私は知ってた 私はわかっていた
闇を求めることであなたに訪れる負の影 私と共にゆくことで優しいあなたが目指すもの
それでも流れ始めた寂しさを拭うことができず 唐突に現れたあなたの背を追って
伝えることもできなければ 留めることもできず
かなしい私の願望と 千年の歪みが生んだ澱み
それでも 諦めてしまうほど、大人でいられなかった
不老のシステム 7:ソフィーヤ
「お前は、こうなることを知っていたはずだ。竜の巫女」
楽しげ、だと感じた。 一切の感情を見せることのなかったブラミモンドが、急速に感情の色を見せている。少し皮肉げに笑う様子が嫌になるほどレイに似ている。 今やブラミモンドは変幻の闇ではなかった。 レイの体温がひとつ下がるごとに、レイを形作っていたものがブラミモンドに吸い取られている。そんな気がした。
「どういうことだ……なんで、こいつは倒れたんだっ!?」 「そう血相を変えるなよ。ラガルト」 「……っ!?」 ウィンドと名乗っていた男は混乱を心に鎮め、さっと冷静を取り戻した。ブラミモンドから距離をとる。 「何故その名を知っている」 「名前だけじゃない。ラガルト……ラガルト。別名は疾風。元黒い牙。黒い牙は二十五年ほど前に滅びたベルンの義賊集団。ラガルトはその古参のひとりだな」 「!」 「驚くことじゃあないぜ。種明かしをするほどのことでもない……。これは、ただの学問だ」 「学問だと!?」 「そうだ。アポカリプスはただの魔術書ではない……世界の真理に近づくための構造書。闇魔道の真の意味がなんであるかを考えれば、簡単なことだ」 随分と、お喋りになった。ソフィーヤはずるり、と足を踏み出して思った。 だが、実際には彼女達に聞かせるためではないのだろう。レイがよくしていたことと同じだ。これは知識を整頓するための儀礼なのだ。 「理は外を。闇は内を。光が繋ぐ世界の姿……全貌の一端を解明したのはアトスだけだったが。俺ほどは真理に近づくことはなかっただろうな」 「真理だと……」 「そう、真理だ。とはいえそんな難しいことじゃない……人が求めるもの。それが何か考えてみろ」 悲しむように、憐れむように。 「もっと頭がよくなりたい。人より早く走りたい。腹いっぱい飯が食べたい。誰かに踏みつけられたくない」 「……」 「それが叶えばそれよりもっと。金が欲しい、愛が欲しい、権力が欲しい。誰かより下では我慢が出来ない」 「何が言いたい」 「それが叶えば、もう望みは一つしか残らない」 ソフィーヤはレイの元に辿り着いた。そっと手を伸ばす。
「それが、不老のシステム……闇魔道、いや古代魔道とは人の希求を辿る学問なんだ。そうだろう、竜の巫女。余計な手出しをするんじゃない」
ソフィーヤはぴたりと指先を止めた。みつあみに纏めきれない髪の毛がふわりと揺れる。 「人間よりも、お前はよほど真理に近い。どうしてレイに教えてやらない?」 「……レイは、私に教わることを、好みません……」 「それでも、お前がその先に待つものを教えてやれば、レイはこうはならなかったのかもしれない」 「……レイは、誰かの手ではなく、己の足で、歩む人です……」 「そうだな」 あっさりと頷くブラミモンド。 「それが、人間というものだ」
「神の領域を侵し、竜の領域を侵し。その先にあるものは己には抱えきれぬ闇ばかりだというのに、求めることは止められない。そして古代に一度滅びたことも、忘れてしまう」 「……レイ、は」 「ソフィーヤにはわからないだろう?お前は竜だから」 「…………私は、人です。……半分は……」 「そして半分は竜。だから、人のことはわからない。真理を覗いても、お前の心が理解を示さない」 わからないよ、と重ねてブラミモンドが続けてくる。
「だからレイを覗いても、その子の心は掬えない」
ソフィーヤの菫色の視線がブラミモンドを見た。
「竜は人が望まぬ限り、人には触れられない。お前達は真理に近い生きものだからな」
ブラミモンドの瞳はくらく、底が見えない。 その瞳がふと下を見て、吐き捨てるように呟いた。 「エリミーヌ、彼女はいつも正しい。人と竜は関わるべきではない」 「関わるべきでは……ない……?」 「そうだろう、知識は語る。竜と触れ合い、破滅した人間の生き筋を。お前達は我々にとって魅力的に過ぎるんだ。ハルトムートしかり、アトスしかり、ネルガルしかり……竜に魅せられ闇に踏み込み。共にと願いながら堕ちていく……我々も愚かに過ぎるが、お前たちとて罪深い」 ブラミモンドが近づいてくる。ソフィーヤはふわり、とレイとブラミモンドとの間の壁になった。 「……ひとと、竜が、ただ、愛し合うことが、いけない……と……」 「何故いけなくない、と思う?」 レイの声で言うな。痛烈に思った。
「何故、許されると思う」
やめて。
「本当にお前達は罪深い……叶わぬ恋こそ知るべきなのに。……優しい男ばかり選ぶんだな」 「……何を……」 「ネルガルもそういう男だったな。竜の女を愛して、狂って……この大陸を炎に沈めかけた男。あれの印が、レイに残存していることに気がついていたのか?それとも偶然か……」 「待て……どういうことだっ!」 足が動かない、畜生。ラガルトが叫ぶと、ブラミモンドは憐れむように笑った。 「双子のうち、レイは父の色が濃い」
何故。 あいつらは、幸せそうだったじゃないか。あの人形のような男が、彼女が大切だと不器用に笑った。 俺はネルガルが死んで嬉しかった。牙の仇が討てただけではない。これから生きていく、あの二人が解放されたことが嬉しかった。 二人の血を継ぐ命に、欠片も穢れは遺されるべきではなかったのに!
