1.かわいそうな子供と運命の女
俺が松本乱菊を知ったのは、流魂街にいた頃だった。 霊圧を閉じる方法も知らず、己の霊力が他人より強いことにも気づかなかった頃だ。 知らぬ間に増大していた霊力によって、無意識のうちに祖母を殺しかけるところを救われた。 恩人といってもいいくらいだが、恩を感じるのは止めておこうと思っている。 「あんた死神になりなさい。 あんたみたいに強い子は、力の扱いを知らなきゃいけない」
険しい顔で視線を合わせ、死神は俺に選択肢を与えなかった。 死神になるより他に、俺に何が出来ただろう。 祖母を、家族を殺さないために、己の持て余した力を制御する方法を知るためには一つしかなかった。
祖母と雛森しか触れようとしない俺の胸に触れて、死神は言う。
「声が聞こえるでしょ?」
誰にも言うことのできなかった俺の悩みを言い当てて、かわいそうな子供を見つめる目で。
「…もう一度だけ言うわ ぼうや」
その言葉にうなずいたことに、後悔をしたことは一度もない。
俺は、誰かにそう言ってもらいたかった。
※※※
春。うららかな陽気に桜の花びらが舞い散る中、新隊士を迎えた護廷隊は落ち着かないでいた。 護廷隊への入隊はこの時期でなくても可能だが、霊術院の一年が春に始まり春に終わるため、自然と新入隊士はこの時期に多い。
俺が隊長になってから丸一年が過ぎていた。
「……で。この山について何か弁明はあるか?松本」
「え、えーとぉ。ちょーっと寝こけちゃったかなって」
「ちょっとか、これが!」
執務室の机にうずたかく積まれた書類を指差し、俺が怒鳴る。 あははぁ、とのん気に笑いながら、松本は俺の肩をぽんぽん叩いた。 臨時の隊首会が長引き、戻ってきたらこのありさま。 出て行った時から書類の山が減るどころか、倍くらいに増えてんじゃねえだろうか。
「そう怒んないでくださいよー。 大丈夫ですって、こっから半分は締め切りが今週末ですし。 今日中に三分の一も片付ければ終わるじゃないですか」
「勤務時間まで後10分だということについては、何かあるか」
「いやぁ、春のお昼寝って、つい寝過ごしちゃいますよねえ」
「ふざけんな」
「まぁまぁ、ほら。隊長は今日は隊首の集まりで飲み会でしょ? 行ってくださいよ。後はあたしがやりますからー」
「始めっから、おまえの処理分だぞ」
「あはははは」
「笑ってごまかすな。ったく……」
俺はため息をついて、山を五分の一ほど隊首席へと運んだ。 (曰く「半分は締め切りが今週末」らしいのでそっちは手伝ってはやらん。)
「隊長?」
「さっさと席につけ。おまえも副隊長連中で集まるんだって浮かれてただろうが」
じろりとにらんでやると、松本は感極まったように俺に抱きつき、思い切り力をこめた。
「隊長、大好きーっ」
「んな時ばかり調子よく言うな。ほら、やるぞ」
「はぁーい!」
浮かれた足取りで副官席に戻ると、松本は驚くべき集中力で書類を片付け始める。 やりゃあ、できる女なのだ。後回しにするから溜まるだけで。 少しずつやれば溜まらないのに、どうしてこうムラがあるのかはよくわからん。 俺は地獄蝶を飛ばし、隊首の集まりに少しばかり遅れると伝えた。
松本乱菊は俺の副官だ。 十番隊隊長に就任が決まった俺が、最初にしたことが副隊長の任命だった。 副隊長は、任官が決まってから一月後の任命式で正式採用になるが(前任者がいる場合、その間に引継ぎなどを行うのが普通だ)十番隊の場合は少し事情が違う。
松本乱菊はもともと十番隊の副隊長であり、隊長代行だった。 前任の十番隊隊長、副隊長の両名が揃って死亡したことで、三席で副官補佐だった松本が副隊長となり、隊長代行を兼ねることになった。 おそろしく多忙だったはずだ。 だが、この女は普段と変わらぬ調子でさらりとこなし、副隊長同士の交友関係も良好に築いた。 他隊にいた俺は、どんな優秀な女なんだと驚嘆したほどだった。
