気にかかっていることがある 始めからわかっていることだ、と何度も思った
拒絶されても仕方ないのだ 疎まれても仕方ないのだ
この血は決して消えはしないのだから
それでもあなたが喜ぶのならと、ここまでついてきた
告白
マンスター、である。 サラは今まで城の一角で怪我人達に杖を振るっていた。重傷人がいなくなって直ぐにその場を立った。 マンスターは解放の喜びに酔っていて、士気がいまだ高い。マギ団が多数合流したからその分治療をするものも格段に増えている。むしろサラが人気に酔ってしまいそうで、早々とその場を離れたかった。 顔色が悪いサラに気がついたのだろう。同じく杖を振るっていたセイラムが気をかける。奥へと続く間で椅子を持ち出し、冷たいものをもらってきます、とその場を去った。 セイラムはいい人だ。サラは認める。 彼の心は様々なものに迷いながらも何かを選び取り続けた者だった。あの黒い服も、その一つ。 けれど、あの服は好きじゃない。 セイラムが何を思って黒衣を着続けるのかをサラは知っている。そして、理解してはいない。 サラはあの黒衣を見るたびに呼び起こされる堪らない吐き気と、そして安堵感に嫌悪した。
(闇よ闇よ、光とけして溶けあう事の無き闇よ)
(光が無ければ存在せず、また光は闇無くとも現存する)
兵の姿がサラの横を通り過ぎていった。顔色悪く座っているサラに訝しげな色を向けるがそのまま立ち去る。 あの兵は、毒の具合を知らせていたのだ。 ベルクローゼンという名がサラの心を重くした。北トラキアはフリージによって子供狩りは否定的だ。だからこうしてベルクローゼンが徒党を組んでやってくる。 彼らの使う闇魔法は体内に毒を生み身体を刻々と害していく。ロプトめ、と兵が呟く心を聞いた。 ああ、こんなにも疎まれているのに。 サラは、そんなことは始めからわかっていた。 メルフィーユの森に現れたときに既に下界はロプトへの嫌悪に荒れていた。よくも、よくもと。サラは似たものを知っていた。ロプトの僧達の心の中も、光への嫌悪で渦巻いていたのだ。 人間など皆同じ。 サラはくたりと首をもたげた。 (同じなら良かったのに) セイラムが水をもってきた。億劫に手を伸ばして口に含む。 清らかに澄んだ水は微かに毒の香りがして、サラはコップを置いた。
「サラ様?どちらに……」 立ち上がったサラにセイラムがそう聞いてくる。気遣う声は嫌いではない。 「リーフさまのところよ」 そうですか、とセイラムは納得したように頷いてその場を去った。黒衣の男の心に去来した不安を、サラは捉え……何も言わない。 しずしずと、振り返らずにサラは進む。
(闇に沈めサラ。お前のロプトの血は揺るがない)
そんな、と辛い声がする。
嘆いてさえあの人の声はこんなにも綺麗だ。 それは、リーフの魂の美しさだった。決して揺り篭で育てられはしなかったけれども、数多くの想いに抱かれ、幸せを知っている者だけがもつ美しさ。 リーフが優しいのは、彼が優しさの中で育ったからである。 リーフが苛烈なのは、彼が煉獄の中で生きてきたからである。 リーフの厳しさは、彼が夢の中では生きてはいられなかったからである。 ねぇ、リーフさまはどうするの。とサラは聞いた。サラは心を聞くことが出来たが、それだけは紗がかかったように聞こえない。
あなたの声は、悲しみに翳っていても綺麗。
サラは足を踏み出した。リーフの笑顔が好きだ。
眼前に背を向けたリーフと、サラに気がついたアウグストが見える。アウグストは、おそらく気がついているようだった。聡い男だ。心を読まずとも彼は様々なことがわかっている。 おそらくはその影にいる風の王も要因ではあったが、しかしアウグストはサラに対して何も言わなかった。 そして、だからこそアウグストは正しい。 アウグストがリーフの味方であるならば、サラは無二の味方であった。 この強大な魔力も、人の渦の中で惑う心も、リーフのためになら惜しくない。
そして、始めからわかっていたことなのだ。
それでもサラはリーフを助けたいと願ったし、それは変わることはない。 たとえ拒絶されても構わない。 たとえ嫌われても構わない。 それでもリーフは喜ぶはずだ。 助けたいと願う人を助けることが出来てなお、複雑さに顔を歪める人ではない。
「あたしなら、その杖使えるよ」 サラは驚いた。声に震えを走らせないように、とするのが精一杯であったからだ。 何かに恐れている。 何故だろう、サラは自問する。 だって、だって、こんなことは始めからわかっていたことだ……。 「サラ!?君が……?本当なのか!」 アウグストの視線がサラを映したが、サラはもはやそのことに構う意識は残っていなかった。胸を焦燥が焼いている。ばくばくする、というよりは絶望が迫る。 サラは、こくり、と頷いた。同時に喉を震わせた。 「うん、使えるよ。だってわかるもの。その封印……おじいさまのだから」
リーフの瞳が、一瞬理解できなそうに見開かれた。そして、その言葉の意味を汲み取り見る見るうちにリーフの心に驚愕が生まれる。 サラが? マンフロイの孫?
