騒ぎの音がした
フードを深く被ったリーフはそれを訝しく思う 振り向こうとしたリーフをフィンが止めた 「振り向いてはいけません」
帝国め、と罵声が聞こえ、ぶつかる音 あれは石を投げていたのだと後になって知る
アルスターでレンスターの残存兵がブルーム暗殺を画策したその日 ブルーム自身はその日、緊急の用にて不在。代わって任せられていた将が一人死亡 一日のみ、均衡の崩れたアルスター
北トラキアの民は、引きずり出された帝国兵に石を投げ 罵り声をあげていた
アフター
「ブライトンは、元マンスター騎士なんだよね」 マギ団出身者が談笑しながら武器の手入れをしていたところに、ふらりとリーフ王子がやってきた。 マギ団出身者には、アスベルも入るためか、リーフはマチュアなどとも手合わせを願うことがある。そのため彼らはリーフ王子が横で同じく武器の手入れをしていても特に気にならない。常にフィンかナンナを連れていると思っていたが、今日は一人だな、といったとりとめのないことを考えたくらいか。 出し抜けに聞かれた言葉がそれである。ブライトンは危うく手にしていた鋼の斧を膝に落としそうになって暫し慌てることとなった。マチュアとラーラは顔を見合わせている。 「誰かに聞いたんですか?」 ブライントンの言葉にリーフは頷いた。その様子をブライトンとマチュアは覗いてみるが、特に恣意あっての問いではないようだった。 「声高に、話したいことではないですが……確かに、俺はマンスターの兵士でした」 「騎士とは違うのか?」 自分より一回りも幼い、純粋さをもったガーネットに見つめられてブライトンは苦笑する。このユグドラルにおいては、戦うものは、ほとんどが騎士だ――ヴェルダンやイザークの未開地を抜くとすれば。ましてやトラキアはグランベル、アグストリアと同じく騎士が戦線を築く国。リーフの疑念は当然だっただろう。 「ええ、騎士ではありません……もっとも、騎士になりたいわけでも、ありませんでしたが」
北トラキアは、グランベルの藩属国家である。 元々レンスター、アルスター、コノート、マンスターといった裕福な四つの小国家からなる連合体であったが、そのことごとくは南トラキアによって崩壊。そして、グランベルによって併合されたのだった。 マンスターもその一つである。神器こそ継がれないものの伝説より以前から歴史を紡ぎ、古い国家としてその権威は高い。南トラキアに併合されるのであらば話は違ったであろうが、併合したのはグランベルだった。かくして帝国より派遣されるフリージ騎士。 誇りに権高となり、まして御世に頂く国王の命をことごとく奪われた北トラキアの民の反感は募った。それが騎士ともなれば尚更である。その血に僅かでも神の血を継ぐものとている。 グランベルに尻尾を振るぐらいであらば、我が身果てようと……そう思う者は少なくなかった。 そのことごとくがフリージによって追われ、命を落とすか地に潜む。そうしてみれば、騎士人口が瞬く間に少なくなったのである。 故郷フリージより民を移動させる理由もなく、ブルームが取った手段は妥当なものだった。 国民の徴兵である。 北トラキアの民は兵士として徴兵され、それぞれフリージの王国の防衛を担うこととなった。防衛相手はトラキア。それはどの民にとっても是非もないことであったが、それは別の意味をも秘めていた。叛乱の鎮圧である。 そして、マンスターもやはり例外ではなかった。いや、他の国よりもそれはより顕著であったのだった。
「俺も、命令に従って多くの任務をこなしました」 ブライントンの瞳に陰が差した。口にはしないが、彼の人生の大半を占めた兵士としての生活は、彼の中に大きな重荷として残っている。 「今でも誇りに感ずることも……軽蔑することも」 「どうして、マギ団に入ったんだ?」 リーフの言葉に、ブライトンはちらとマチュアを見やった。彼女は肩を竦めて剣の手入れを再開している。 「自分のしていることに疑問があって……その疑問を問う、勇気を貰ったからでしょうか」 「ふむ……」 「いきなりどうしたんですか?リーフ王子」 ブライトンの不思議そうな様子に、リーフはいや、と軽く首を振ると剣を納めて立ち上がった。 「もうじき紫龍山に入る。ブライトンもマチュアも、疲れているだろう。休める時に休んでおいたほうがいいよ」 軽快に立ち上がり駆けて行く様子を、二人はしばらく見送っていた。
「リーフ王子は、あんなに元気なのにな」 「鍛え方が違うんじゃないの?」 マチュアの棘のある言葉にブライトンは黙って斧の手入れに戻った。
