可の高貴なる存在は光である
一人は流れる血が輝くものであり 一人はその心が輝くものであった
かの光の皇女は旧時代の結晶 かの光の王子は新時代の先駆
同質ながらにして相容れぬ 可の高貴なる存在は光である
近しく呼んだら
曇りの日であった。 どんよりと薄暗い空の下、一人の少女が足を進めていた。 戦の合間のことである。普段であれば城に居て忙しなく動く治療班の手伝いをしている頃だった。だが、レンスターで加わった北トラキア軍、マンスターで加勢したマギ団。彼らの尽力に道を譲り彼女は城を出てきていた。 このような時にこそ訓練に励もうとあちらこちらから剣戟の音。それらが何の武器かはわからない。彼女に感じられるのは光と闇、その魔力の波動だけである。 さらり、と風が流れる度に銀の髪が揺れる。いっそ灰色と呼んでよいアッシュブロンド。 輝く光の鼓動を感じ、ユリアは自然と足をそちらへと向けた。
彼女の中に流れる血は光のものである。 何が輝いているというわけでもない、それは純然とした血族の証で、彼女自身の気性に関わるものではない。 だがそれ故に彼女は人より神に近い存在である。 光と闇は属性に密接に関係する魔法であった。自然の理を起源とする竜たちの力を借りた他のものとは異なる。ユグドラルという異質な世界においても、元来竜の存在する世界においてもそれは変わることはない。 ユリアは光の竜の血を伝えるものだった。 その血は潜在的に闇を疎み拘りを生じさせる。だが、同時に彼女は闇を孕む娘でもあった。 異なる力は彼女の中で度々溜息を洩らすのだ。たとえ闇の力一片たりとも彼女に残されなかったとしても。 人の中で耐えうるものではない力は度々ユリアの中で鎌首を持ち上げる。 ユリアに息づく生存への本能も、それに感づいていた母親も、彼女を緩やかな優しさの中に閉じ込めている。 ゆるゆるとした時の流れの中で、彼女はまどろんでさえいればよかった、これまでは。
だが彼女は今戦場にいる。約束された戦いに挑むために。
それを未だ知らぬ娘は自然と落ち着く場所へと動く。同じ血族の元に。神の御座に。また、光のもとに。
(光の波動が)
ユリアはぼんやりと波に誘われ足を進めた。記憶を持たないこの身は、思い返したように実体をなくさせる。 頼りなげに進められる足元に、まず感触を思う。 大地が脈打っている。 ユリアは脈動の先を視界に収めた。果たしてその先には、人影が在った。
「リーフ様」 脈動の中、豊かな髪が吹き荒れるのにも厭わずリノアンは中心へと必死に手を伸ばしていた。 扱いに慣れた自分がこうであれば、中心にいたリーフは一体どうなっているというのか。 指先がピシピシと荒らされるがこの伸ばした腕を引っ込めるわけにはいかない。後方でがむしゃらに駆け寄ろうとしているアスベルのためにも、なによりこのトラキアのためにもそれは受け入れられない。 (サラを連れてきていれば) 彼女は光魔法の使い手ではない。欲を言えばサイアス司祭の手があればもっと良かった。だが彼はマンスター解放が済んだ後ブラギの塔へと向かった。絶大な魔力を誇るサラもまた、ここにはいない。 風ではない、気流がリノアンを阻むように吹き荒れて手を差し込む余裕も無い。それでも己の中の光の力を行使して亀裂を入れようと瞳を凝らした。 思うに、リーフの魔力とは己とは異なる。 リノアンの光は己の血脈に訴えるものである。その力は内部から生まれるものであった。魔法を扱う聖戦士の大概はこれだ。己の魔力自体が絶対的な根底である。 リーフの魔法はそうではない。セティが言っていた。彼の風魔法は周囲の風を従わせているのだと。 だから。 だからここまで強力な場が、リーフを周囲にできている。 リーフの魔力はリノアンには及ばない。彼が自身の魔力で魔法を操るのであればとっくに場は納まっているはずなのだ。 (でもそんなことは、いいことではないわ) 問題はこの強力な力を、つまり今リーフは制御ができていないということだった。 光の剣の魔力をああも容易く振るっているのだから光魔法の契約は困難ではないだろう、という目測は間違っていた。 「リーフ様!」 見えない障壁を打ち破らんとリノアンは声を張り上げた。気の奔流によって中心にいるはずのリーフの姿は全く見えない。
するり、と後方から白い指先が差し伸べられた。
光の気の奔流を、何の意にも介さぬ仕草。無造作でいて優雅。 ターラ公女であるリノアンは当然一等の教育を受けているが、その仕草には教育と言い捨てられないものが秘められていた。 洗練されている、とはいえない。だが骨の髄からそんな仕草が染み付いているような。 どこかでそれを知っている。 環境が身に付かせる独特の感覚。 そうだ、リーフもこんな感覚を持っている。彼は誰に教わったわけでもなく、命令をしなれていた。
宮廷人の仕草をもって、ユリアという名を持つ巫女は一瞬で気流を拡散させた。