隊長になってみて秘密が分かったが、この女は人を使うのがうまいのである。 不本意ながら、俺もその一員であるらしい。 相手の性格を見抜き、うまいこと仕事を押し付けて、自分の処理できる範疇で仕事をこなすのだ。 松本乱菊が隊長代行を務める間に、三席と四席、ならびに五席は副官補佐が務められるほどに成長した。 どれだけ仕事を押し付けられたのかは知らないが、それで恨みを買わないところが凄い。
「どうしました、あたしの顔になんかついてます?」
小首をかしげ、ポリポリと煎餅をかじりつつ松本が尋ねる。
「ホクロ。口元にあるせいか、目につくよな」
「あー、いっけないんですよー、隊長ー? いくらあたしのホクロがチャームポイントで色っぽくて魅力的でも、その言い方はセクハラですよ? あ、そういえば知ってます?現世ではホクロって良性腫瘍の一種って説があるんですって」 「手を止めるな」
「ちぇっ。隊長が根つめすぎなんですよ。明日は十番隊みんなでピクニックでもして息抜きを…」
「明日は下士官の鍛錬を見て回る日だろうが。 どうせなら対戦式にして盛り上げましょうと意気込んでいたのは誰だ?」
「あっ、そっか。じゃああさって…」
「明後日で今週が終わりだ。今週末までの書類が山になってんじゃなかったか?」
「よく覚えてますねー」
「さっきの今で忘れるかっ!」
「まあまあ、そう眉間にシワを寄せるとせっかくの美少年が台無しですって」
「美……っておまえな…」
「よっしっ!おーわったー♪」
確認終えた書類に署名を行い、済みの束に書類を写す。 上機嫌で鼻歌を歌いながら、松本は席から立ち上がった。
「ありがとうございます、隊長。 もう平気ですから、隊長も隊首の集まりの方へ行かれてくださいな。 これ以上引き止めてしまったら、あたしが浮竹隊長に怒られちゃいます」
にっこりと微笑んで、松本は地獄蝶を呼んだ。
「うちの隊長がこれから行きますーって、伝えておきますね?」
「…ああ、頼んだ」
決済済みの束に最後の一枚を乗せて、俺も立ち上がる。 机に向かいっぱなしだったせいか、肩がごきごき言っていて、我ながら情けないもんだ。 まだ若けぇのに。
「あ、隊長ー!あたし呑みで遅くなりますから、先に休んでてくださいねー!」
浮かれた副官の声を背に受けながら、片付けと部屋の戸締りを任せて俺は執務室を出た。
瀞霊廷には貴族や死神のための街が存在する。 仕入れている品は流魂街や現世のものであったり、瀞霊廷内で作られたものであったり様々だが、治安もよく物資も充実していて、生活に不便を感じることは少しもない。 その繁華街の一角に、総隊長がよく宴会に使う料亭がある。 隊首の飲み会はたいがいここで行われる。
隊首ばかりが集まる隊首の飲み会は、実のところ得手ではない。 俺自身が年若いせいか量が飲めないせいもあるし、クセの強い隊首ばかりで楽しくないせいもある。 副隊長連中が仲良くやってるのに比べると、どうしても年寄りの多い隊首の集まりは会話も地味だし盛り上がりに欠けるのだ。
隊首の集まりといっても、総隊長が声をかけない限り、集まりは悪い。 この日も、遅れて出席した俺が見たのは酒が入ってご機嫌の八番隊長、普段と変わらない四番隊長と五番隊長、黙々と杯を進める六番隊長、酒は呑まず語らう七番隊長と九番隊長というところだった。
「遅いじゃないかー」
「悪い。今日中に決済しないとまずいものがあったんだ」
ひらひらと手を動かしながらにこやかに呼びかける京楽に、俺は一言詫びを入れた。
「いーよいーよ、大丈夫。十一、十二番隊は来てないんで、内輪だけになっちゃってるしね」
「そうみたいだな…、浮竹は?」
「彼は病欠だよ。隊首会が終わった時点では参加するとのことだったのだが」
「そうか」
東仙が答え、にこやかに俺を見やる。 盲目だが性格の穏やかな東仙は、静かにフォローを入れてくれることが多くてありがたい。
「なんや、十番隊長さんはこっちに来ぃはったん?」
げ。思わず眉間にシワを寄せたくなる声がした。
「市丸…」