「ねえリフィス」 怪我人の治療に当たっているサフィに話しかけようとしていたリフィスはびくりと跳ねた。まだ声変わりを終えていない高めのアルト、伸びの良い声音は聞きざわりがいいが、リフィスにとったら恐怖の声だ。この声で「村人に引き渡す」と言われた時の恐怖は忘れられない。 「な、なんだよ王子!また仕事かよ!?」 「違うよ。リフィスは仕事が好きなんだな」 絶対違う、とリフィスは思ったが黙っていることにする。リーフに口答えをすると、その背後に控える騎士の父娘が怖ろしい。サフィも悲しい顔するし。 「リフィスはさ、村人に引き渡されたら殺されちゃう、って言ったじゃないか」 「あ、ああ。そりゃそうだろ?」 「武装していた僕らよりも、村人のほうが怖いの?」 馬鹿にされているのだろうか、と思ったが、王子の声音にそういった様子は無い。純粋に訝しく思っている様子だった。ああ、これだから王子様ってやつは。恨みとか復讐心と縁はないのか?(思いながらもそんなわけはない、とリフィスは思った。彼の両親の命の落とした状況は有名だ) 「そりゃ、軍はある程度の規律があるけど、村にはそれがないだろ?それに、王子には俺に対しての私怨がない。私怨がある時、人間ってのはすげえ残酷になりやがるからな。それが集団なら尚更だ」 「それがわかってて、リフィスは盗賊してたんじゃないか」 「過去だカコ!」 怒鳴るリフィスにリーフは戸惑った視線を向けると、少し視線を外した。
「僕はさ」 それに合わせてリフィスも神妙な様子を見せる。 「驚いたよ。村人の人、凄く殺気立ってたから」 だから、サフィの言葉に頷いたのだ、と言う。リフィスは流石サフィ、俺の女神様。と思った。 「リフィスは、不思議に思わなかったのか?」
だって、一人の人を、たくさんの人で痛めつけるなんて、おかしいよ。変だ。
「……まだ、俺は痛めつけられてなかったけど?」 「あれ。これは違う件だったかな」 頭を捻るリーフに、リフィスは小さな声で呟いた。 「そりゃあ、王子は、誰も、石打たないんだろうけどよ」
俺は、引きずり出されてこぞって石を打たれ、罵り声に狂乱。蔑む瞳。自分が、加害者である絶対の自信。 そういったものと、無縁でなく生きてきたんだよ。
リーフは、同情も怒りもない瞳でそれを聞いていた。彼のガーネットの瞳に見つめられると、自分の汚さが呆れられる。サフィの神聖さとはまた違う、ちょっとはいいことをしてやろうか、と思わせるような――。 「リフィス、石打たれる現場をどう思う?」 突然の質問に戸惑いながら、リフィスは答えた。 「……そりゃあ、嫌だよ。明日の俺の姿かもしんねえし」 「僕も嫌だ。石打たれる姿も……石を投げる姿も、嫌だ」 リーフは立ち上がると、じゃ、と短く言ってリフィスの傍を去っていった。 何を聞きに来たのだろう?あの王子様は? 自分みたいな小悪党に聞くようなことではなかったような気がして、少し自己嫌悪に浸った。
「例えばさ、フィン」 「はい、何でしょうか?」 「捕虜にすると、どう思う」 フィンは真面目に考えた。己が捕虜とされたらどうであろう。そのために大きく戦況が揺らぐのであれば、己は命を断った方がましだ。だが、ナンナが囚われた時に、彼女がそれを考えなかったとは思わない。死ぬのはただの逃避で、主のためにはどんなことをしても生き延びて、主の盾となるために命は散らすべきである。 「そういうことじゃないぞ」 リーフはフィンの心を読んだように打ち消した。 「する側で、だよ」 勿論、リーフは敵を捕らえたって、捕虜にすることは出来ない。その余裕がないのだ。拠点さえないし、見張りに割く人材だって惜しい。エーヴェルの言ったように、捕らえたものは武装解除をして解放している。 フィンは表情を僅かに眇めると、慎重に述べた。 「私は、リーフ様に再度牙を剥くような者は、生かしてはおけません」 「また来たら、またフィンが僕を守ってくれればいい。今度は僕が強くなって返り討ちにするかもね」 甘い言葉にフィンは相好を崩して御意、と言った。 「今まで、僕らはそうしてきただろ?」 偶然に捕らえられた者は捕らえたけど、あえて捕らえようとはしなかった。 「でも、マンスターで、思うことがあった」 自分がいない間のことだ。フィンは神妙な顔つきになって主の言葉に耳を傾ける。 「フリージの兵士は、皆トラキアの民だ」 「勿論、レンスターの者は、リーフ様のお姿をみれば刃を向けたりなどはいたしません」 そういうことではなくて、とリーフ。 「それなら、フリージの騎士は、やはり、民なんだよ」
