コトリ、と白い手が大地に伏した
黒衣を纏う彼女は血を流すことのない魔術師であった
それが喪服であるのだ、と勘のように思う
誰に向けたものであるのか……


悲鳴のような吐息が聞こえた
雷を継ぐ少女は癒されたばかりの身体でそれでも逸らすまいと見つめる
退けられた剣、弓、神の業をその身に宿す戦士達
その全てを退けた恐るべき魔力を抱えた少女は今大地に伏している
魔力を放出し尽くした少年は妹と共に雷の姫が倒れ伏すのを見送った


イシュタル、と風の青年が切なく呼ぶ



少女は朦朧とする瞳で青い影を見つめる
彼女は思った


(似ている)

雰囲気がか、振る舞いがか、おそらくどれも当てはまらず
その身に宿る、闇が


少女が恐れ、そして愛した男と似ていた

その瞳に映るのが哀れみではなかったので彼女は嬉しかった
そして、問うた




「ユリウス様を……殺すのですか」


あなたが、あなたが殺すのか、と
返事を聞かずに、意識は果てた






悪夢





 ある日、夢を見た。

 セリスははっとして目の前に立つ少年を眺めた。いや既に彼は少年と呼ぶには相応しくない。
 青年は己の幼馴染であった。物心のつくより前から傍にいて、彼は頭も良く人を立てるのが上手かった。
 ティルナノグの幼馴染はセリスを加えて6人。彼はそのうちの一人であった。一つ年下の彼はそんなことを思わせないほど大人びて、またどこか子供っぽい。
 双子の妹と共に彼らはセリスを守る第一人者であった。他の幼馴染よりもひとつ近い場所に居た、戦場の第一線の双子。
 漆黒の髪と深い紫の瞳は嘘を知らず、ごまかしを言うときは必ず瞳が泳ぐ。そんなことがなくとも彼らはセリスを裏切らないと心から信じていられたし、やがて傍を去るであろうと思っても変わらない。


「セリス様、トラキアが再度の申し立てをしてきています」
 青年の背が思うよりずっと高かったのでセリスは困惑した。
 それよりも言われたことに対して違和感を感じて問い返す。トラキアは何を求めてきているのかと。
 トラキアは既に解放されたはずである。残存勢力が顔を出してきたのか、それともトラキアの旧勢力が顔をもたげてきたのか、だがどちらにせよそれはリーフにもたらされるべき情報であるはずだ。
 聖戦に対し協力を申し出たレンスターの王子であり同じ視線をもつ親友はその言葉に大きく心を揺り動かすことだろう、だがそれに負けてしまうほど弱いままではなかった、彼は。
「子供達を集めていることについての抗議です」
 青年は顔をしかめていた。彼の表情はそれが如何に愚かな抗議であるのか、と語っていた。
「子供達をバーハラに集めて英才教育を施そうというセリス様の御意向を、先の帝国の愚行に重ねるとはなんと愚かなことでしょう」
 そして続けてアグストリアも同様の文書を送ってきていると伝えた。そして、各国が軍備を増強し始めているということも。
 セリスは困惑しながらそれは由々しき自体だと呟いた。
 解放戦争と宣言して全戦力を投じていけるのは他の国々が内部の争いの中で他国にまで干渉ができないからである。実際には帝国に叛旗を翻しているセリスにとって、同じく帝国に制圧されている勢力が立ち上がるのは問題ではない。それでもセリスはそう呟いた。
 青年は心得たように頷いた。
「国境の防備を固めておきます」
 青年は立ち上がって退出をしかけて振り返った。立ち上がった姿はいつも見慣れた姿ではない。仕立ての良い軍服に光の腕章。動きやすくなっていたが常の彼では決して着ないものだった。
「セリス様、先日やってきたヴェルトマー公についてはどうしますか?」
 ヴェルトマー公、と言われてセリスは誰か思いつかなかった。セリスがアルヴィスに思うのは皇帝でありヴェルトマーの印象が薄い。しばらく黙っていたセリスに青年が続けた。アーサーですよ。
「晒し者にせよ、という意見も出ています。皆も大罪人は国民によって苛まれるべきと……」
 今、なんといった?セリスは顔をしかめた。
 青年はどうなさったんですか、と優しい顔をほころばせた。
「先日セリス様に対して異議を提出して……処刑されたではありませんか。公布によって国民もいたく憤慨しておりまして……皆、セリス様の偉業に異を差し向けたヴェルトマー公に対して怒りを抱いているのです」


 セリスは後ずさった。青年の軍服に刻まれた光の紋章を見つめる。ばさりと背中が布を伝えた。振り返るとそこにはバーハラの光の紋章が描かれていた。


 セリス様、追い縋る様な声にセリスは瞳を震わせる。
 髭を蓄えた男であった。
「儀式の準備ができました」
 何の準備だ、というと温かな顔をしてたしなめる。
「何をおっしゃいますか、今日はセリス様が悪辣なるロプトゥスを下した日でございます」
 男は続けてさあ、ユリウスの亡骸の元へお行きくださいと告げた。セリスが足元を見下ろすと、そこには鳥に獣に食い尽くされぬようにと厳重に保護された遺体が棺に収まっていた。
 それは遺体と呼ぶにはあまりにらしくなかった。光によって焼き尽くされた少年の手であった。黒い聖書が握られていた手である。
 背後から響く歓声があたりを包んだ。セリス様、と声が叫ぶ。
 遺体の前に引き出された台車の上にいるものを信じられなくセリスはぎょっとした。それは子供であった。
 横に居た青年がセリスに剣を差し出す。微かな温かみを帯びたこの剣をセリスは知っている。ティルフィングと呼ばれる聖剣である。
 剣は変わらぬ輝きを宿しながらセリスの手に納まった。
 運ばれてきた少年は瞳を開いて言った。セリスはその瞳が剣に向けられているのを見てぞっとした。違う、と言おうとしたのを少年の言葉に遮られる。