(ねぇ、リーフさま)
(本当は)
(本当は、リーフさまだって)
いきましょ、と伸ばした手を、躊躇いもなくリーフは握り返した。 (あ) リーフがアウグストに指示を飛ばす声が聞こえたが、サラはそれが聞こえなかった。 体温が。 体温が伝わる。 さぁ行こう、とリーフはサラの手を取ったまま歩き出した。サラはそれに従った。
闇が憎い、という人々の声がある。 光が憎い、という人々の声がある。 だから。 だからサラは、リーフが自分を罵っても良かった。
拒絶していい。 嫌ってもいい。 疎んでよかった、この流れる血を。
リーフはとても驚いていた。この人の声は素直すぎて、何も心を秘めようとしないのだ。 とてもとても驚いて。 繋がった体温に、受け入れた。
(サラはキアの杖を手に掲げた。血の封印がそこにある)
リーフは関係ない、とは言わなかった。ただ手を握り返した。 闇が憎い、という人々の声高な声があり。 光が憎い、という人々の囁きがある。 囁きが。 リーフは時たまアウグストを連れてセイラムのところへやってきた。パーンやトルードもその場において。
リーフは拒絶しない。 リーフは嫌わない。 リーフは一人の少年で、恐ろしく高潔でも嘆くほど清らかでもありえない。
(サラは高らかに詠唱を口にした。闇を孕むには透明な声で)
石の身体に色が戻り。息を詰めていた娘と少年の顔に生彩が宿った。 念願の時にしては、そこにいたのは娘と少年とサラの三人。娘、マリータを呼んでリーフは暫し戦線を離れていた。 リーフは愚かではなかった。それがまた、サラの胸を締め付けた。 エーヴェルと名乗るブリギッドが瞳を開く。娘と少年の瞳が、輝かしいものとなる。 「エーヴェル!」 「母様っ!!」 カラリ、と杖を置いてサラはその光景を見送った。 喜んでいる。 それが堪らなく嬉しく、また、胸を焼いた。 リーフの心がきらきらとしている。溢れる喜びにその心を輝かせている。 嬉しい、のに。 「ありがとうサラ!」 その笑顔に一点の曇りもないものだから。
……泣きたくなった。
拒絶されてよかった。 疎んだってよかった。 あなたが喜んでくれるならそれでよいと。
だが、今サラが手に入れたものはなんだろう。
リーフは拒絶しない。 リーフは疎まない。
リーフは光でありながら、闇を厭うのではなく個を憎んだ。
この人の声は綺麗だ。 この人の心が綺麗だ。 だがサラは。
……こんなにも、醜悪だから。
遠い絶望が去来する。 リーフがまた一つ遠くに感じて、サラはどうしようもなく悲しい。 只人であったならば。
攫うこともできたのに。
(けれども時代は残酷に、これが王だと囁いた)
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