剣を振りたくなかった できるならばこの楽園で生きたかった だれが傷ついているとも知らない、常若の国
剣を抜きたくなかった この怜悧な輝きに魅せられる
けれど、僕等は剣で斬るだろう 明日のために
それは、未来のお話
血みどろの道を
血に滑って剣が落ちた。 それを他人事のように思いながら、目はじっと切り裂いた人物に向かっている。 ガラス色の視線が空間を貫く。
ああ 剣、落としてしまった
自分の体から流れる赤い液体に滑って剣を取り落としたことを悲しく思う。 どこかに飛んでいかなかったかということが心残りだった。
最後に見たのは青い光だったから、それは心配してないのだけど
「何をしているんだ!」 ティルナノグの中庭で、大きく声が響き渡った。周囲に取り巻く子供たちが、泣きそうな目で彼を振り向く。一部、泣き出している子供もいたが。 「これは、一体・・・!!」 子供たちの中で異色を放つ、栗色の髪の青年が顔を青くしながらも、司祭の女性を呼びに踵を返した。 「一体、何をしていたんだ!?」 一人残った青年が、怒りと困惑のこもった怒声をはいた。それに隠された心配のエッセンスはまだ幼い子供たちには伝わらない。 問われた茜色の柔らかい髪を持つ少女は、滂沱の涙に視界を隠されて、満足に答えを返せなかった。 「ら、ラクチェと、す、スカサ、はが・・・・」 精一杯声を奮い上げてやっと届いたか細い声は、既にわかりきっている事だったが、その声の響きが決して帝国兵に見つかったのではないことを知らしめる。 ・・・だが、それはある意味最悪な言葉。
唯一青年を振り返らない二人の子供。 一人は涙で顔をぼろぼろにしながら。・・・もう一人は、血にまみれて。
「ラクチェ、ラクチェ、ラクチェ、ラクチェ、ラクチェ・・・・」
スカサハは機械人形のようにそればかりを繰り返す。それに対するラクチェの返事はなかった。 足元に滑り落ちた兄の真剣が、妹の血に汚れて鈍い光を放った。
「真剣を使うときは、細心の注意を払えといっただろう!私のいない間に使ってもいけないと!何故止めなかった!?」
苛ただしく声を荒げ、シャナンは個室の前で怒鳴り散らした。横からオイフェが落ち着かせようとフォローを試みるが、いまいち成功しているようには思えない。 真剣を許したのは子供たちの中で二人だけ、スカサハとラクチェ。他の子供たちはまだ真剣に触れさせたくらいだ。 10をやっと越えた、いまだ幼い子供たちに怒鳴り散らすのは正直良い方法とは思えないが、そうしたくなる気持ちもわかるのだ・・・いまだ帝国に歯向かう目すら出せない状態で、このように身内で傷を付け合ってどうする?
昨今、帝国は変わり始めた。 ほんの少し前の堅苦しくはあっても秩序の整った国の仕業とは到底思えない酷い仕打ち・・・ そして、イザークでの子供狩りの始まりだ。 グランベルではいまだ治世が続いている――レヴィンの言だ――ここまで支配が及ばなく理由は何だ? アルヴィス皇帝に何が起こったのか知る良しもないが、これは彼らにとってはチャンスであった。 (このまま平和なのならば、我々が憎しみを持って立ち上がる理由は・・・?) (子供たちにとっては、戦いなどせず、このティルナノグにいるほうが幸せなんだろうか・・・) そんな『不安』は、嬉しいことに断ち切られたわけだ。 圧制に苦しむイザークの民。それだけで十分に剣を向ける理由となった。
そのように立ち上がることを心に誓った時、これがおこったのであった。 (今、このようなことでは困る) そんな屈折とした思いを抱えたオイフェは、憤るシャナンを上手く止めることはできなかった。
「いいか、お前達は剣を持つということを・・・」 「・・・シャナン」 再び荒げられた声を、意外に落ち着いた声が止めた。いまだ声変わりのない・・・母親に似た、高いが風に流れるような、落ち着いた音。 不思議に人を惹きつける・・・これは、父親似だろうか?セリスの発した声に、その場にいる皆が注視した。 向けられた視線に応えることなく、セリスの瞳はまっすぐに閉じられた扉に向かっている。 「ラクチェの容態は?」 簡潔に、だが的確に聞きたいことだけたずねる物言いは、いつものセリスらしくない。どちらかというとそれは・・・スカサハのような物言いであった。今ここにはいない少年。 誰もが知りたい・・・誰もが聞けずにいたことだった。それはシャナンも例外ではない。憧れの人の面影を深く宿した少女の傷の様子はいかなるものなのだろう? 当事者達を置いて怒鳴りつけていたことにいまさらながら気が付いて、シャナンは少々気詰まりな意識を抱えた。自然と目が奥の扉に向けられる。
エーディンとスカサハ、そしてラクチェがいるはずの部屋。 穴のあくほど見つめても、扉からは何も伝わってはこなかった。
