眠れる森の王子様
              アリス様



ねえ、目を覚まして。

もう、何度、この言葉を口にしただろう。あたしの前に横たわる少年は、このひと月もの
間、昏々と眠り続けている。

第二次天地戦争。誰がそう言ったかは知らないけれど、ひと月前の其の戦いで、あたし達
は勝利した。そして、大事な物をたくさん失った。
例えば、憧れのひと。
例えば、尊敬していた人。
例えば・・・・・・・やっと会えた、「お父さん」・・。
そして今、とっておきの大事な物を失いそうになっている。

リオン・マグナス。本当の名は、エミリオ。・・・エミリオ・カトレット。
あたしの、弟。唯一の肉親。やっと会えたのに、やっと家族で暮らせると思ったのに。
ねえ、死なないで。お願いよ、リオン。
また、以前のように、あたしにキスを頂戴。
あたしが初めて好きになった子。
あたしを初めて愛してくれた。
姉弟とか、そんな事何一つ知らなかった。
あたしを、姉だと知りながら愛してくれた。
あたし未だ、あんたに何も言ってないわ。
言いたい事が、山程在るの。
だから、ねえ。目を覚まして。



リオンは、島の大爆発に巻き込まれ、瀕死の重傷を負った。
其れを運が良いのか悪いのか、ミクトランに見つかり、利用された。
体は自分の意志では動かないが、意識はある。そしてあたし達を殺せと命じられた。
リオンは苦しみながら、あたし達に初めて「助け」を求めた。
『コロシテクレ・・・・』
あの時、本当に発狂するんじゃないかと思った
思考停止。頭の中が真っ白になる。何も考えられない。
でも、リオンは。あの子はもっと苦しんでる。
死にたくても死ねないことがどれ程の苦痛か。いっそ狂ってしまえたら。
リオンのうつろな瞳がそう訴える。
あたしはリオンのそんな目を見ることが辛くて、涙がこぼれる。
其れでも必死に正気を保ち、彼と斬り結ぶ。視界が曇る。手の甲で涙をぶっちぎる。
「・・・・・?」
ミクトランの誤算は、あたしがリオンの仮死状態に気付いた事。
スタンに耳打ちする。あいつは生きてる。
本当に死んでいるなら死後硬直を起こしているはず。なのに生きている時と何ら変わりな
く剣を振るっている腕、しなやかに床を蹴る脚。
そして、剣を交えたとき、微かに感じた呼吸。
間違いない。あいつは生きてる!!
あたしの胸に温かいものがぱっと灯る。助けられる、助けてみせる!
スタンがシャルティエを叩き落とし、あたしは急所を外して彼を貫いた。
ごめんね、あんたの動きを止めるにはこれしかないの。

「なかなか楽しい余興だったよ・・・」
スタンとあたしが打った芝居にまんまと引っかかったミクトランと戦いながら、あたしは
晶術で其の場に居る全員を回復させた・・・そう、リオンも。
リオンの身体にかけられた呪縛は解けている筈だから。
「リザレクション!!」

