まどろみ アリス様
眠る。眠る。深いまどろみ、心地よい眠り。 何も聞こえない、何も見えない。 其れでも、僕は泥のように眠る。
・・・・誰?誰かが僕を呼んでる。
眠りの海に沈んでいた意識が、覚醒へと浮かび上がる。 其れでも、直ぐに意識は沈む。 ・・・また、声が聞こえる。僕を呼ぶ声は酷く疲れているようで。
・・・誰・・?・・・よく知っている声。 シャル・・?いいや、違う。・・・マリアン?・・・違う。
懐かしい声はひび割れて、ずたずたで。其れでもなお、僕を呼び続ける。 暗闇の中眠る僕を、ずっと呼び続ける声。
ああ、お願いだよ。 もう、眠らせて。 もう、僕は、目覚めたくなんか無いんだ。
『リオン・・・』 いっそ悲痛なまでの、泣き声にも似た声は、僕を何度も呼んで。 深淵の奥底へと落ちていこうとする僕を引き留め続ける。 張り裂けた紅い声は、苦しげでさえあった。 ・・苦しいんだろう?どうして、そんなに成ってもその紅い声で僕を呼ぶ?
・・・紅い・・・声・・?
フラッシュバック。黒髪の女の姿。酷く懐かしいのに、其れが何なのか分からない。 ばらばらに砕けた記憶のかけらが、ひとつひとつ輝きを取り戻す。 ・・・金の髪の田舎者・・若草の髪の宗教女・・・赤毛の女剣士。そして・・・黒髪。
記憶が飛ぶ。思い出せない。忘れてはいけない人だった筈なのに。 切り裂かれた自分の腕。ほとばしる鮮血。流れ込む海水に押し流されて・・。 あの人が泣き叫ぶ。細腕を精一杯伸ばして、僕を呼びながら、水に流される。
ああ、泣かないで。・・・泣かせたくなんか、無かったのに。
苦しげな顔で剣を構える・・そうだ、あれは、スタン。 僕の意志とは裏腹に、操られる体。僕らをせせら笑う男。 少しづつ、かけらが記憶を再構成してゆく。 自らの意志では動かない体を操られて・・あいつらと、戦わされて。 『コロシテクレ・・』 ・・・そう、お前の手で。 怒りを紫の瞳にたぎらせ、叫び続ける・・あれは・・誰? 祈りを捧げる・・フィリア。 自らの血にまみれ、泣き叫び、血を吐いて。 其れでもなお、僕を揺さぶる・・・あの人。其処からの記憶は、無い。
『リオン!』
あの人の、紅い、玻璃の声。懐かしい、いとしい声。
ああ、もう一度、名前を呼んでくれないか?そうしたら、何もかも思い出せそうだよ。 血が滲んで、苦しげで。でも、その声を、もう一度聞きたくて堪らないんだ。 例え僕が目覚めることが罪だとしても、僕の地獄行きは決定事項だ。 お前を、姉さんを愛したことが罪ならば、僕は神にだってケンカを売ってやろう。 だから、ルーティ。 呼んでくれ、僕を。もっと、呼んで。 暗い眠りの淵から、手を伸ばす。
『目を覚ましてよ・・リオン!!』
ああ、そうだ。この声だ。 懐かしい、玻璃の声。紅い声。誰よりも、何よりも聞きたかった、お前の声・・!! 眠りへと落ちそうになる意識を、声の方へと向ける。 もう、眠らない。だから、泣かないで。 その声を、これ以上傷つけたくない。 お前の姿を、この目で見たい。 視界が、光で満たされる。
「リオン・・?」
気を抜けば直ぐに落ちてきそうな程に重い瞼をこじ開ける。 ぼんやりとした像は、さほど間をおかず鮮明に僕の目に映り、 この部屋の明かりが蝋燭と夜空に冴え冴えと息吹く月の光だと言うことを知る。 重ねられた手のひらを、握り返す。暖かい。
「・・・やっぱり・・おまえ、だったんだな・・・」 喉がひりひりと痛む。其れでも何とか、声の主に言葉を掛けることが出来た。 きっと、初めて。ルーティへと微笑んで。 「ルーティ・・」 「・・・リオン・・・っ・・・」
大きな紫水晶の瞳から、止めどなく涙が流れ落ち、僕の頬をぱたぱたと濡らす。 其れと同時に彼女は僕の体に突っ伏し、大声で泣き始めた。 僕のために、泣いてるのか? 「何・・泣いてる・・・」 指で涙を拭ってやりたいのに、腕が思うように動いてくれない。 僕にしがみついて、時折咳き込みながら泣き続けるルーティの肩に、 やっとの思いで手を置く事が出来た。 「っ・・心配、したんだから・・・このまま・・意識が、戻らなかったら・・って」 肩に置いた手を少しずらして、指で頬をなぞる。 涙を拭うまでは出来なかったが、ルーティを安心させる効果はあったらしい。 涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて、僕を見つめる。