細い狐目をさらに細めて笑い、三番隊の市丸が座に戻る。 嫌そうな顔をする俺をフォローするように、藍然が尋ねた。 「こっちとは?」
「今日なぁ、副隊長が集まって飲み会するんやてうちのイヅルが言うてましてん。 ボクも行きたい言うたら断られたんやけど、十番隊長さんなら参加できそうなもんやなあと思て」
「ああ…、そういえば雛森くんも言ってた気がするな」
「ウチの七緒ちゃんもね。主催は乱菊ちゃんだって言ってたけど?」
「なんだ、ずいぶん出席率高いんだな」
「そりゃあ、乱菊ちゃんの呼びかけがあればねぇ。女の子たちは集まるだろうし、男の方もね」
楽しそうに笑い、京楽は俺を空いた席へと促した。 仕方なく座ると京楽の手からお猪口を渡される。 注がれる酒を断るわけにもいかず、くっと一気に飲むと喉の奥が熱くなってくる。
「どうだい、日番谷隊長。乱菊ちゃんとはうまくやってる?」
「…まあ、普通じゃねえか?サボり魔なところは困りもんだけどな」
「あはは。手を抜くのがうまいんだよ、彼女は」
「そういうもんか?」
「日番谷くんにはまだわかんないかもしれないけどね。 明るくておおらかで、人気者だよ、乱菊ちゃんは。 護廷隊の男たちなら誰もが、彼女を副隊長にしたいって熱望してたくらいだしねえ。 ずいぶんやっかまれたんじゃないかい?」
「護廷隊の憧れのマドンナだからね。 とはいっても、日番谷くんが隊長になるまでは彼女も大変そうだったな」
「日番谷隊長のおかげかもしれませんね。 隊長不在時にはいろいろと無理をされることも多くて、四番隊からも様子を見に行くことが多かったのですけど、最近はその心配もなくなりましたし」
にこやかに微笑み、卯ノ花が言う。
「そうか…、迷惑をかけたみたいだな」
「いえいえ」
適当に相槌を打ちながら、どうにも違和感で首をかしげる。 俺の知っている松本は、こんなに他隊の隊長連にフォローされるような女じゃないのだが。 「そういやぁ、十番副隊長さんと言えば。 去年、十番隊長さんのために花火上げた言うてましたっけ?」
市丸の言葉に、感じ入ったように藍然がうなずいた。
「ああ、日番谷くんの誕生日だね。 見事だったよ、冬の夜空に花火が上がるところなんてなかなか見られるものじゃない。 あれは確か松本くんが発案者でね、流魂街に住む花火師にわざわざ依頼したらしい。 雪が降っていたらもっと見事なんだけどと言ってたけどね」
「へえ。冬の…」
市丸の相槌がわずかに湿る。
「そら、見たかったですなぁ。 ボクはちょうど現世任務で外してましてん、戻ったら三番隊でも噂になっとったもんやから」
へらへらといつもの調子で笑ってんのかなんなのか分からない顔をして言う。
「十番隊長さんはずいぶん綺麗な贈り物を受け取りはったなあて」
「テメエでも、花火が綺麗と思ったりすんのか、市丸」
「嫌やなあ、そない無粋な男とちゃうよ。ボクは綺麗なもんは綺麗て褒める主義や」
笑ってるのかなんなのか、分からない顔で市丸が答える。 場の空気がわずかに下がるのが自分でも分かったが、瞬間冷えた空気は京楽によって止められた。
「いや、確かに。なかなか思いつく贈り物じゃないよね。さすが乱菊ちゃんだ。 冬に花火か…、僕も七尾ちゃんに贈り物する時にもう少し頭をひねらないとだめかな」
”さすが、松本”。 また違和感のある言葉を聞いて、俺は内心で肩をすくめる。 この飲み会の主催意図が分かってきたせいだ。 一番、二番、十一、十二番隊の隊首がいない理由も納得がいく。始めから誘われていないに違いない。
「…んな心配しなくてもいいですよ。うまくやってますから」 つぶやくように言って、俺はぐいっと酒を飲み干した。 どうやら俺と松本は、あまりうまくいっていない主従に見えているらしい。
隊首の集まりを後にして、夜道を隊舎へと戻っていく。 灯りはないが、月が出ているせいで暗くはない。 まっすぐに隊舎へ戻るべきところを、俺はため息をついて目的地を変えた。