フィンは言葉に詰まった。彼はレンスターの騎士である。やはり、フリージは憎い。
「フリージであれば殺さず、トラキアであれば、生かす。そういうことなんだろうか。僕がしたいのは?」
それは違う気がするよ、とリーフは息を吐いた。
(エーヴェル)
金色の髪がきらきらと眩しい。母のような温かさで自分を守ってくれた人。
(リーフ様、なるべく敵は捕獲して、武装解除してから解放しましょう) (でも、そうしたら、また襲ってくるかもしれないよ) (そうかもしれませんね) 彼女は女神のように微笑んで、でも、と笑った。
(敵対する者、全てを殺して、受け入れられる改革などないのですよ)
だから、貴女を捕らえた男だとしても。
「これから、紫龍山に入る。辺りにいるのは盗賊だが、カリンの話だと、館の前を騎士が守っているらしい」 ざわり、と軍がざわめいた。騎士と言うことは、ここまでフリージの手が伸びているのかと思ったためだ。 「それが、どうやらトラキア軍の紋章をつけているらしい」 辺りのざわめきは一層深くなる。当然だ。向かう先で盗賊を狩っているトラキア軍は予想していたが、盗賊に組するトラキア騎士など予想もしていない。軍の中からは、口々にトラキアを罵る声が聞こえたが、リーフはそれを黙らせた。 「僕は、その騎士を生かして捕らえたいと思う」 フィンがはっとリーフを見た。 「その騎士が、ゴメス達に力を貸す理由はわからない。人にはそれぞれ理由があるだろう。剣を取り、血を流すことには相当の理由があるのだと思う」 ざわめきが止まり、皆がリーフを見ていた。 「そうして、己の理念だけで剣を振っていけるならば、悲しい目をして戦う人は、誰一人いないだろう」 ヒックスが、またマーティが押し黙った。サフィが強い目をしてリーフの言葉を聞いている。
「けれども、疑問を抱きながら剣を振るう者がいる。何かを守るために、血を流す者がいる。目指すものが同じでも、互いに刃を合わせなければならない者がいる。 僕は、これから刃を合わせる者たち全てと、理解し合えない未来を切り開きたくはない」 リーフはその血にバルドとノヴァの血を継ぐものだった。そして、その手に持つ光の剣は、バーハラの直系のひとが母に渡したものだという。そして、トラキアに育った者だった。 「君達に守りたい者がいるように、僕らの敵にも、家族が居て、守りたい人がいるだろう。信じる道があるだろう。それはけして、分かり合えない証拠ではないはずだ」 ブライトンは黙ってリーフを見つめていた。 「再び戦場で出会う不幸よりも、平和な世に友となれる可能性を、僕は選びたい」
そこでリーフは少し不安げな顔になった。「トラキア騎士相手には骨が折れるかもしれないけど」
オーシンが吹き出した。 「馬鹿だな王子!そういう時は、『君達を信じてる!』とか言うんだよ!」 「えっと、オーシン信じてるよ」 「任せとけって!閉じ込められてて肩が凝ってんだ!いっちょ暴れねえとな!」 引き締まっていた空気がほうっと綻んで、軍が一斉に沸き立った。カリオンなどは敬愛に瞳を染めて燃えている。 「お任せくださいリーフ様、必ずや成し遂げて見せます!」 「うん。頼むよカリオン!」 口々に、自分が、と叫んでリーフへと駆け寄ってくる中で、リーフはフィンとナンナを振り返った。 「エーヴェルが、なるべく生かして捕らえよう、っていった理由が、わかった気がするんだ」
敵と言うカテゴリに押し込んで、未来を諦めてしまわねばならない理由なんてないよね、と。 それは、彼女の意思とは違うかもしれないけれど、間違いなくリーフの信じる明日なのだ。
父と娘はよくにた笑顔を浮かべて主に頷いた。リーフが、それに答えるように笑顔になる。
「さあ、行くぞ!なるべく武装解除して、解放するんだ!」
グラン暦776年。リーフ王子の挙兵。 民意を集い、時代を背負った奮戦だった。 圧倒的な数の劣勢は幾度の逃亡を呼び込み、ギリギリで命を拾ったことは多々あったという。 リーフ軍によって命を救われたものが、再び戦列に加わることは片手では足りない。 それにより掛け替えのない命を失い、慟哭したことさえあったという。
だが、グラン暦790年。
リーフ王子は今、賢王リーフと呼ばれている。
(新トラキア王国竜騎士隊長・ルーメイの手記)
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