「ラクチェ、真剣はシャナン様がいないと使っちゃいけない・・・」 「だって、木の剣では軽すぎるもの、それともスカサハは使いこなす自信がないの?」 鉄の剣を軽く振って、ラクチェは俺を眺めてきた。別にそこに挑発的なものが見えたわけではない。それでも俺は傍らの鉄の剣を鞘から抜いた。
冷えた光だ。
刃を見るといつもそう思った。冷たい光が放たれる。ラクチェの申し出を受けたのも、そんな自分への反発なのかもしれない。 真剣を恐れていることに対して・・・
ちがう。
・・・きっと俺も、ずっしりと重くのしかかる冷たい刃を振るってみたかったから。
「スカサハ・・・スカサハ?」 杖を振るいつづけ、疲労した声だったが−エーディンの声音には暖かな慈愛がこめられていた−そこにはやり遂げたという確かな満足感と、安心感がこめられていた。 スカサハは答えない・・・ここに来た時から、いや連れてくる前からじっとラクチェの手を握ったままはなれようとしなかった。仕方なく精神の集中が必要な治癒の間もラクチェと共に連れてきたのだ・・・。 スカサハは何も喋らず俯いていたから邪魔になることはなかったけれど、友人の面影を強く残す黒髪がうなだれているのはエーディンの心を締め付けた。
「スカサハ」
幾度目かの呼びかけ、それにスカサハが答える様子はない。 仕方なくエーディンは返答を諦め率直に結果を伝えた。一番聞きたいであろう言葉だ。
「ラクチェは、大丈夫よ。傷はすっかり治したわ」
答えられることを期待してなかった深い藍色の瞳が見えた。いまだスカサハはラクチェの手を握り締めたまま俯いているというのに、どうしてか見えたのだ。 エーディンはその目線に優しく頷いて見せた。スカサハが安心するように。 この妹を想う少年の心が、少しでも安らぎを覚えるように。
スカサハが急にがくんと体を落とした。 スカサハも怪我を負っていたのだろうかと慌ててエーディンが駆け寄ると、怪我を負っている様子はなく、ひそやかな寝息を立てている。 「・・・気を張っていて、疲れてしまったのね・・・」 エーディンは苦笑すると、ラクチェ一人では大きすぎる寝台にスカサハを寝かせた。怪我人用の寝台だ。子供たちがいつも集まって寝るような、硬いものではない。 柔らかな感触がスカサハを包み、再び起きるようなこともなく深い眠りへと誘った・・・
エーディンはそれを確認すると、外で心配しているはずの少年たち(彼女にとってはみんな子供のようなものだった)を安心させるべく、いまだ杖の気配の残る部屋を出て行った。 部屋の中には、よく似た双子だけ。
「ちょっと休憩しよう」 「なんだかんだ言っても、お前達の練習を見ていた方が身につくような気もするんだよな」 真剣を傍らに向かい合った俺たちの様子を見て取って、デルと練習していたセリス様がこちらを見た。そのままデルへ呼びかけて、こちらに視線をやってくる。その声で気が付いたようで的当てをしていたレスターもこちらにやってきた。横で見ていたラナも一緒だ。 誰も大人たちに禁止された『真剣による練習』を止める様子はなかった。既にシャナン様が立ち会っての俺とラクチェでの練習を見てる。真剣での練習は、模擬のようなものだ・・・体に当てるほど、下手じゃない。
動く。 剣を振ると、自分の立っている場所がわからなくなることが時々あった。 ここは戦場なんだろうか。 あの城の影から想像上の弓矢が迫る。いない敵に囲まれる。俺はただ一本だけ持った剣を振るっていく。切り捨てる―― 実際には、刃はラクチェに当たらない。
カチャリと硬質めいた音を立て、ショールを治したエーディンが部屋から出てきた。その顔には疲労の様子が濃い。だが決して悲観的な想像を思わせるものではなくて、その場の子供は一様に安堵の溜息をついた。 「エーディン、中に・・・・」 シャナンがそう言いかけ返事も聞かずに中に入ろうとすると、エーディンが手を広げそれを遮断する。思わず非難の目を向けると、ゆっくりと手を口元に近づけて人差し指を立てた。ことさらわざとらしく「し〜っ」というジェスチャー。 シャナンとオイフェがそれで足止めをくらっている間、小さい体をいかして隙間からラナが潜り込んだ。それに続いてセリス、デルムッド、レスター・・・いつも早く大きくなりたいといいながら、今はその体格を最大活用しているようだった−
一番早くたどり着いたのはラナ。中央に据えられた大きなベッドに近づいてそこに眠る親友を覗く。 ただし、二人。 一対の翼のように寄り添って眠り込んでいる愛すべき幼馴染。こんこんと眠りつづける二人を眺めてほっとしたのも本当。幸せな気分を感じたのも事実。 ただ、なんとなくむかついたのもあった。 とりあえず怪我をしていないスカサハを引きずり出そうと手をかけると、それをびたっと止められた。むすっとして振り返るとそこにいたのは兄で、苦笑を浮かべながら小さく首を振った。