近づくに連れて明るい笑い声と酒の臭いが漂ってくる。 副隊長たちが集まる飲み会は、定番の飲み屋で行われるのが常だった。 飲み潰れて寝てしまってもいいように、飲み屋には簡単な宿舎もついている。(無論、宿泊費は有料だ)
「松本、いるか」
暖簾をくぐり、俺が顔をのぞかせると副隊長たちは驚いた顔をした。 一瞥するに、残っているのは檜佐木と伊勢、それに潰れた吉良、雛森だ。 松本に惚れているらしい射場がいないのが意外だと思ってさらに見回すと、端の方に十一番隊が集まっていて、なるほどこちらに合流したせいだと理解できた。 寝こけている雛森の姿に見て、俺はため息をつく。 なんでこいつはこう、気楽そうなんだか。男と一緒に飲んでるっつー自覚が皆無だ。
「あー、隊長ぉ!隊長も飲みますかー?」
陽気に笑いながら酒瓶を持ち上げ、松本が笑う。 くったくのない笑い方は酒が入っているせいだろう。
「飲んできたからいい」
「ちぇー。ああでも、隊首の集まりっていいお酒が出そうですよねぇ。今度京楽隊長に連れていってもらおうかしらー」
「向こうは向こうで、こっちに加わりたそうにしてたぜ」
「あら。じゃあ、明日は京楽隊長と飲む日にしよーっと」
「らっ、乱菊さんっ。だったらぜひ俺も」
「そ?じゃあ修兵もおいでよ」
「は…」
「だめだ」
短く息を吐き、俺は松本に数歩近づく。 近づくだけで酒の臭いでむせ返りそうだ。いったいどんだけ飲んだというんだろう。
「もう止めとけ。 明日は下士官の鍛錬を見る日だって何度言やぁ分かるんだ。酒の臭いさせて部下に示しがつくと思うか」
「はぁーい」
もう一度拗ねたように口を尖らせて、松本はあっさり引き下がった。
「それじゃ悪いけど、お迎えが来たからあたしは先に上がるわねー♪」
「えっ、ちょっ、乱菊さん!?」
「七緒も、ほどほどにしないと京楽隊長が心配してお迎えに来ちゃうわよ?」
いたずらっぽく松本が言うと、伊勢の顔が赤らむ。 「か、帰ります!」
どうあっても伊勢は自隊の隊長に弱味を見せたくないらしい。 松本に言わせると『ああいうトコ、可愛いですよねえ、七緒』となるのだが、俺にはよくわからない。 普段、京楽の素行に対してやいのやいのと言っているせいだろうか。
「あっと、雛森が寝てるわね、どうしよう」
「心配ねえよ。おっつけ藍然がくる」
「え。あっ、そうなんですか?じゃあ、まあ。心配ないっと。修兵、後はお願いねっ!」
「はっ、はい!」
後始末を檜佐木に押し付け、松本はふわふわした足取りで席を立った。
月が夜道を照らしている。 気持ちよく酔ったらしい松本は、鼻歌まじりにふわふわと歩く。 風もないのに撫子色の布がひらひらと漂い、羽衣のようだ。
「珍しいですよねー。隊長がお迎えだなんて。 まっすぐ隊舎にお戻りになるのだとばかり思ってましたよ?」
ふふふっと楽しそうに笑い、松本は俺に視線を落とした。
常の任務では松本は斜め後ろに立つことが多い。私用のときは隣だ。 俺の身長が松本の胸あたりなので、俺の顔をのぞきこむ時、松本は身を屈めている。 同じことを他のやつがやったら見下ろされているようで気分が悪いだろうが松本だとそんなことはない。 こいつは絶対に、視線を合わせて話すからだ。
「…京楽たちがうるさくてな」
「ええ?どういう意味です?」
「隊長連中には、十番隊は仲が悪いように見えるらしい」
俺がよく怒鳴っているせいだろう。 サボリがちな松本を見て、「部下の管理がなってねえ」と注意を受けるならまだしも、しかりすぎじゃないのかと忠告されるのは納得がいかん。
「心外ですねぇ」
むしろ楽しそうに松本は笑い、手を後ろで組んで空を見上げた。
「藍然にまで”今頃酔いが回ってるころだろうから迎えに行ってあげるのはどうかな”とか言われたぞ。 どれだけ行動把握されてんだ、おまえは」
「ふふっ。副隊長の集まりでお酒が出ると、雛森が潰れちゃうんですよ。 そのたびに藍然隊長がお迎えにいらっしゃるので、あたしもお会いする機会が多いですからね」
