デカチビ10題(乱菊→日番谷)

1.見下ろす視線


 その子供が”強い”ということには、すぐに気づいた。
 




 西流魂街第一地区「潤林安」。
 死神たちが住まう瀞霊廷とは門で隔絶されているが、一番近いため一日に往復もできる場所。
 死神の中には家族が流魂街にいる者もいて、たまの休日に家族のところへ行くこともある。


 その日、潤林安の入り口には数人の死神が訪れていた。
 一行の中核は金色の髪をした女性。名を松本乱菊という。
 四大瀞霊門を抜けたところで、死神の一人が訝しげに乱菊へ尋ねた。


「どこも変わったところはないようですが……」

「そうね…。でも隠密機動の報告だし、まったくのデマってことはないと思うわ」

「瀞霊廷への侵入を目論む輩でしょうか」

「わからないわね」

 乱菊は首を振り、話を切った。

「二手に分かれて東西から探索を。異常に気づいてもすぐには手を出さないで。
 目標を見つけたら、監視を続けながら報告を寄越してちょうだい。
 何もなくても一時間後に一度戻ってくるように」


「はっ!」

 規律正しく返事をすると、隊士たちは散開した。
 門にはただ一人、乱菊だけが残る。


(正直なところ、あたしにも信じがたいわね。
 不定期に確認される高濃度の霊圧……。
 いまのところ実被害は出ていないし、隠密機動の調査によっても霊圧の発信源が確認できてない)


 十番隊が調査に出向いたのは隠密機動による報告のためだった。
 潤林安は瀞霊壁のすぐ外側に位置し、瀞霊廷への影響が否定できない。
 瀞霊廷への害意を目論む存在であれば、未然に防ぐ。それもまた死神の仕事だった。


 流魂街で起こる事件に護廷十三隊が自ら足を運ぶことは多くない。
 虚に類する存在が想定される場合に限る上、流魂街でも中央に近い地区にしか出向かないのが普通だ。
 数の大きな地区では毎日のように住人たちによる盗難や殺し合いが起きているが、死神は干渉しない。
 それは死神の仕事ではない、と区別されている。


(まあ、常駐の死神なんていられても、流魂街は歓迎しないでしょうけど)

 流魂街の出身である乱菊自身もそう考える。
 ただでさえも数の大きな地区には食料がない。そこへ、常時食料が必要な者が来ても邪魔なだけだ。


 険しくしていた表情を解くと、にんまりと乱菊は笑みを浮かべた。

「さてとっ!みんなが戻ってくるまで一時間はあるわねっ」

 派遣任務はこれだから楽しい。

「お茶してこーよぉっと」
 
 集合場所へすぐに戻れる距離に、甘味屋があるのをチェックしておいたのだ。



 


 『甘味』と書かれた旗がはためいている。
 小屋の外側にはそれ以上メニューがない。暖簾をくぐり、中に入れということだ。


 鼻歌でも歌うような気持ちで店内に入ろうとした乱菊は、カウンターに立つ子供に目を止めた。
 尸魂界には珍しい、銀色の髪をした子供。
 見慣れた後姿とは違ったが、既視感を覚える姿からは奇妙な気配が漏れていた。
 冷涼な、氷のような霊気だ。


(へぇ、珍し。霊力持ちね)

 流魂街には稀に、霊力を持つ者が存在する。
 その多くは飢えに苦しみ、人知れず死していくが、中には乱菊自身のように死神を志す者もいる。
 生まれながらの貴族ならばともかく、尸魂界では死神になる以外、霊力を持つ者が生きていく術がない。


(ああ、でも潤林安なら、平気なんでしょうね。ここは、食べ物も多いもの)

 どこか安心するように、乱菊はその子供の背を見やった。
 
 子供は甘味を買いにきたらしく、つり銭を待って手を出した。
 差し出されたその手を無視するように、カウンターにつり銭を置いて店員はそっぽを向く。
 一瞬押し黙った子供が、何も言わずつり銭を手にするのを見て、乱菊は思わず声を上げていた。


「ちょっと!客に対してそのつり銭の返し方はないんじゃないの!!」

 カウンターに詰め寄った乱菊の胸に弾かれて、振り向きかけた子供がよろめく。
 そのまま思い切りカウンターに首を打ちつけたが、乱菊は気づかなかった。
 
「相手が子供だからって軽く見てるの!?この店がそんな礼儀知らずだとは思わなかったわ!」


 死神に怒りをぶつけられて、店員は弱りきった顔をした。

 腰に手をやり、見下ろすように店員をにらみつける。
 女性としては背の高い乱菊ににらまれると、たいがいの男はひるむ。
 子供相手だから愛想がないわけではないだろうと乱菊には分かっていた。
 店員は霊力持ちである子供に触れるのがイヤだったのだ。
 誰だって、爆発するかもしれない火薬庫に近寄りたくなどない。