「地上は・・我と共に・・滅ぶのだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

奴を倒して、やっとリオンを抱き上げる。何とか息はしている。心臓も動いている。
「・・リオン?ねえ、リオン!!」
ほんの少し、微かに、リオンが目を開いた。
何とか回復アイテムを飲ませようとしたけれど、飲み込む力も残っていないらしい。
口の端から零れるのを見て、あたしは思いきってドリンクを口に含んだ。
「ん・・・・」
口移しで、半ば無理矢理ドリンクを飲み込ませる。
「・・・っ」
後ろで何か、息を呑む気配がしたけれど、そんなことを気にしている暇なんか無い。
リオンの白い喉が上下するのを見て、少しだけ安心する。
そして、直ぐに彼の目は閉じられてしまう。
アトワイトはもう既に神の目に刺してしまった上、アイテムも全て使い切ってしまった。
・・・これ以上回復させることは出来ない。
「リオン・・っ!!」
「ルーティ?!」
リオンの名前を呼んだ途端、叫びすぎ、腫れ上がっていた喉がとうとう張り裂け、あたし
は血を吐いた。其れでも、あたしはリオンを揺さぶり続け、名前を呼んだ。
「・・・リオ・・ン!!・・リオン!!目を・・開けて!」
「ルーティ!早く脱出しないと!」
スタンが叫ぶ。その時、シャルティエが場違いな程静かに呟いた。
『ルーティ。僕も、神の目に刺してくれないか?』
「シャルティエ・・・?」
『ソーディアンとしての使命・・・果たしたいから。坊っちゃんを守りきる事は出来なか
ったけれど、せめて、これだけは・・・最後まで、やり遂げたい』
アトワイトも、ディムロスも、何も言わなかった。
言わなくたって、分かっているから。
長い間付き合ってきた、仲間だものね・・。
「・・・分かったわ」
顎を伝う自らの血を拭い、リオンの傍らに転がるサーベルを掴む。
スタンにリオンを担いでもらい、あたしはアトワイトにそうしたように、シャルティエを
構え、渾身の力を込めて神の目に突き刺した。
「ふッ!!」
ダイクロフトのコンピューターが熱暴走を起こして凄まじい轟音を轟かせている。
其の中に響いた、レンズの割れる音。
シャルティエを通じて、衝撃があたしの腕を、肩を伝わっていった。
「つ・・・・・・っ・・」
同時に、シャルティエの意識もあたしの中に流れ込む。
今までの、彼の記憶。赤ん坊のリオンをあやした、幸せな記憶。
リオンの剣の師であるフィンレイを殺したときの記憶。
あたしを捜しにクレスタに来たとき・・・リオンの側で子守歌を歌いながら眠るように死
んだお母さん・・・そして、天地戦争の時の・・・ソーディアン達の素顔。
それら全てを、あたしが受け継いだ。

思えば、アトワイトでさえも、こんなに心を通じ合わせたことはなかった。
『・・・・・・・・・・・・有り難う』
シャルティエの呟きは、酷く、穏やかだった。
お礼を言うのは、あたしの方だわ。・・・今まで、リオンを、エミリオを守ってくれて、
有り難う・・・・本当に、有り難う。
そう言うと、シャルティエはほんのちょっぴり、微笑んだような気がした。

・・・坊っちゃんを、頼むね・・・・

其れが、本当の、彼の遺言だった。
そして、あたし達はダイクロフトから脱出した。



ダイクロフトの爆発のあおりでぼろぼろになった飛行竜で地上に帰ると、あたし達は王
様への報告より先に、リオンを病院へ担ぎ込んだ。
リオンは直ぐさま集中治療室に運ばれ、面会謝絶となった。

その後、あたしは喉の中の傷を縫い合わせる為、二週間の入院。他の連中はましな方で、
ほんの数日の入院で済んだ。骨折とかの大怪我は、アトワイトの晶術で治していたから、
実際に治療しなければならなかったのは無数の切り傷と打撲だけで。
スタンに於いては病院で子供達と鬼ごっこが出来る程元気だったし(勿論子供達と一緒に
看護婦さんに怒られていたが)、フィリアは神殿の片付けのために、さっさと神殿に帰っ
た。どうしたことか彼女は一番の軽傷だったし。

そしてある日。
喉の傷の診察を終えて診察室を出ると、差し向かいの談話室にウッドロウが居た。
「やあ」
片手をあげ、隣の席を勧めてきた。すとん、と其の席に着く。
「主治医の医師から聞いたよ。もう叫びでもしない限りは平気だそうだね」
「・・・ええ。でも、未だこの通り、がらがらなの」
あたしの声は酷く掠れていて、かなり聞き取りづらい物だった。
其れでも、ウッドロウはしっかりとあたしの声を聞き取ろうとしてくれた。
「リオン君は、どうだい?」
「全然・・・目を覚ます気配が無いの。一応、お医者さんに言われた様に足とか腕とか、
マッサージしてあげたりはしてるの。・・・でも・・・」

ウッドロウは答えを急かさず、黙ってあたしが続きを話すのを待っていた。

「でも、最近思うの。このまま・・ずっと、眠ったままなんじゃないか、って・・・!」
誰にも言えなかった、弱音。
ほんとはこんなの、誰にも言いたくない。こんなに弱いあたしは、嫌い。
膝の上で、きつくスカートを握りしめる。怖い。手が震えている。
リオンがどうにか成ったら、あたし、どうしたらいいの?
リオンまで居なくなったら、あたし、ほんとに独りぼっちなのよ?

