流星雨 アリス様
今夜は、年に一度の流星雨が見られる日。 すっきりと晴れ渡った星空。 夜空を支配する月でさえも、星達の饗宴を邪魔するまいとその身を細く隠している。 満月の夜には見ることの出来ない微かな星も、今日ばかりはしとやかに瞬く。 こんなに条件の良い夜にはなかなか当たらない。 ルーティは宿の窓から星空を眺め、思い切ってテラスから身体を踊らせた。 足音さえ聞こえないほど、しなやかに。 ドアから出なかったのは小生意気な監視者に見つからない為だったが、同室のマリーやフィリアでさえも、彼女が消えたことに暫く気付かなかった。
「脱出成功!」 『何言ってるの、ティアラが付いてるでしょ?』 腰に下げた小姑・・もといアトワイトがはしゃぐルーティをたしなめる。 「良いの。一人で出掛けられれば」 そう言って、ルーティは小高い丘にごろりと横たわる。 黒い天鵞絨に銀の砂を撒いたような天の川(ミルキー・ウェイ)と、数多の宝石を散りばめた様な星空。 触れればこの身が裂けてしまいそうなほど尖った月。 視界の隅に光が奔る。 「あ、流れた」 腰から外したアトワイトも、感嘆の声をあげる。 かつてはあのように流れる星がこの星を直撃し、そのために辛い思いをしてきたのに。 其れでもこうして短く、儚い星の輝きを見るのは良い物だと、アトワイトは思った。
迫り来る小惑星は大気圏に突入したにもかかわらずその形を殆ど変えなかった。 土と共にしか生きられない人々は何処へも逃げることが出来ず、 地球全体がパニックに陥っていった。
其れが、阿鼻叫喚の幕開けを告げるベル。
新人の医師だったアトワイトは、怯える患者をなだめることで精一杯で。 そして、星が落ちると、多くの科学者が予想していたとおり、砂塵が大気を多い、光を遮り、長い冬の時代が始まった。 其れはまた、天地戦争の始まりでもあった。 コアクリスタルに人格を封じられた今となっては、あの時の忌まわしい思い出を忘れることさえ出来ない。 戦争の中、苦しむ人を見た。人体実験に使われ、クリーチャーと化した人も見た。そして剣になった自分はモンスターを・・・人を斬り殺した。 あの時の生々しい感覚は今も変わらないが、其れに何も感じなくなってしまった。 消せるものなら消したい記憶。もう一人の自分が狂い出すあの時の恐怖の記憶。 自分は狂うことも自ら死ぬことも出来ずにいた。
いっそ狂えたら、どんなに楽だったことか・・・。
凍結され、再び目覚めたときは見知らぬ孤児院。 未だ生まれて間もない赤ん坊・・・ルーティと共に、其処にいた。 「この子を・・・ルーティを、守ってください・・・・」 クリスは涙を零しながら、まどろむアトワイトに祈っていた。 (・・・そう、この子が新しい私のマスター・・・そしてこの人が・・・) 未だ我が身に何が起きたかも理解できない幼子は、意識を取り戻し始めたアトワイトに向かって、無邪気に手を伸ばす。 アトワイトのコアクリスタルに、クリスの涙が落ちる。 「ごめんね、ルーティ・・・ママを、許してね・・・」 幾度も振り返りながら孤児院を出ていこうとするクリスを見送りながら、アトワイトは誓った。この幼い命を守ろうと。其れが彼女にとってオリジナル以外の最初のマスター、クリスからの願いであり、命令だったから。
草の天鵞絨の上で煌々と輝く星を見つめるルーティの横顔を見やり、母親に似てきたと思った。 小さい頃は、アトワイトの声が彼女にしか聞こえない所為もあってよく苛められた。 其れでも彼女は何時の間にやら苛め返すだけの悪知恵を身につけ、逆にガキ大将を泣かせる程逞しく育った。負けず嫌いは生まれつきよ。幼い彼女はそう言って笑った。