 良い気分を害されて乱菊は腹を立てていた。
 流魂街は広い。乱菊が経験した荒れた地区だけではなく、中には穏やかに生活のできる地区もある。
 第一地区である潤林安は流魂街の中で一番治安がいい。
 そこで気分を害したことへの、多少見当はずれの八つ当たりだ。


 乱菊の怒りは続いて子供に向かった。
 自分が介入してきても子供はなんにも反応を見せない。
 正確には首を押さえて床に屈みこんでいたのだが、乱菊にはそれが泣いているように見えた。


 子供の襟首を掴み上げ、自分の目の高さまで上げるとどなりつけた。
 子供の目端には涙が浮かんでいる。
 乱菊は無性に腹が立った。


「あんたもいつまで泣いてんの!男だったらガツンと言ってやんなさいよ!」

「誰のせいだよ!?つーか泣いてねえよっ!放せ!!」

 首を両手で押さえたまま子供はわめいた。
 死神である乱菊がにらみ、どなりつけても、ひるむどころか言い返してくる。


 碧緑の瞳の奥で、霊力が一瞬跳ね上がった。 

(っ!)

 この子、”強い”。

 乱菊の目が見開かれるのと同時に、子供は乱菊の手を振り切って逃げ出した。
 思わず声をかけたが、子供は振り返らず一目散に駆けていく。
 店の出入り口まで追いかけたが子供の姿はもう見えなかった。



 


 きっちり一時間後、散開した隊士たちは戻ってきた。
 待ち合わせ地点に待つ乱菊の険しい表情を見て、隊士たちは互いに顔を見合わせる。


「松本副隊長。どうされましたか」

「え。ああ…、悪いわね。どうだった?」

「はっ。二手に分かれ、潤林安を一通り回ってみましたが、別段異常は感じられませんでした」

「二番地区にほど近い場所に志波家邸宅が移動しておりましたので、そのあたりは確認しておりません」

「ああ、それはいいわ。志波家の付近で異常があれば、十三番隊に連絡があるでしょう……」

 言いかけながら、乱菊は表情を険しくする。

「…そうよね。郊外とはいえ、潤林安には志波家がある。”敵”が潜伏するには危険すぎるわ」

 志波家は五大貴族の一つだ。
 今は落ちぶれて貴族位にはないが、実力の程は健在であり、現当主の海燕は十三番隊の副隊長、その妻都は三席である。


「あなたは念のため、このまま潤林安に待機。異常があったら地獄蝶で伝令を。
 残りは隊に戻って通常任務に戻ってちょうだい」


「副隊長はいかがされますか」

「ちょっと気になることがあるのよ。二番隊に行ってくるわ」

「隠密機動に?」

「ええ」
 


 


 夜の帳が下りたころ、乱菊は再び潤林安に降り立った。

(やっぱり)

 ひゅうひゅうと夜風に混じり、冷涼な気配が漂ってくる。
 木枯らしのような冷たい風だ。
 待機させていた部下と合流すると、乱菊はその場で待つように指示を出した。
 
(あの子、まずいわ)


 頭を支配するのは潤林安で出会った子供のことだった。
 目が合った瞬間に分かった。あの銀髪の子供は、乱菊よりも強い潜在能力を秘めている。
 そしてそのことに、まだ気づいていないのだ。


 頭をよぎるのは同じような銀色の髪を持った幼馴染である。
 狐目で、今は三の字を背負う青年が、まだ子供の頃。
 やはりああして霊力を持て余していた。


 できるかぎり足を急がせて甘味屋までやってきた乱菊は、自分の勘のよさに感心し、また呆れた。

「なに、これ……」

 潤林安の一角が凍りついている。
 あふれ出る冷気により空気が凍りつき、霜が降りていた。
 今は春だ。雪が降るには早すぎるし、遅すぎた。


 出所はさぐるまでもない、一軒の小屋からだった。
 乱菊は自分の身の回りに防御結界を張り、中に踏み込んだ。


 子供が寝ている。
 眠りのせいで無防備なのだろう、霊気が冷気となって周囲に漏れ出しているのだ。
 あまりいい夢ではないらしく眉間にしわが寄っていた。
 隣で眠る老婆がガタガタと震えているのが見えた。
 おそらく彼女もまた霊力持ちだった。そうでなければ、今日までもったかどうかもあやしい。


「これほどだなんて」

 ため息をつき、乱菊は子供を見下ろした。
 まだ幼い少年だ。乱菊が幼馴染に出会ったときよりもさらに若い。


 一段と、冷気が増した。
 近寄ってきた乱菊を侵入者と認めたのだろう。
 これ以上引き伸ばせば、乱菊自身が剣を抜かなくてはならなくなる。


(悪いわね、手荒にいくわよ)

 子供をのぞきこんだまま、乱菊は霊力を放出させた。



 

