せつなさと憧憬〔3〕
                  東藤和稀さま



<9>

 かつて聞いた声に、リオンは辺りを見回した。
 聞き覚えがある。
 しかも何故か暖かみを感じる。
 それが誰であったのか、リオンは思い出すことが出来なかった。
 それがひどく哀しい。
 普段ならば、声の主を捜し求めなどしない。
 用があるなら向こうから来る。
 リオンから話しかけなくても良いのだ。
 例外があるとすれば、それは・・・・・。

『坊ちゃん!』
 シャルティエの声でリオンは意識が戻ってきた。
 五感もはっきりしている。ただ、体が何故か動かない。
(何だ・・・・・・シャルの声だったのか)
 自分で理由を付けたが納得はいっていなかった。
 もの凄く、『愛しい』声だった気がしたのに。
 シャルティエが再び言葉をかけてくる直前、
 リオンは自分が動けないでいた理由が分かった。
 血の気が失せて白い顔というものをリオンは始めて見た。
 自分が青ざめていることに気づく余裕などない。
「ルー・・・・・!」
 叫びかけた自分に驚いた。
 自分は何を言おうとしたのか。
 ほんの一瞬の間が、リオンの心に揺さぶりを掛ける。
 
『坊ちゃん!』
 シャルティエの声がした。
 
<10>

「キヨミズの花はどこに咲くんだ?」
 アナリスは面食らったようにスタンを見返した。
 スタンの質問はいつも通りにのんびりとしている。
 のんびりしているわけではないことは、急ぎ足であることからは分かっていた。

「後にしろ、スタン」
 マリーの言葉にスタンは口を閉じた。
 これがルーティ相手であれば何か言い返しただろうが、マリー相手に喧嘩をする気はスタンにはなかった。
 マリーの剣技に一目置いているためもある。
 だが一番の理由は、彼女が年上であるからであろう。
 幼くして母を亡くしているためか、年上の女性をむげに扱いたくない気持ちがある。
 だがそれは憧れとか、そういうものとは違うのだ。何か構えるものがあった。
 それを何と呼ぶのか、スタンは考えたことがなかった。

「キヨミズの、花は・・・・・・」
 急ぎ足なのでアナリスの呼吸には余裕がないように見えた。
 それでも言葉をつないで答える。
「美しい、水辺に・・・咲く、の」
 アナリスはうっとりとした顔をして言った。
 キヨミズの花を思い出しているのか、そんなに綺麗な花なのか。
 スタンはキヨミズの花を見るのが楽しみになってきた。
(ルーティが見られなかったら、摘んで見せてやろうかな?)
 別行動している二人は、今頃は巨大蜂に遭っている可能性がある。
(書き置きしてくれば合流できたけど・・・・・・・)
 そのような余裕はなかったのだ。
 目的地の情報も無しにこちらに向かうことは出来ないだろう。
「マリーさん、あの二人・・・・・・」
 スタンは口を開いた。

「あの二人は強い」
 スタンの考えていることが分かったとも思えなかったが、マリーが呟いた。
「・・・・・・大丈夫だと思いたい」
 マリーの言葉には何故か不安が混じっている。
(ルーティのヤツ、大丈夫かな)
 心で愚痴た事に、何故ルーティのことを思い出したのか。
 スタンは深く考えなかった。

<11>

 状況を思い出す。
 ここはどこだった?今、何をしていた?
「酸欠・・・そうか」
 知識ならあった。
 自慢する気はないがセインガルドでも学者になれそうなくらいには学んでいる。
 だがそれでは足りないのだ。

「シャル」
 ルーティの身体を支え、シャルティエに話しかけた。
 柄に触れ、力をこめると共に意志を伝える。
「・・・・・・出来るな?」
 返事はない。もう集中に入っている。
『ルーティ、ルーティ!』
 アトワイトの声はひどく頼りなかった。

 僕は土の属性を持つ・・・・・・
 いつか聞いた言葉だった。
 聞いたときに思ったことは他の属性を持つものがなぜここにないのかということだった。
 火の方が攻撃にはいいように思うし、
 風ならばレベルさえ折り合えば空だって飛べそうなのに。
 そして今は土であることを感謝する。
 シャルティエの輝きが頼りだった。

 きゅううううううううううううううううううううううう・・・・

 何かが凝縮される。

「固まれ、石のごとく」
 言葉は光となって広がる。キシキシと音を立て、それは周囲を囲んだ。
『あ・・・』 
 アトワイトが声を上げた。
 周りを囲んでいた壁の土表面が、まるで何かに塗り替えられたかのように変化する。
 深い黒っぽさが抜け、乾いた色になる。
 それでいてざらりとした色・・・
 なぜこれがギシギシと音を立てるのか。