『育て方を間違えたのかしら』 「え?何?」 反抗期の子供を抱えた母親の台詞をこんな形で口にしようとは。アトワイトは苦笑した。 『ううん、何でもないわ』 其れでもルーティは、誰に何と言われようと構わない。そう言ってレンズハンターになった。孤児院を守るために。大事な人を守るために。 只の意地っ張りじゃない。誰かに優しくすることに、優しくされる事に慣れていないだけ。 この少女の中には、優しさも暖かさもちゃんとある。 痛みを堪える強さも、涙を堪える気丈さも。
傷つくのは、口汚く罵られるのは平気。 でもね、アトワイト。あたし、孤児院のみんなやシスターが傷付けられたり、馬鹿にされるのだけは、厭。其れだけは厭なの。 あたし自身は何言われたって構わない。平気だから。傷付けられるのには慣れたから。 だから、あたしがやるの。どんなに悪く言われたって良いから。
何時だったろうか、安酒を飲んで零した彼女の本音。 誰も知ることがない、本当のルーティの優しさ。水晶の棘のような、想い。 猫のようにしなやかで、気まぐれで。きらきらした瞳で真偽を見極めようとする。 その瞳の前では、生半可な嘘は通用しない。
「あ・そ・・・誰か来た?」 野性的な勘も鋭い。半身を起こし、振り向いて辺りを確認する。と。 「げ!!」 「何だその顔は。元々変な顔が更に変になってるぞ」 「失礼ね!誰が変な顔よ!!」
大股でざくざくと丘を登り、ルーティの傍に来たリオンが腕組みをして彼女を見下ろす。 細い三日月と、星と、遠くに見える街の光だけでしか判断できない中で、 リオンのピアスが揺れてきらりと光った。
「単独行動は慎めと言っているだろう。こんな処で何をしている?」 「星、見てたの」 ルーティは再び腕枕をして星空を見上げた。 丁度星の量はピークを迎え、シャワーのように降り注いでいる。
がさり。
草の動く音と、微かな風を感じて音の方へと頭を少しずらす。 ルーティと頭を向け合う形で、リオンが彼女と同じ姿勢になって空を見上げていた。
(あ〜あ、こいつに見つからないように窓から出てきたのに。 どうしてばれたのかしら・・・) 視線を空に戻して、ルーティがぶつぶつと小声で愚痴ると、 頭のてっぺんの髪をついと引っ張られた。
「なによ」 「幾ら見つからないようにしてたって、窓から見られてたら終わりだろうが。馬鹿者」 「見てたの〜?」 「スタンがな」 あいつ、後でシメてやる!!絶対シメる!!等と物騒なことを呟き、 拳を握りしめて怒りに悶えるルーティ。
「奴の頭だけは叩くなよ。これ以上馬鹿に成られても困る」 「・・・ぷっ・・・了解」 時折、こんな風に意見が一致する。 けして馴れ合うことはないが、こんな瞬間が二人とも結構気に入っている。 星が、流れる。 ただ黙っている時間でさえ心地良い。 拳をほどいて、頭の向こうにあるリオンの髪を軽く引いてみる。 「なんだ」 「・・・思ってたより固いのね、あんたの髪。もっと猫っ毛だと思ってた」 「・・・・・・ふん、くだらん」
いつものように、ぶっきらぼうな答え。其れでもルーティはリオンの髪に指先を絡めて。 「下らなくなんてないわ。綺麗な髪してるじゃない」 「髪質がどうだろうと、僕の知った事じゃない」 ルーティの指を振り払い、リオンは起き上がる。苛ついているようだ。
「何時までこんな処にいるつもりだ。明日は早い。宿に戻るぞ」 「ねえ、リオン。あんた、『お父さん』にそう言う答えしか貰えなかったの?」 「・・・・何だと?」 リオンの眉が、ぴくりと跳ね上がる。 彼は「父親」というキーワードに酷く反応する。