「っ!」

 子供がはっと目を開けた。
 汗の浮かんだ顔に驚きの色が浮かぶ。


「よっ!」 

 にっこり挨拶を向けながら乱菊は内心で息を吐いていた。
 これ以上手荒な真似をすれば加減ができないところだったのだ。無駄に子供を殺すことはしたくない。


「てめえっ、昼間の…」
 
 乱菊の姿を認めた子供はあわてて起き上がろうとした。
 死神に会うのはあまり経験がないのだろう。昼間に一度会ったきりの乱菊を覚えていたらしい。


「霊圧、閉じて寝なさいよ」
     
 できるかぎり優しく言葉をかけながら、乱菊は目を細めた。
 この子は、子供だ。
 今から自分はなんと残酷なことを言わなくてはならないのだろうと思った。


「お婆ちゃん 寒そうだよ」

 子供は乱菊の言葉に弾かれるように老婆を見やった。
 その目が愕然と見開かれる。


「…ば…」

 寒さに凍え、凍死寸前のところで震えながら静かに横になる老婆の姿。
 子供はショックを受けていた。一見して、生きているかどうかも分からない姿だ。無理もない。


 ゆっくりと身を起こしながら、乱菊は少年を見下ろした。
 できるだけ冷たくそっけなく告げる。


「…ぼうや。あんた死神になりなさい」

「!な…」

「あんたみたいに強い子は力の扱いを知らなきゃいけない」

 この子は、子供だ。
 その事実が乱菊の声を冷たく響かせる。
 だが乱菊はそのまま続けた。


「教えとくわ。このままじゃあんたじきに自分の力でお婆ちゃんを殺すことになる」

「何言っ…」

 そうだ。分からないだろう。
 まだ、きっと自覚などしていないだろう。
 望むと望むまいと、この子供の力は迷いを許してはくれない。
 容赦なく残酷な事実に押しつぶされる前に、自分は告げなくてはならない。
 
 乱菊は身を屈めた。
 しゃがみこみ、子供と目線を合わせて、子供の胸に指先を当てる。
 とん、と小さな音がした。


「声が聞こえるでしょ?」

 胸の中で。あるいは頭の中に。
 乱菊の言葉に心当たりがあるのだろう。子供は目を見開いた。


「その声の在り処を見つけることが、力の扱いを知るってこと。
 それが「死神になる」ってことなの」


 かつて灰猫が乱菊にそうしたように。死神の力は死神自身の中に響く。
 斬魄刀の形状をとるよりもずっと前から、死神自身に語りかけてくる。
 それを自覚すればよし、だが自覚せずにいると死神となる前に力に食いつぶされる。
 虚と化し、大事なものを自分で滅ぼし、そして死神に倒される。
 現世の因果を絶ち、穏やかな世界にやってきても。霊力という形状をとって魂を離してはくれない。


「…もう一度だけ言うわ。ぼうや」





 老婆の凍傷を鬼道で治癒し、小屋を後にした乱菊は待機していた部下と合流した。
 乱菊の様子を不審に思い、すぐ近くまでついてきていたらしい。


「あんな子供が、高濃度の霊圧の正体ですか?」

 信じがたいといった声音で部下が尋ねる。

「感情によって出力が変わるから隠密機動も察知できなかったんでしょう。
 詳細を聞いてみたらデータにあったわ。
 『虚である場合、氷結系の能力である可能性がある』って記述だったけど」


「副隊長はそれを確認しに?」

「念のためよ。外れたらイヤでしょ。
 …寝ている間は無防備になるのね。まだ霊力をコントロールする術を知らないの」


「驚きです。あのような子供が……」

「死神の能力に年齢は関係ない。だけど、力と心がアンバランスだと、不幸よね……」

「副隊長?」

 問う部下の言葉には答えずに、乱菊は潤林安を後にした。


  

 
 乱菊が死神へと導いたのは、この子供一人きりだ。


 死神が気楽な仕事ではないと知っているから、他人に死神を勧めたりはしない。
 どうしてこんなお節介をする気になったのか、乱菊は今でもよくわからない。


 幼馴染を思わせる銀色の髪がさせたのか。
 自分の力に無自覚で、家族を殺そうとしている身の上に同情したのか。
 あるいは碧緑の目のせいだったかもしれない。


 冷めた目だった。
 自分に希望を持つことを放棄して、愛されることを諦めた目だった。
 大事なものを手放すことに慣れて、一人になってしまえる目だった。


(やめてよ。そんな目をしないでよ。あんたはまだ、何も失っていないじゃない)

 自分のようにならないで欲しかった。
 愛されて、幸せになって欲しかったのだ。


 だが無限の地獄に落としたのかもしれないと、後悔することもある。





(ごめんなさい、隊長)

 その子供は数年後、松本乱菊の上官となって戻ってきた。



10/02/17