瞳を開けたら部屋だった 傍にいた幼馴染と、泣き疲れて眠っている妹
愛しい人の、姿が無い
ああ、そうだ
俺は一度死んだのだ、と 何故か納得してしまった
(そうでなかったら彼女を一人置いていくはずがない)
遥か彼方の
夢を見た。 死んでいる時に夢を見るはずはないから、多分死んでないときに見たんだろう。 すこし前の、現実。
ブルームを、殺した夜だ。
ブルームが倒れ、コノートが解放軍の手に落ちた。残党の方を歩兵隊に任せ、セリスは騎馬隊を率いてマンスターのリーフの元へと急いでいった。 歩兵隊はコノートの後始末を終えた後、数日後にセリスを追いかける予定になっている。 アーサーは騎馬だったが、任されている部隊は歩兵だったし、ティニーと数日離されるのが嫌で無理を言って残ったのだ。 そうは言っても、その妹とは今日は話してもいない。
今日、ブルームを殺したのはアーサーだ。
単騎で駆けてブルームまで走った。絶対誰にも譲れないと思っていた。 既にトールハンマーをイシュタルへと継承したブルームは、あっけないほどに倒れた。 あっけなかった。 アーサーは服を調えてセリスを出迎えた。セリスは何故か痛々しげな視線をアーサーに向けたがその代わりに何も言わなかった。 しばらく後に、よろめくようにコノートの城に現れたティニー。アーサーはとっさに死角に入った。 「伯父様」 ティニーはやっとそれだけ呟いて、顔を蒼白とさせていた。 アーサーはそれきり逃げるようにこの場所へと駆け込んだのだ。 蒼白とした妹に、一言の言葉もかけず。ティニーも、アーサーを探しには来なく、与えられた部屋でしばらく閉じこもっていたらしい。 だから、アーサーはずっとここにいた。 城の裏手にあたるバルコニー。北に面しているのであまりバルコニーとして優秀とは思えないがそこからは海が見えるのだ。
気が付いたら既に空が暗闇に包まれていて、冷たい風が吹き始めていた。結局一日仕事をさぼってしまった。スカサハにはさぞやぼやかれるだろう。 トラキアは寒暖の差が激しい。夜はずっと冷える。アーサーは部屋に戻ろうと思った。 城の中とつながる扉を開いて、目を止める。 明りだ。 うっすらと小さな蝋燭の明りが目に届いた。 誰かが、じっと影にうずくまっている。 「……ユリア?」 滑る銀色の光にアーサーはその名を呟いた。羽織ったケープにほとんど隠れてはいたが、そのアッシュブロンドの髪がさらりと揺れてアーサーを見る。 「アーサー」 ほうっと微笑んだ口元から白い息が舞う。石造りの城は夜はとても冷える。 「セリス様達と一緒に、マンスターに先に言ったんじゃなかったのか?」 「わたしは馬には乗れないもの」 ユリアは穏やかに微笑んでそう言った。立ち上がってアーサーを見つめてくる。やや伏せられた瞳が翳った。 「アーサー、冷えてるわ」 ユリアがアーサーの手を取った。長時間外に出ていた身体は確かにすっかり冷え込んでしまっている。しかしそう言ったユリアの手も冷たかった。 「ユリア、まさかずっとここにいたのか?」 ユリアが視線を落とした。図星なのだ。 「早く戻らないと……体調崩したら、大変だ」
アーサーはユリアを早く部屋に行かせようとしたが、ユリアはそうはしなかった。 「アーサーは、どうするの?」 「俺ももう戻るから」 「それなら、途中まで一緒に行きましょう」 アーサーは言葉に詰まった。正直、今は一人でいたい気分だったのだ。何よりきつい言葉でユリアを傷つけそうな気がする。 「いいから、ユリアは早く戻れよ」 アーサーは苦し紛れにそう言ったが、ユリアは承知しなかった。 「アーサー、一人にできないわ」 いきなり何を言い出すんだ、とアーサーは顔をしかめた。アーサーはむしろ一人で行動する方が得意だと思っていたし、周りにもそう見られるような振る舞いをしている。一体ユリアは何を言っているのだろう。 「だってアーサー、泣いてるもの」
アーサーは目を見張った。どうしてそんなことを言うのだろう。一度は逃したブルームをやっとその手にかけたのだ。なのに、どうしてそんなことを言うのだろう。 心はそう反対していた。反論しようと、口を開いた。だがそのために開いた口からは、別の音が紡がれた。 「ブルームが、見るんだ」 ユリアは黙って頷いた。アーサーの言葉は、堰をきったかのように止まらない。 「口で罵ってるのに、懐かしい目で俺を見てくる」 アーサーは自身の手で額を抑えた。支えなければ倒れそうだ。 「俺の中の母さんの面影を、ブルームの妹の面影を、肉親の欠片を、懐かしげに、愛しげに見るんだ。 アルスターでもそうだ。コノートでもそうだ。口ではあんなにも口汚く罵って、まるでっ」