「レイは闇魔道を求め、黒い服を纏い、アポカリプスまでやってきた……ソフィーヤ、お前も嬉しかっただろう?ネルガルの道を、レイが辿る。お前はレイのエイナールだな……」 なんていい草だ。 「……総て、さだめのせいだと……?……レイも、私の想いも、そのためだというのですか……」 「事実、レイは不老のシステムを辿った。ソフィーヤ、お前と生きるためにだ」 「……」 「そしてレイは狂うか、闇に堕ちる……アトスの遺志を汲んで、前者にしてやるにはいかないのでね」 「……どうして、あなたが……私たちの道を決めるのです……?」 「視ているのはお前だよ。預言者ソフィーヤ」 「……私は、何一つ……想いの先など、視ていなかった……!」
菫色の瞳が、決意を帯びた。 「私は、レイを、助けます」 「止めておくんだな。想い人を魔の魔道士にしたくないのであれば。確かにレイの器をお前のエーギルが補えば、レイは闇の淵からあがってくるかもしれない。だがその先は大陸の不幸だ」 「助けます……」 「視えないのか?預言者ソフィーヤ」 「私は……こんなにもレイを想うなんで、視えませんでした」 「……」 「ずっと……不老を追えば、この瞬間に辿り着くと、知っていました。だから……五年前、ついてゆかなかった」 「ならば」 「けれど……五年前の、私は。……それでも、レイとゆく……私の姿なんて知らなかった……」
ソフィーヤの瞳に、涙が浮かんだ。 何百年と生きた中で彼女は涙を知らない。 頬を伝うものが、なんと呼ぶか知らない。
「レイと、出会ってから……私は、私の明日がわかりません……長く生きてきた時間は褪せ、今が恋しい」
ただわかるのは、レイを助けたい。 私も死にたくない。 一緒に生きていきたい。
「私が、生きるためには……レイが必要なんです」
私は何故生まれたのかしら。 両親は何故愛し合ったのかしら。 どうして私は、こうも長く生きるのか。
流れる時間は髪を攫い、頬を撫でていくだけ。そんな日常が変わったの。
「私は、あのひとに出逢って人になった。あのひとに出逢って、生きることがわかった。今日を知った」
あのひとを助けなくては。 理由なんて、本当はいらない。
とき 「レイは……私の、時間そのものです」
「……ならば、俺と戦うか?お前が力を集める前に、俺はお前を殺せるぜ」 「私は……死にません……」 「なんのために……!?」 「おい、……見ろ!」
私は、死なない。 だって、あなたは優しい人だから。 私があなたを庇って死んだなんて、あなたはきっと怒るから。 あなたと共に生きたいから、あなたより先に死にたくない。
諦めと共に、言うことは止めたの。 自信をもってあなたに言うの。 これは、私の心からの言葉。 血が、運命が。未来が何なの。
理性的に恋する人なんて、世界中どこにもいないでしょう。
「なに……おまえ、よわっちぃ・・・くせに」 青褪めて白い肌。 どこか曇った深緑の髪。 伏せられた瞼から、奇跡みたいに緑の瞳が輝いた。
「レイ!」
(一瞬でも、千年でも。 レイ、貴方と生きたい)
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