ぽんとひとつ、頭を優しく叩かれた。
「・・・君が信じなくて、誰が信じるんだい?」
ウッドロウは只、あたしの頭を撫でてくれていた。大きな手。

涙を堪えて、一つ頷くと、ウッドロウはポケットから飴玉を幾つか取り出した。
「・・・あ・・『ふわふわ雪玉キャンディー』・・・?」
「おや、知っているのかい?」
「うん。ずっと前に、孤児院のみんなに、お土産で買ったことがあるの」
飴玉をあたしの手に乗せて、ウッドロウは立ち上がった。
「私はこれからハイデルベルグに帰るつもりだ。・・リオン君に、よろしくな」
「うん・・・マリーに会ったら、元気だって、言っておいて」
「ああ。わかった」
ウッドロウを見送り、リオンの病室に向かう。
途中、渡された飴玉をひとつ、口に放り込む。
「・・・甘い・・・・」
飴玉は、とびきり甘くて、美味しかった。


自宅に移り、あたしが看護を始めて一週間。
リオンが昏睡状態になってからひと月が経った。
いつものようにタオルで体を拭いてやる。
引き締まっていた腹筋は見る影もなく、あばらが浮き出ている。
「痩せぎす」そんな単語がしっくりくるほど、リオンはやせ細っていた。

・・・このまま、眠ったままなの?眠ったまま、逝ってしまうの?

いつか、ウッドロウに言われた言葉が頭をよぎる。

あたしが信じないで、誰が信じるの?あたし以外の誰が、リオンを待つの?

マリアンは現在、アルメイダの村長の家でメイドをしていると、手紙が来た。
そして・・リオンの回復については、諦めているようだった・・。

あたしは未だ、諦めたくない。
だって、未だひと月しか経っていないのよ?
怖くないと言ったら、嘘になる。何時か、あたしが目を覚ました時、リオンの呼吸が止ま
っていたら・・・そう思うと、眠ることすら堪らなく怖い。

空はもうまっくらで、綺麗な月が見えていた。
部屋の明かりは蝋燭と月光のみ。その光が、彼のやせこけた頬を強調する。

「リオン・・・」
ねえ、あたしにはあんただけなの。
何時だってあたしはあんたの側に居るから。お願いよ。あたしから離れないで。
「目を覚ましてよ・・・・リオン!!」

・・・ぴくり。

「・・・・・・?!」
今、微かに・・・でも、確かに。リオンの指が動いた。
「リオン?」
手のひらを重ねる。あたし、此処にいるよ?ねえ、リオン。起きて。
お願いよ。目を覚まして。
唇を重ねる。
お姫様なんてガラじゃないけれど、これで王子様が起きるなら、何度だってキスをあげる。
ねえ。起きて。
唇を離す。・・・・これでも未だ、起きないつもり?
でも、あたしの期待は嬉しい形で裏切られた。

「やっぱり・・・お前だったんだな・・・ルーティ」
目を開けば、紫の瞳。切れ長の目が、あたしを見ている。そして、掠れてはいるけれど、
しっかりとした、懐かしい声。
「リオン・・・っ」
涙が、零れた。今まで堪えていた想いが、堰を切って溢れ出す。
堪らず、リオンの体に縋り付いて泣いた。
「何、泣いてる・・・」
未だ喉が痛かったけれど、泣いた。嬉しくて、泣いた。
ほんとに怖かった。リオンが死んでしまうんじゃないかって、凄く怖かった。
だから、あんたが起きて、凄く嬉しかったの。