「セリス様に選ばれるなんて僕は幸せです」

 少年の目が期待と幸福感とに輝いた。少年の黒い瞳にはセリスの姿が映っていた。恍惚とした表情で刻一刻とセリスと、そして握られた聖なる剣を待っていた。
 セリスは後ずさった。その背後からは熱狂的な声が届く。



 セリス様!セリス様!


 それ以上後ずさることができなくてセリスは周囲を見渡した。
 青年と男と、隣に立つ光の巫女は皆セリスに向かって微笑みかけた。



 セリス様のご意向のままに!


 瞳が。言葉が、高まる熱気が。
 百万と超える瞳がセリスを見つめている。
 腕があがった。ティルフィングの輝きがその切っ先を主張するかのように光る。その光はセリスの瞳にまで痛烈に突き刺さった。



 その手を振り下ろして――。










「――――――っ!!」



 セリスは寝台から飛び起きた。窓から差し込む光の量が夜明け前だと伝えていた。どくどくと騒ぐ心音が煩く身体は全身に汗が伝っていた。
 震えるその手を握り締めてこれは夢だ、と反芻する。
 その手にはティルフィングも握られてはいないしセリスは子供の血を浴びてもいない。
 水が欲しい、と思った。喉がからからとして痛い。


 嫌な夢をみたと思った。
 夢。
 どんな夢だっただろう。だがとても嫌な夢であった。


 枕元に置かれているはずの水差しを手にしようとすると、それより早く水の注がれたコップが差し出された。
「大丈夫ですか?悪い夢でも見ましたか」
 透明な声がしてセリスはコップを受け取りながら顔をあげた。


 コップを差し出した女は漆黒の黒髪に紫の瞳をしていた。長い髪は簡単にまとめるだけにされている。強い瞳はどこまでも透明で美しく、整った顔は生気に溢れていた。
 耳元で揺れたピアスが良く知っている少女のものだと気づいていぶかしく思う。
 女は愛しい少女に良く似ている。幼い頃には伸ばされていた髪と同じくらい長い。瞳は見知っていたものである。だが決定的に違う落ち着きに困惑する。
 彼女の母は彼女にそっくりだというから母であると言われたら納得したのかもしれなかった。だが彼女の母にセリスは会った思い出もない。
「ラクチェ?」
 女はきょとんとした顔をするとむしろむくれたように言った。
「はい、どうなさったんですか、知らない人に聞くみたいですよ」
 酷い方ですね、と女は小さな子供をあやしていた。その子供の顔をみてセリスはぎょっとした。青い髪の下からは赤黒い刻印が覗いていた。
 誰の子供と聞くと女はむしろ驚いたかのようだった。
「私とセリス様の子供じゃないですか」
 寝惚けているんですか、と女は微笑んだ。子供を連れてセリスの寝台に腰掛ける。
 その表情はまどろんだものであったが瞳の中には刃を孕んでいた。


「では行って参ります」

 真剣みを帯びたその瞳に女が行ってしまうのだと知ってセリスはとっさに腕を掴んだ。その体温は温かく、少女を思わせてならない。
「大丈夫ですよ。リーフ様といえども今の私は勝つ自信があるんです」
 女は微笑んで勇者の剣を引き寄せた。
「セリス様と私の愛しい子。二人を守るためになら、私はどこまでも強くなれます」



(何から)


 セリスは己を見つめる子供の視線に気がついた。
 額に浮かんだ禍々しくも至上の証。
 歪んだ青い瞳。



 そうだ。

 この子を守るために、自分は。



(子供達が真っ赤になって笑う国民は狂喜の声をあげたリーフがアレスがなにをしていると叫んだ何だ何だ君達が私と同じ選択をしないと言えるのか民がいつ反論した私は聖王私は神)





(そしてちっぽけな人間だ)





「・・・あ、ああ・・・・・・ッ!!」




















 そんな夢を見た。





 セリスはぼんやりと身体を起こして顔を拭った。ヴェルトマーの一室である。
 視線を送ると鞘に収められたティルフィングが静かに沈黙を守っていた。やや億劫として服を身につけていくと意識が鮮明となっていく。
 扉を押し開けて風の当たる場所を探した。まだ早いのだろう廊下を歩く姿は見えない。


「レヴィン」
 風を浴びながらバーハラを見つめていた男が振り返った。
「どうしたセリス」
「いや、とうとうバーハラだね」
「ああ。あの城にはユリウス皇子がいる。ナーガがこちらにあるとはいえロプトゥスは恐るべき威力をもっている。そして十二魔将が控えているはずだ……」
「ユリウスか……」
「セリス、情けは無用だ」
「わかっているよ」


 レヴィンと別れたセリスは窓から空を仰ぎ見た。
 これは悪い夢ではなく、現実の続きであった。
 ユリウスを愛していた娘が問うた事をこれからセリスは現実にしに行く。
 瞳に映るは、肥沃なグランベルの大地と明けゆく空。











 先の見えない、澱んだ空だった。















(04/04/04)