次にベッドに来たのはセリスだ。苦しむ様子もなく眠る二人に安堵の微笑みを向けて、それから軽くデコピンをした。
――まったくいつもこの双子には驚かされる
セリスが微笑みながらベッドに肘をついて中腰に座り込むとその後ろからデルムッドが覗き込んだ。 どうやら助かった様子に心の奥底でほっとして、同時に片隅で複雑な物思いに駆られた。 どんなに練習しても、かなわないふたり。 父も母も剣士で−見たことのない父を想像すると、丘の上で剣を教えてくれた人を思い出した−よっぽどその血を引き継いだのかと思える神がかりの剣を振るう幼馴染たち。 馬にでも乗らなければやってられない。そう思ってオイフェに教授を願ったのはつい最近。 それは逃げだろうか?それとも進歩なんだろうか・・ デルムッドにわかることではない。今彼はただ親友の心配をしていればよい。 自分にはかなわない親友達
戦場に一人いるような錯覚。大人に守られてきた俺たちは、戦場に立ったことどころか『敵』という存在を見たこともなかったけれど。 けれどいつもラクチェの瞳を見つめると妙に冷静さを取り戻す。 深い深い紫闇の瞳・・・ 今はラクチェとの模擬試合。 かといって、気を抜いたら負けだった。きっとあっさり目の前に刃が止まる。ラクチェの剣の腕は本物だ・・・流麗にながれる剣のさばきはシャナン様も舌を巻く。 俺は慎重に剣を振るった。体に当てたら負け。それはラクチェと決めたルールだ。 『本当に』必要な時まで、せめて剣を血で汚すことはないように。
シャナン様の複雑な思い。、オイフェの迷ったような視線。ラナの涙。デルの他人事に変わっていく青の瞳。レスターの困惑。セリス様の、なにか決意するような悲しい表情。
それら統べて必要な時まで置いておいて、今は一緒に夢を見ようと。 俺とラクチェの決め事。 間合いが離れた時二人同時に吐いた息は、白く霞んでいた。
そのときラクチェと目があった。
深い、藍というより紫の―――― この瞳は危険だ。
紫色の透明な視線が胸を刺す。これを見てしまうといつも次の瞬間には負けてしまっている。この瞳は危険だ・・・・ 冷静さが立ち戻り、熱が消える。延々と眺めたいような・・・ そんなことをしたらきっと心が砕けてしまう。 瞳の向こうに冷たい切っ先が映っている。冷えている。直感的にそう感じた。
見てはいけない!
目の前の白い雲・・・違う!これは俺の息だ。周りの空気との温度差に白く煙っているだけ・・・
瞬間、手に力が宿ったと思った。
その感覚が始めて感じるもので、すぐには気がつかなかった 流星剣じゃない、流れる星のようにすべらかにカラダを駆け巡らない それは、弱弱しいけれど、強い 白い・・・蒼い? 月の輝き
気が付くと剣を振るっていた。 見ていたのは妹の深い瞳。目を見開いて俺を見ていた・・・そこに映っていたのはやっぱり冷たい剣の輝きで。
ああ、ラクチェの目は・・・
剣を交えた時にそこに危険なものを感じたのは、ラクチェの目が刃の輝きを宿してたから。 頬にあたる冷たい感触じゃない。ラクチェが持つカラダの中に隠されたつるぎ。
きっと生まれる前に貫かれていたんだ。 薄い膜の向こうから俺を刺す深い紫。
きっと既に・・・殺されて、しまっている
エーディン達の見守る中、ぱかりとラクチェの瞳が開いた。しばらくぼーっとしていたと思うと、ごろりと体を動かして、隣のスカサハを見つめる。 既にスカサハも起きている。深い紫の瞳が見詰め合った。 がやがやと騒がしく構ってくる子供たちをほって、ラクチェは一言だけ呟いた。
「・・・スカサハの負け。下手くそ」
がばりとスカサハが起き上がると、億劫そうにラクチェも半身を起こす。 「あれは、月光剣だぞきっと。ラクチェまだできないじゃないか」 「流星剣は私のほうが早かったもの」 「でも、だな」 「振りぬいてしまったからスカサハの負け」 きっぱり言い捨てられた言葉に流石にスカサハの反論も途絶えた。 「でも、当てられたから、私の負け」 スカサハの視線が止まった。ラクチェはそのぼうっとした顔を眺めて、満足げに笑う。 「ら、ラクチェ!」 遠くラクチェの耳に聞こえたのは、慌てるような兄の声。 それは少女を安心させた。
私は翠色の光と共に滑るように剣を振り払う スカサハは蒼色の光と共に輝きをもって剣を振り下ろす
血にまみれていたとしても心配はしないの 返り血に汚れても、私の血が見えていても 空気を切って刃が触れ合う、きらめく、綺麗な音楽―それが私を透明な世界に導く
透明な世界に立つラクチェ―それが俺に冷たい剣の輝きを教える
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