その場の中心に立っていたのは16,7の少年である。あれだけの渦の中に居たというのにそれの影響の片鱗も無く右手を握っては開いている。 「リーフ様っ!!」 即座に駆け寄ったのはアスベルだった。勢い良く駆け寄った親友は、その速度を留めることができずにそのまま主へと突っ込んだ。 リーフはぎょっとしてはいたが、鍛えられたためかアスベルの突撃にも負けずにその場に踏みとどまる。 その親指からはまだ留まらぬ血が流れていた。左手に持たれた光の魔道書に注がれた血。 魔法の契約である。 「今のはユリア様ですか?」 アスベルを落ち着かせるように肩を叩きながら、リーフはその赤い瞳をリノアンの方に向けた。正確にはその横に居たユリアへである。 「はい……。リーフ様はご無事のようですね」 ユリアの言葉でリノアンはリーフをまじまじと見やった。 リーフはあれだけの気流の中心にいたはずなのに、何ら変わりがあるようには思えない。柔らかそうな大地の色の髪。ガーネットの瞳。あえて言えば白い洋装がアスベルにつかまれて皺ができている。 「はい。無事に契約も叶ったようです。……ありがとう、リノアン」 やっと落ち着いたらしいアスベルが思わず顔を上げると、リーフは笑って「アスベルも」と言った。
・ ・ ・ ・ ・ ユリアは少年の纏う穏やかな空気を不思議に思った。先ほどまで荒れ狂う光を生み出していたとは思えない。 「ユリア様、何か?」 「……いいえ、リーフ様何でもありません」 上手く言葉にすることもできなくてユリアは首を振った。リーフは微笑んでそうですか、と短く言っただけだ。 リーフの空気が、ユリアは嫌いではない。 笑いもすれば怒りもするし、泣くこともある少年の素直さは戦場とは異なり平穏さの象徴であった。 だがリーフ自身はろくに平穏の中にいたことはないと聞いている。乳飲み子の時期に両親を失い、間も無く城を追われて逃亡生活を続けていた王子はだからこそ戦わない時の休息を心得ていた。 その切り替えは感嘆に値するものであったが、ユリアにはそこまで事情を判別することはできない。 ただ、この人の傍は嫌いではない、とそう思うだけだ。 「魔法の修練ですか?」
リノアンとアスベルは、その場の空気を読み損ねていた。 会話の入り所も、この場から立ち去ることもできずに二人の会話を見送っている。 繰り広げられる会話の主はリーフとユリア。どちらも白い服に身を包んでいるのには変わりはないが、随分と雰囲気の違う二人であった。 特に声を荒げることも無く穏やかに。 「リーフ様、それはライトニングの魔道書ですか?」 「はい。ユリア様のお使いになるリザイアや、オーラが最終的な目標ではありますが……」
変だった。
アスベルからすれば、違和感は明白であった。「ユリア様」という呼びかけは実に奇妙である。リーフの敬語というのはたまに聞けるがたまに、だ。 リーフを唯一人の主と敬する少年にとって、この方は一体どこの貴人なのか、と思う。 主は今ではセリスやセティも様付けなどしていないのに、レディファーストなのか。いやリーフは特にその手の意識は持ってはいなかったはずである。 リノアンからすれば、違和感はあった。だがユリアにも何か神がかった血の気配を感じる。どこか自分とも近しいものである。ならば聖戦士の血筋のものなのだろう。リーフの態度もわかる。 だが、やはり違和感は拭えない。
「光魔法には才覚が重要らしく。……向いていないと言われてしまいました」 「まぁ」 柔らかな笑い。柔らかな空気。 「リーフ様なら不可能ではないと思います」 「ありがとうございます、ユリア様」 穏やかな会話は、そして打ち切られる。 「それでは」 「ええ、また」
常に、こうして二人の会話は唐突に切れた。
「リーフ様、何を見られているのですか?」 「花を見ていました」 「花、ですか?」 ユリアはリーフの示す先を見た。そこに花は咲いてはいない。堅い葉と茎とだけがユリアに目に入った。 当然だ、今は冬であった。 「ユリア様は、いつの季節が好きですか」 「わたしは……春が好きです。全てが萌え綻びる春が」 「私は、今の季節が一番好きなんです」 野宿するには辛いものですが、とリーフは苦笑を洩らす。 「春を待ちながら……じっと、力を蓄えている、冬が」
そして、二人の会話はやはり途切れる。 おそらく彼らは同質で、それでいて決して相容れることは無い。 互いの身分がどうであれ、おそらくこれは変わらない。リーフが皇女を知らなくとも、ユリアが王子を知らなくとも、それは同じだ。 二人はそれをわかっていて、また自覚はしていない。 幸せの掴み方に気がついているからだ。 穏やかな声音は常に静謐で変わらない。 同質だと理解しているからだ。
そして、決して気安く呼ばない。
可の高貴なる存在は光であった。 決して、相容れない光であった。
近しく呼んだとしたならば。
リーフは堅い緑の蕾を示して言った。 「綺麗な花が、咲きますよ」
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