あたし自身がこんなにリオンを必要としてるなんて思わなかった。



リオンが目を覚まして、ひと月。
最初の一、二週間はベッドの上に起き上がることもままならなかった彼は、もうすっかり
元気を取り戻し、あたしが起きるより早くから剣の稽古を始めている。

無茶はしないでって、何度も言ったのだけれど、どうやらあのクソガキは聞く耳を持たな
いらしい。最近ではあたしも諦めて、リオンが庭で素振りだの腕立て伏せだのをしている
のを見ながら朝食の用意をしていたりする。
スープも温まり、パンも焼けた。そろそろうちの弟を呼んでこよう。

気配を消し、バルコニーから出て、足音をたてないようにして背後に忍び寄る。昔取った
何とやら、あたしは気配と足音を消すのが巧いと、我ながら思う。今まで何度かこうして
近付いたけど、リオンに気付かれたことは今のところ一度もない。
そうっと・・・そうっと。

ばさあっ!!

「わあっ!?」
「あはははははは!!」
いきなり頭からタオルを被せられて流石に驚いたらしい。
リオンはタオルをむしり取ると振り返って怒鳴った。

「いい加減に気配を消して近づくのは止めろ!!」
「あんたこそ修行が足りないのよ。ご飯出来たからさっさと着替えてらっしゃい」

なおもぶつぶつ言っているリオンをほったらかして台所に戻ろうと踵を返す。
と。

ばふっ。

「ひゃあっ?!・・・うわ、汗くさっ!!!」
何かと思って引っ張ってみれば、リオンのシャツ。しかも汗まみれ。
・・・・んのクソガキ!!
ぶん殴ってやろうかと振り返ると、リオンは上半身裸で井戸の水を頭からかぶっていた。
あれだけ痩せ衰えていた身体には、しっかりとした筋肉が戻ってきている。
「・・・ふう」
涼しい顔をして体をタオルで拭いているリオン。
「ふう、じゃないわよこの愚弟。洗濯物は自分で籠に入れなさい!!」
何やらすっごく腹が立ったあたしは、そのシャツをリオンに突き返す。
・・・どうせ洗うのはあたしだけど。

「誰が愚弟だ」
「あんたよ、あ・ん・た!」
ちょっと、何する気?リオンはあたしの体をタオルで引き寄せた。
至近距離にある切れ長の目が細められる。
「相変わらず減らん口だ」
「あんたもそうでしょ・・・っ・・・」
幾らか予想していた通り、リオンの唇で口を塞がれてしまった。
「ん・・・」
朝からするにはちょっとハードなんじゃない?と思うようなキス。
リオンの裸の胸に手を当てる。とくん、とくんと確かに脈打つ鼓動。
ああ、生きてるんだ。
其れがとっても嬉しくて、サービスしてあげたくなる。
何のサービスだ、って言うツッコミは無しね。

片方の手をリオンの細い首に回し、引き寄せる。
リオンの唇も、絡んでくる舌先も、全てを感じたい。
「ん・・・ルーティ・・・」
随分長いことくちづけ合って、やっと唇を離すと、茹でダコのように真っ赤なリオンが立
ちつくしていた。
やることやっといて、今更何照れてんだか。
「何処で覚えたんだ・・・あんなの・・」
「ヒューゴのおじさま」
「・・・・嘘つけ」
あ、動揺してる、動揺してる。嘘だってば。
「当たり前でしょ。あたしのストライクゾーンはプラスマイナス二歳まで。五十に手が届
く中年なんかまっぴらよ」
するりとリオンの腕から抜け出し、バルコニーへ向かうあたしの背中に、リオンの声が飛
んできた。
「じゃあ、僕はぎりぎり範囲内か?」
振り返ると、あどけなく笑う少年。
・・・うん、やっぱり笑ってる方が良い。

「そうね、あんたはストライクゾーンど真ん中だけど」
とびっきりの笑顔をあげるわ、王子様。

「・・・・大好き」





END