「固まれ、石のごとく」
 リオンの言葉は力と転化した。
 壁はもう、土の露面ではなかった。
 石のようで、違う。堅く無感動な土の塊だった。
『どういうこと?』
 的を得ないようなアトワイトの声に、イライラと答えたのはシャルティエだ。
 リオンは無言のままルーティの顔を確認する。
『坊ちゃんは酸素をこれ以上取られないようにしたんだよ!』
 
 外気に触れた土は酸素を吸収する。
 ならば外気に触れた面を隠してしまえばいい・・・
 簡単に言うが、シャルティエの力がなければ無理な芸当だった。
 しかもこれだけでは解決にはなっていない。
 ここは依然、穴の底だ。

 リオンは無言のまま、アトワイトを掴んだ。
『な、なんなの!?』
 ルーティがしっかりと留めている鞘に収まったアトワイトは、
 乱暴なリオンの行動に驚いた。
「暴れるな」
 リオンはいらいらしながらアトワイトを抜く。
 美しい刀身が姿を見せた。
 幾人もの人、何匹ものモンスターを斬りながら、曇りを見せない刀身・・・
 シャルティエとはまた違った輝きだった。
 これが水の属性を持つソーディアンの輝きかと、リオンは一瞬だけ眼を細めた。
「アトワイト、水の気配を探れ」
 命じられたセリフに、アトワイトは絶句する。

 そのまま流れ込んでくる力。
 アトワイトは主人以外の者の支配を受けた。

<12>

 水の香りをスタンは知っている。
 田舎に育った強みというのか、スタンの村には美しい川が流れていたから。
 すがすがしい、清められる気配。
 無色透明で、捕らえようのない姿。
 目の前を抜けるような、喉を通っていくような、そんな香りがする。
 味は、何もないようで、でも、ないわけではないのだ。
 旨い水とまずい水がある。旨い香りとそうでない香りもあった。

「・・・水?」
 そう言ってマリーが呟いたのを聞き、スタンは首を傾げた。
 音もしない、・・・匂いもしない。
「水?本当ですか?」
 スタンが聞く。
 マリーは渋い顔をして、曖昧に首を振った。
 横に。
 水と言ったのは気のせいだったのかとスタンは疑問の表情を見せた。

 マリーが「みず」と呟いたのは確かだった。
 ただ、水を見つけて呟いたのではない。
「キヨミズ・・・」
 何かが引っかかる。
 記憶がないためなのか、何が引っかかるのか、マリーには分からない。
 もどかしい。
 いつもは気にならない記憶喪失だが、たまにこんな思いを彼女にさせた。

 キヨミズと聞いたことはなかった・・・多分。
 マリーは愛用の剣を握りしめる。
 この剣は記憶があった頃のマリーのことを知っている。
 だが、その時のことをマリーに教えてくれるわけではなかった。

「この先にキヨミズの花が・・・」 
 アナリスは小さな動きで指さした。
 スタンは顔を上げる。
 深い森に隠れているのか、スタンの位置からは花は見えない。
「清流があるのよ」
 アナリスは言った。
 スタンは首を傾げる。
 水の匂いも音もないのに。そんなに静かなところなのだろうか。

 アナリスの指さす先をマリーは見つめた。
 ここからは道を行くことは出来ないようだ。緑が絡まりあって壁のようだった。
 かき分ければあっさり開いてしまいそうな壁だ。アナリスがそこを開こうとする。
「やろう」
 マリーはアナリスをどかし、愛用の剣を抜く。
「切り分ける方が良さそうだが」
 アナリスは夢中で首を振った。
「だめ!切ったらいつか蜂が来てしまう」

 マリーは無言で首を縦に動かす。
 だが、この絡まり方ではそうあっさりと道は開かないだろう。
 剣を鞘に戻し、邪魔にならないよう自分に近づける。
「手伝います」
 スタンもならってそうした。
 ディムロスは片手に持つには少々大きい。両手を開けるため鞘に戻す。
「この奥なんだな?」
 アナリスは頷いた。
 スタンはアナリスの真剣な瞳に嘘を感じなかった。
 不安げにスタンを見上げる様子に、安心させるよう微笑んで見せた。
 楽観的にはなれないのか、ぎこちなくだがアナリスは笑い返した。
 それを見て、スタンは言葉にならない達成感を感じた。

 甘い香りが漂ってくる。
「見えたぞ」
 マリーが呟いた。
 アナリスから向き直ったスタンが最初に見たものは、白い、霧のようなものだった。
「キヨミズ・・・!!」
 アナリスの声は歓喜であった。




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