲んでいる。


『お兄様、私、アゼルと一緒に幸せになるの』

 アーサーは目を伏せて、トローンの書を抱きかかえた。
















「アーサー!大変、早く治療しないと…」
 城内まで馬まで駆けていったアーサーに、前線部隊が追いついてきた。
 あまりの傷の酷さに、ユリアが小さな悲鳴をあげる。
 それを聞いて、初めて自分の状態に気がついたように、アーサーはまじまじと体を眺めてみた。
「平気だよユリア、動くって」
 そう言って『ぎこちなく』動かしてみせると、ぱこんとはたかれた。いや、結構力はこもっていたが


「アーサー…解放軍には君以外にはまともに魔法が使えるものは他にユリアしかいないんだよ。もう少し自分に気を使ってくれないと、軍が困るんだけど?」
 アーサーの単独行動に、一人のノルマが格段に上がったのを指揮したセリスが、皮肉を混ぜて言った。
 こういう不確定要素には、後ろの軍師は何も案を出してもくれないのだ。
 どちらかというと、戦闘に参加してくれたほうが助かるという意見は、さすがに言えないでいたが。


「ははは……セリス様、イシュトー王子の遺体はこの城に?」
「ん、ああ、この距離で、遺体が状態を保ったままフリージまで送れるとは思えないし
 一旦はこの城の墓地に埋葬しようと思っているよ」
「それじゃあ、あのライザとか言う女将軍を隣に埋葬してくれますか?」
「うん、そのつもりだ」
「そうですか」


 アーサーはそれだけ言うと、そのまま押し黙った。
 右手に持つトローンの書が暖かい。
 左半身に、ユリアがリライブをかける。ほのかな熱に、忘れていた痛みが戻ってくる。


「アーサー、その怪我じゃ馬は操れないだろ。歩兵で進軍してもらうことになるよ、一刻も早くレンスターのリーフ王子の元に行かねばならないし。
 フィーを偵察に行かせてるけど、アルスターの魔道士は強力だ。できれば先手をつきたいからね
 魔法戦があるだろうから、君はまた前線に行って貰うことになる…」



 アルスター
 妹が、ティニーがいるところ



「喜んで行かせてもらいます」
 トローンの書をしっかりと抱えなおしながら、アーサーは、胸元のペンダントをみつめた。




 意識はすでにアルスター

 そこで母が命を絶ち
 自分から何もかも奪っていった憎い伯父がいて
 ずっと前から会いたいと焦がれていた妹がいるのだ















 (00/9/11)