彼と彼の「父親」に何があったかは分からないが・・・とても、苦しそうで。 シャルティエも、アトワイトも、マスター達の会話を息を殺して聞いている。
「あたしが凄くお世話になった人が言ってたの。子供が何かを話し掛けて、親が言葉を返す。その時の親の答えを、子供も大きくなってから言うんだって。 だから、どんな小さな子にでも優しく答えてあげるんだ、って」
リオンの瞳から感情が消える。其処にあるのは、冷徹な剣士の瞳。 その瞳の奥には、何時爆発してもおかしくない程の怒りと、困惑。 彼の氷の瞳を通り抜け、ルーティの視線は星を見上げ続ける。草の上に寝ころんだままで。
「其れがどうした」 言葉さえも、冷たく響いて。 其の冷たい言葉をぶつけられても、ルーティの瞳は真っ直ぐに星空へ吸い込まれて。
「・・・あたしは『お父さん』って知らないから、どんなモンか分からないけど・・あんたのお父さんって、そう言う人なの?だから、嫌いなの?」 「答える義務はない」
あくまでも、ポーカーフェイス。 だが、微かに揺れるアメジストの瞳。 星明かりの中でちかちかと光を放つ、リオンのアクセサリ。 その光が、揺れ動くリオンの心を代弁しているように、ルーティには見えた。 流星雨が終わりを迎える。星の数が少しずつ減っていく。
「・・・寂しいの?」 視線をリオンの瞳に戻す。真っ直ぐに、その瞳を見据える。リオンの視線を絡め取り、 目を逸らすことさえ許さない。答えて。声ならぬ声に意識が縛られる。
「・・・寂しくなんか・・・無い・・・」 ルーティの真っ直ぐな瞳に捕らわれて、リオンの瞳から力が失せてゆく。 アメジストの瞳は、只、揺れて。
「本当に?」 目を逸らして、今すぐ逃げ出したい。でも、ルーティの瞳に宿る強い光は其れを許さない。 分かっていたことなのに。この瞳に捕まったら、ごまかしなど利かない。 アメジストの瞳に絡め取られて、リオンはゆっくり、もう一度腰を下ろす。 ルーティは首を捻り、リオンの方を見たまま体を起こす。目を逸らさずに。
至近距離でかち合う瞳。 ひとつは揺れ動き、今にも瞼を閉じてしまいそうに弱々しく。 ひとつは強く、ダイアを散りばめたようにきらきらと輝いて。
不意にルーティが視線を外す。これ以上瞳を覗き込まなくても良いわね。 許してあげる。でもちゃんと答えなさい。 そう言いたげなルーティがリオンの胸に背中を預ける。 何時も付けている肩のアーマーはない。その剥き出しの肩に瞼を押し当て、 ぽつぽつと、リオンが囁く。
「・・・小さい頃は、あいつの背中を見て過ごしたのを覚えてる。哲学書に囲まれて帝王学を叩き込まれて・・・顔を合わせるのは、剣の稽古の時だけだったな・・・」
ルーティは何も言わない。下手な慰めは相手を傷付けるだけ。こんな時は、ただ黙って、 言葉をゆっくりと聞いてやればいい。 そうされる方が楽なのを、ルーティは良く知っている。
「時々・・・身体が空っぽになったような・・そんな感覚はあった」 其れを、寂しいって言うのか?リオンの唇が歪む。組み合わせた指に力が入る。 そのまま、ルーティを少しだけきつく抱き締める。 お互いの温もりが腕に、胸に、背中に伝染する。 せめて、身体の温もりで心を温めようとするかの様に触れ合う。 決して暖まることなど無いと、心の底では思いながら。
「・・・・・此処は、寒いな」 肩やお腹を露出したルーティの服装でも、決して寒くはない気温だったが、 ルーティは小さくひとつ、答えるだけだった。
「・・・そうね」 流星雨が終わる。最後の星がひとつ、悲しげに流れた。
END
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