「藍然も、世話焼きなやつだな……」
「そうですねえ。雛森が、つい世話を焼きたくなる感じの女の子なせいもあるかもしれませんけどね。 隊長も身に覚えがあるんじゃありません?」
「…あー…まあな…」
雛森とは幼馴染だが、そそっかしく、どこか頼りないところがあるのは確かだった。 憧れの藍然に役に立ちたいと鬼道の腕を磨いて副隊長になったが、あまり印象は変わらない。
「かわいいんですよねえ、雛森」
どこか他人事のような響きで松本の声がつぶやく。 ふと見上げると、松本はふわふわした足を一瞬だけ止めたところだった。 「あ……、」
ふわりと花びらが一枚、風のない中を漂ってくる。 近くで咲いているのだろうと漂ってきた方角を見やれば、もう一枚、二枚。 つかみどころのない動きで花びらが漂って舞い落ちた。
「桜も、もう終わっちゃいますねぇ」
「そうだな」
「梅も桃も桜も見たから、次はツツジですね。もう咲いてるかしら」
「どうだろうな」
「んもう。隊長、もうちょっと情緒のある返事できないんですか? そうやってつれない態度とるから、人間嫌いだとかクールビューティだとか言われちゃうんですよ?」
「ク…ってあのな…」
「ねえ、隊長。手をつなぎましょうか」
酒のせいだろう。うっとりと目を細めて、松本は言った。
「は?」
唐突な提案に俺が思わず足を止めると、松本は強引に俺を手を引いた。 やわらかな女の手が俺の手を包む。
「十番隊も仲良しさんだって見せてあげなくちゃ」
「あのなぁ、だからってわざわざンなことする必要はねえだろが……」
ため息まじりに抗議するが、ふりほどく気にはならなかった。 嬉しそうに松本が微笑み、俺はそのまま夜道を歩き始める。 端から見れば、年の離れた姉弟か、へたすりゃ母子に見えるんだろう。 みっともないことこの上ないが、上機嫌な松本を見ていると振りほどくのもガキみたいでためらわれる。
どうせ夜道だ。誰も見てない。 たまにはこの副官の好きなようにさせてやろうという気持ちが沸いた。
「ねえ、隊長。やっぱり明日はピクニックの方がいいですよ。 新隊士たちとの交流会も兼ねて、早咲きのツツジを探しにいきませんか」
「だめだ。遊んでばっかで鍛錬をおろそかにしてどうする。 十一番隊みたいに毎日限界まで鍛え上げろとは言わねえが、俺たちは腕があって始めて価値があるんだ。 それに、入ったばかりの新入隊士たちに鍛錬をサボって命を落とすような真似はさせられねえ」
「……ふふっ」
「?なんだ、今笑ったか」
「はい」
にっこりと笑って、松本は言った。
「あたしは、十番隊の隊長が、隊長で嬉しいです」
俺の横を歩きながら、松本はつぶやいた。
遠くに隊舎の灯が見える。 ゆっくり歩いていたつもりだったが、終点は思いのほか早かった。 灯りが見えるのとほぼ同時に、松本の手は俺の手からするりと離れた。
ぬくもりが名残惜しいと、一瞬だけ思った。
「松本」
声をかけた俺に、不思議そうな視線が返ってくる。
「寝過ごすなよ。ちゃんと酒は抜いて来い、おまえも模擬戦に参加するんだろうが」
「大丈夫ですよぅ、ご心配なく」
いつもの調子で微笑み、松本は言う。
「おやすみなさい、隊長」
※※※
松本乱菊という女がいる。 俺を死神へと導き、俺を死神として補佐する女だ。
表立って仲が悪いわけではない、さりとてバランスがいいとは思われず、水と油のようと称される。 性格は反対で、しょっちゅう諍いが絶えず、怒声が飛んでばかりだと。 子供の俺は大人の女を扱いかね、彼女の奔放さに対しての理解が足りないのだと。
「……そうかもしれねえけどな」
隊を率いることになったとき、彼女以外を選ぶことなど、俺にはありえなかった。 偶然として片付けるには縁がありすぎて、それは一言では片付けられない。
俺はそれを、運命と呼んでいる。
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