喉に巻かれた、真っ白い包帯。
「どう・・したんだ・・それ・・」 掠れた声で、問い掛ける。 ひび割れた声が、応える。 「ライブラWが・・沈んだとき・・凄く、叫んだの・・その後も、ずっと・・ 叫ばずには居られない事ばっかりで・・・・喉が裂けて・・・・血、吐いちゃって。 ・・これは、只の薬だけど」 泣き濡れた頬を自分の手の甲で拭う。其の手にも包帯が幾重にも巻かれていた。
「あんた、ひと月眠りっぱなしだったのよ」 そうか、それなら筋肉が衰えていても不思議はないな。だから体が動かないんだ。 不思議と冷静なままの頭で、そんな事をつらつらと考えて。 「水、飲む?」 泣き腫らした目で笑うルーティ。 痛々しくもあったが、其れが作り笑いでは無い事だけは良く分かる。 声を出すのが少し辛くて、横になったまま頷く。 声を出すのが辛いのは、ルーティも同じだろうに、彼女は優しく僕に言葉をくれる。
ひび割れてはいるけれど、はっきり其れと分かる、紅い声。
差し出された水差しに口を付け、喉を潤す。 水差しを戻そうとしたルーティの服を摘んで。未だ掠れた声で、囁く。 喉に痛みが走ったが、これだけは、口に出して言いたかった。 「・・・有り難う。呼んでくれて・・」
お前の声でなければ、駄目だった。 お前が其処に生きていなければ、僕には目覚める意味等無い。 お前が僕を必要としないなら、僕は生きる意味さえ無い。
有り難う。僕を必要としてくれて。 有り難う。側に居てくれて。 ・・・有り難う、愛してくれて。
姉として、友達として・・・そして・・・全てに於いて、愛してくれて。
ルーティが微笑んで、頬に、額に、キスを降らせた。 水に濡れた僕の唇に、ルーティの其れが重なる。 柔らかな唇は暖かくて、彼女が此処に生きている事を僕に確信させる。 ああ、良かった。お前が生きてて。 指先で袖を掴み、離れぬ様にして、深くルーティを求める。 舌先でなぞれば、薄く開かれる彼女の唇。舌をからめて、お互いを感じ合う。 ルーティの指が僕の指にからみつく。 出来るなら、体全部で彼女を感じたかった。 だが唇を離され、少し未練がましい目で見上げると、其の視線はあっさりとかわされた。 「病み上がりでしょう?」 僕の耳元で囁く声は、酷く掠れていたけれど、優しくて、心地よかった。
僕の耳に口を寄せ、微かに囁いた言葉は。 「・・・有り難う・・・戻ってきてくれて・・・」 そう言って、幾度めかのキスを額にくれた。
その声を、聞きたかったんだ。 只、其れだけだったんだ。 お前の声が、好きだから。 お前の事が、好きだから。
喉が治ったら、どうして僕が生きているのか教えてくれるか? 掠れた声を聞き取り、彼女は優しく微笑んで、頷く。 ええ。あんたが眠ってる間の事、あたしが覚えてる限りの事を、ね。 僕の唇を、ルーティの指先がなぞる。 だから、今は、おやすみなさい。後でまた、起こしてあげるから。 答える代わりに、唇に当てられた指先を甘く噛んだ。
この想いが悪だというなら、僕は悪魔にでも成り下がろう。 この運命を呪いながら、感謝する。 どうして、僕らは姉弟なんだ? 良かった、お前が姉さんで。
「なあ・・・」 「なあに?添い寝でもして欲しい?」 「・・・・・うん」 そして、僕らは二人、一つのベッドの中で、静かにまどろんだ。 お互いの熱を感じながら。お互いが其処に生きている事を確信しながら。
「なあ・・・」 「なあに?」 もう、眠り続ける事等無い。 お前の声が聞こえる限り。お前が其処に生きてる限り。
「・・・僕のこと、好きか?」 「・・・・・ええ、大好きよ」
END
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