アーサーはそこで言葉を切った。そんなはずはない。 あの男は確かに生きる意思に溢れていたし、本気で魔法を放ってきたのだ。 でも、それは確かなのだ。わかってしまったのだ。気がつきたくなんかなかったのに。 「伯父上は……っ」
あの男は、自分を殺す気などなかったのだ。
殺される気などなかっただろう。生き延びたいとおもっていただろう。だが、アーサーを殺したいとブルームは思っていなかった。 アルスターでも、コノートでも、結局それが戦局を分けた。 母の面影と、右手の魔道書。結局それが、アーサーを守った。 「あいつが俺から母さんと父さんとティニーを奪ったのに、あいつは家族を愛してた。 殺される寸前にも、伯父上は家族を、母さんを愛してた…っ」
ユリアは優しくアーサーの頬に唇を寄せた。知らずにつたっていた、涙だ。 どうしてなんだろう、とアーサーは思った。どうして、憎い憎い男を殺して、涙を流しているんだろう。 「俺は、やめないのに。復讐を、果たすのに。伯父上は……」 黙ってユリアが肩に頭をあずけてくる。ぬくもりが酷く暖かかった。
すっかり涙が引っ込んだ後、アーサーは非常に照れた。ユリアの前で子供のように泣いてしまったのが恥ずかしかったのだ。ユリアは珍しいものを見れたと嬉しそうに笑った。 「ティニーはね」 手を繋いでユリアを部屋まで送っている時、ユリアが言った。 「ティニーは、自分が伯父様に可愛がられてもいたから、アーサーがティニーに会うのが嫌かもしれないって言って、出てこなかったの」 だからアーサーを嫌ってじゃないのよ、と。 アーサーはユリアにすっかり見通されているような気がしてなんだかとても恥ずかしい。赤らんだ顔を誤魔化すように軽い声で話をそらす。 「ユリアはなんでもお見通しだな。俺の心がわかるのか?」 「ええ。アーサーのなら」 アーサーはますます照れた。ユリアが笑う。 二人で歩きながら、ユリアがそれを告げるために自分を探しに来たのだと気が付いた。なのに自分は独り背を向けるようにバルコニーにいて、ユリアはだから待っていたのだ。 たった一人で待つのは、さみしかっただろうに。 何故だかとても愛しくなって、ほんの少しだけ絡めあった手を強くした。 体温が伝わると安心する。
その時繋いでいたように、あの時も、左手に彼女の手を絡めていたのに。
(ユリア) 叫ぼうとしたその言葉は微かな吐息にしかならない。持ち上げようとした手は何かに繋ぎとめられていて持ち上がらない。 それからふと、そこが部屋の中だということに気が付いた。そして、一人の見慣れた青年の姿。
「……なんで、泣いてるんだ」 普通に出したつもりの声は驚くほど掠れていて、囁きほどの音だった。 けれど息もしないようにずっと横にいた青年は、それだけでも聞き取ったらしい。 「君が」 手に感じる温もり。ああ、この小さな手は妹のものだ。小さな白い顔に涙の跡が鮮明に残る。 愛しい妹。泣かせてしまったな、とまず始めにそう思った。 「君が、死んだりなんか、するから」 それでもう次の言葉には堪えないと、セティは泣き疲れて眠ってしまったティニーごとアーサーを抱きしめた。 頬に落ちる熱い雫。 「セティ、ティニーに気安く触るなよ」 アーサーはセティがティニーも一緒に抱きしめていることが不満で抗議したが、セティは一向に応じる様子は無い。 「セティ、聞いてるのか」 セティは一度だけ大きく頷いた。頷くだけで何も答えない。 代わりにがらん、と音がしてアーサーは中途に起き上がったまま前方を振り仰いだ。水の入った容器を取り落としたらしい、フィーだ。 「フィー……?」 フィーはじっとその場に立ち尽くしていた。いつも様々に変わる顔が今は強張ったように凍り付いている。 唇ががくがくと震え、目を見開いて只アーサーを凝視していた。 「フィー」 再度の呼びかけ。フィーの凍りついた顔が一瞬で崩れた。いつも明るい笑顔でいる頬を大粒の涙が零れ見る見るうちに濡らしていく。 「ばかっ!」 零れ落ちるように放たれた言葉とは反対にフィーはアーサーに飛びついた。丁度セティの反対側だ。 アーサーは言葉に困った。右手は眠っている妹にとられていて、その妹ごと幼馴染に抱きしめられている。そして相棒が鼓動を確認するようにすがり付いていた。
空いた左手。
絡めあった小さな手のひら。 「ごめんな」 大切な人たち。 「ユリア、攫われたんだ。……俺、助けにいかなきゃ」
あの時を思い出した。 ユリアも泣いていると思ったのだ。 実際には彼女は涙を流してはいなかったけれど、確かに泣いていた。 小さな蝋燭の前で、じっと座って。
ユリアはいつもは言わないけれど、とてもさみしがりやなんだ。 そんなところは、俺に多分良く似ている。
「きっと、ユリアは待ってるから」 今度は俺が探しに行こう。
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